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くるくる電車旅〈小鳥の王国〉

降水確率80パーセントの雨予報なのに、いっこうに降る気配のない日曜日。古墳を見に行きたくなって、家を出た。
東海市にある名和古墳群。
ヤマトタケルの妃、ミヤズヒメゆかりの古墳だという。

名鉄常滑線の普通電車しか止まらない駅、名和駅で降りる。海に近く、低い土地だ。駅を出るとすぐ、「伊勢湾台風浸水位」と書かれた白いポールが立っていた。見上げると、地上2メートルぐらいのところに、赤線がひかれている。

歩き始めてすぐ、地図を忘れたことに気がついた。しかたなく、禁断のグーグルマップを見ながら歩く。道のところどころに、津波の注意看板が立っている。海が見えるわけでもなく、潮騒が聞こえるわけでもなく、潮の匂いがするわけでもないのに、海を感じさせられる。

やがて見えてきたこんもりした緑の丘。グーグルマップも、そこだと告げている。近づくにつれ、チュルチュル、チイチイ、チュルチュル、小鳥の声がかしましく聞こえてくる。あのこんもりした茂みの中で鳴いているのだ。

緑の丘のふもとに来ると、立て看板があった。
写真を撮り、ざっと読む。

・標高10メートルの丘陵上に築かれた三基の円墳からなる古墳群。
・直径20メートルの1号墳の横穴式石室からは、銅剣、須恵器、鉄鏃が出土。
・築かれたのは、六世紀。

ミヤズヒメのお墓ではなさそうだ。
ヤマトタケルやミヤズヒメは、実在したとしたら、5世紀以前の人だから。

石碑もあった。
『名和古墳』と刻まれた横に「氷上姉子神社付属地」と刻まれていた。

氷上姉子神社は、ミヤズヒメを御祭神とした神社である。ここから程近いところにある。
ミヤズヒメは、ヤマトタケルの妃とはいえ、宮廷の後宮に入っていたわけではない。尾張氏の首長の娘で、ヤマトタケルが東国遠征の途中に立ち寄ったとき、「日本書紀」によればほんのひと月ばかり、屋形で共に過ごしたにすぎない。二人の間に子はない。しかも、ヤマトタケルは、その遠征にオトタチバナヒメという后を伴っていた。
ヤマト王朝の王子としては、尾張氏首長の娘を妻にする必要があったのだろう。尾張氏のヒメとしては、ヤマト王朝の王子に抱かれるのは任務のようなものだったのだろう。権力ある人にとって結婚は政治なんだなと、つくづく思う。

丘に登る細い道があった。途中から石段になっている。草をかき分けて、こわごわ登ってみた。丘の上には石の玉垣で囲まれた聖域があり、鉄製の扉は固く閉ざされていた。雑木と雑草が生い茂り、中がどうなっているか、うかがい知ることはできなかった。頭の上で小鳥が羽ばたき、梢がゆれる。
古代の王の墓は、小鳥の王国になっていた。

小鳥の王国をあとにして帰りの電車に乗っていると、熱田神宮前の駅から観光客らしい外国人の一団が乗り込んできた。
熱田神宮といえば、草薙の剣。なぜ草薙の剣がそこにあるかというと、ヤマトタケルが、ミヤズヒメのもとに置いていったからだ。ヤマトタケルが置いていくといったのか、ミヤズヒメが置いていけといったのか。「尾張国風土記」によれば、ミヤズヒメが「これは神々しい剣だから置いていくように」進言したのだという。
ヤマトタケルは、伊吹山の荒ぶる神と素手で戦って、死んでしまった。草薙の剣があれば、死ぬことはなかったかもしれない。
おそるべしミヤズヒメ。

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