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なぜフィンランド教育は「成功」している?

教育の理想郷のように語られるフィンランド。

先に断っておきたいのですが、フィンランドの教育が何一つ欠陥のない夢のようなモデルではないと思います。フィンランド教育が「成功」しているというのはあくまで表面的な見方です。

しかし、実際にフィンランドの学校を見学してきて感じたのは、やはりその教育は非常に進んでいるなということ。

なぜ、フィンランドの教育は世界から注目されているのか?

フィンランドの学校を見てきて感じたことがあまりに多いので、それらをすこしずつ整理していきたいと思います。



「フィンランド教育=自由」のイメージ

まず人々が思い浮かべるフィンランド教育のイメージは「自由」なのではないでしょうか?

私は実際にフィンランドのいくつかの教育現場を訪れて、子ども一人一人に合わせた教育環境を徹底的に整えようという工夫をあちらこちらに発見することができました。

なんといってもイスや机などの教具や、それらによってつくられる学習空間が実に多様であるということ。

開放的で共同作業しやすい学習環境もあれば、ブラインドや仕切りによってパーソナルな学習空間を作り出すことも可能で、子どもが自らにとって最適の学習環境を選択することができるという良さを感じました。

自分の学習プロセスや学習環境に働きかけるというのは、自分自身の学習上の特性を把握したうえで可能なことです。その結果として、より効果的に学習を進める力をつけていくことができます。

例えば、「どうすれば集中できるか」とか、「どうやって勉強すればより頭に入ってくるか」を模索することで、より効果的な学習の仕方を選択することができるようになるのです(自己調整的な学習の力がつく)。

フィンランドの学校では、子どもが学習環境の調整・選択をしやすいように、豊富な教具が揃えられていました。また、学校内に空間的なゆとりが設けられているため、私たちの目にはとても自由に学んでいるように映るのでしょう。



国全体で一貫している教育観

僕はたかだか一週間程度を現地で過ごしただけなので、そこで見聞きしたことを過度に一般化することはできませんが、フィンランドに赴いて強く感じたのが、教育現場に寄せられている確固とした信頼感です。

フィンランド人のある家庭を訪れてお話を伺ったところ、親は学校での子どもの様子をあまり気にしていないようです。

学校は、授業参観や年度初めの学校の方針の説明会など、保護者を対象とした催しを開きはするのですが、当の親は忙しいこともあって、ほとんど参加しないと言います。


主観的な考察として、フィンランドの学校は終業時間が早いため、親子が一緒に過ごす時間が長いということが重要な気がします。学校教育と家庭教育の比重のバランスが良い、と言えるでしょうか。子どもの成長について、学校に依存しすぎず、家でもある程度の面倒を見ることができる。それによって、学校での子どもの様子について、そこまで重要度が高くないと考えられているのかもしれません。


その家庭の夫妻はまた、子どもの意思決定は子ども自身にとって最良の選択であるから、基本的に尊重すると言っていました。

一緒にフィンランドに行ってきた仲間も言っていましたが、フィンランドでは親も教師も、子どもをある一定の年齢からは「一人の人間」として接しているように思います。

それは、国全体として「子どもの自立を願う」という教育観が共有されているからなのではないか、と思うのです(あくまで主観的な感想ですが)。



学校を信頼するフィンランド、学校を監視する日本

なぜ、フィンランドの親は、学校での我が子の様子をあまり気にせず、しかも子ども自身の決定を見守ることができているのでしょうか?

これには、国民が強く教育現場を信頼していることが大きく関係していると思うのです。

フィンランドの教職課程は、修士課程を含む5年間となっています。フィンランドでは教職の人気は高く、社会的信頼の厚い職業であり、教員になるのは難しいとされているようです。

こうした質の高い教員養成に力を入れているためか、フィンランドでは各学校に広く裁量権が与えられています。各校で教員たちが自由に工夫しながら、目の前の子どもたちに適した教育を練り上げているのです。その結果生み出される質の高い公教育に、国民も信頼を寄せているものと考えられます。


一方、日本の学校はどうでしょうか。
日本では、法的拘束力をもつ学習指導要領によって、公教育のカリキュラムの多くの部分が規定されています。

さらに、高校入試や大学入試での公正性を志向する傾向が強くあって(そのこと自体は悪くはないのですが)、公立校は右にならえの教育を行うことが求められていないでしょうか。

各学校は、学校評価をホームページに公開しなければならなかったり、進路実績を掲載したりと、とにかく教育の透明性が重視されています。つまり、学校は外部に対して、情報公開することにより、説明責任を果たすことが要求されているのです

このようにして、常に社会から監視されている日本の公教育は、果たして信頼されていると言えるでしょうか。


現場の教員が、子どもの自立を目指して自由なスタイルで学ばせてあげたいと思っても、仮に保護者から「うちの子のテストの点数が悪いじゃない!受験のためにしっかり勉強させてよ!」などと言われれば、やはり耳を傾けざるを得ません。

日本では、公教育が世間的な価値観のフィルター越しに監視されているため、各学校・各教員による教育の創意工夫が抑え込まれているのでは?と思ったりします。



まとめ

十分な判断材料に基づいていないことは承知ですが、フィンランドの訪問を通して、この国の教育の秘訣を探ってみた結果感じたことは、

フィンランドでは「子どもの自立を願う」という一つの教育観が国全体を一貫している。質の高い教員たちが、よりよい教育を日々追求してくれているため、学校が信頼され、「理想郷」のような教育が実現しているのではないか。

ということでした。

繰り返しますが、僕の考察はまだまだ検証が不十分であり、一般化することができない見解です。

また、フィンランドの教育が至高のものだというわけでもないと思います。そもそも、教育の「よさ」を測る尺度は実に多様です。そして何より、日本と対比して書いた部分もありますが、日本の教育には日本の教育としての良さがあります。

学校が「監視されている」と書きましたが、これは見方を変えれば、日本人は我が子の成長や学校教育そのものに関心を寄せている、ということもできるでしょう。

今回はフィンランドの教育の分析を通して、日本の教育を相対的に位置づけるきっかけになれば良いなと考えています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!












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