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宿災備忘録-発:第3章4話

山護美影についての報告書
 
山護美影の出自について、湖野の産院で半世紀近く助産師を務めていた女性より、極めて確度の高い情報を入手した。それを踏まえ、山護美影と石寄正蔵との間に血縁関係は無いものと当社は判断。その根拠について、以下に記す。
 
24年前の9月18日夕刻、元助産師は、山護美代より緊急の連絡を受けた。声が非常に切迫しており、元助産師は美代の自宅へ向かった。美代宅には臨月を迎えていると思しき妊婦がおり、陣痛に苦しんでいた。その女性は、ふたりの幼なじみで、40数年前に行方不明になった、湖主ハルであった。
 
ハルは行方不明当時の姿を保っており、元助産師は非常に驚き、美代に説明を求めた。しかしハルが破水し、産院に運ぶ段取りも整えられなかったため、美代宅にて出産することを決めた。翌19日早朝、女児が誕生。髪は赤毛であった。
 
出産後、元助産師は美代から経緯を説明された。9月18日午後、美代が山道を巡っていたところ、野鳥が妙に騒々しく、何事かと林に入り探索すると、御神木とされる木の下にハルがうずくまっていた。昔と変わらぬ風貌に物の怪かと用心したが、あまりにも苦しんでいたため、自宅へ連れ帰った。
 
行方不明時、ハルには縁談が持ち上がっていた。しかし思い人がいたらしく、駆け落ちをしたのではと噂された。本人によると、駆け落ちをしたのは事実で、相手はソウヤといい、山神の庭の住人であった。ソウヤは山神の庭の手入れをしており、たまに庭を出ることもあった。山で出会い、恋人となったとのこと。
 
ハルは出産のため里に下りようと、ソウヤとともに庭を出たが途中ではぐれてしまった。自分の姿が昔のままであることについて、理由はわからない、むしろ美代や元助産が年老いていて、非常に驚いたと言っていたとのこと。後に美代は元助産師に対し、湖野の民話にある九十九神の屋敷が、山神の屋敷なのではないかと語った(湖野の民話については別紙参照)。
 
ハルは女児に美影と名づけ、美代宅で生活を始めた。しかし出産からおよそひと月後、姿を消した。美代と元助産師は、ソウヤが迎えにきたのだろうと結論付け、ハル、女児、ソウヤの存在について一切口外しないと決めた。出産の記念にとトシが撮影した写真は焼却した。
 
およそ1年後。美代が山中を巡っていた時、御神木の下に赤ん坊が横たわっているのを発見。赤ん坊を包んだ着物は、ハルが身に着けていた物と同じであり、特徴的だった赤毛も確認できたため、赤ん坊をハルの娘、美影であると判断。誕生から1年経っているにも関わらず、美影は出生時から成長した様子が見られなかった。美代は美影を自宅へ連れ帰り、元助産師に連絡をしたが不在であった。
 
美代は、明朝訪れた元助産師に「ハルは死んだかもしれない。ソウヤがきたが、美影は置いて行った」と語り、自分の手で美影を育てると宣言。乳児院から引き取ったことにしたいと、元助産師の協力を仰いだ。
 
元助産師が美代から聞いた話によると、赤ん坊を連れ帰った日の深夜、美代宅を男が訪ねてきた。長身で日本人とは異なる顔立ちであった。「ソウヤか?」と声をかけると、男は頷いて頭を下げた。言葉が不自由なのか、問いかけに対し、頷くか首を横に振るかのどちらかであった。
 
ハルについて「死んだのか?」と尋ねたところ、男は曖昧な態度を見せた。そして胸元から写真を取り出し、山護美代に見せた。美影の出産後にトシが写したもので、美代、ハル、美影の3人が写っていた。美代は写真におさまることに抵抗を感じていたため、男の手から写真を取り上げようとした。しかし男が抵抗し、写真が破れてしまった。男は破れた写真を手にその場を去り、美影は美代のもとに残されたとのこと。
 
元助産師は美影を育てたいという美代の要望を聞き入れ、隣県の乳児院に勤める友人に「産院で取り上げた子の両親が蒸発してしまった。知人が育てたいと言っているが、両親は不明としたいと願い出ている」と告げ、手はずを整えてもらった。
 
以上の経緯から、美影は山護美代の養子となった。美影の生年月日については、実際の生まれ年の1年後を出生年として戸籍に表記。
 
先に記述した写真について、破れてしまった半分は後に山護美代から石寄正蔵に託され、半分は九十九山で今年7月に発見された遺体の所有物として発見された。
 
遺体の特徴には山護美影と類似する点もあることから、九十九山で発見された身元不明の遺体は、山護美影の父、ソウヤであると判断する(当社の調査による独自判断)。
 
石寄正蔵が湖野を訪れ始めたのは、山護美影の正確な出生年よりも前であるが、母親である湖主ハルが、父親の名を「ソウヤ」と明かしており、先に記したように、父親と思しき遺体の風貌に、美影と重なる部分も見られるため、石寄正蔵と山護美影の間に血縁関係は無いと判断する。
 
以上をもって、本件の調査は終了とする。
 
***
 
「純一」
 
突然聞こえた声に、鷹丸は思い切り肩をびくつかせた。大衆食堂の一番奥の席。自分の右にある、水輪の横顔。水輪は、鷹丸のスマートフォンの画面を覗き込んで、ぽつりと言った。
 
「真実にしては、物語っぽいわよね」
「気配たって近づくなよ」
「あら失礼。あんまり真剣な顔してたから声かけにくくって。純一のそういう顔、珍しいもの」
「下の名前で呼ぶなって」
「まさか、その報告書」
「見せてねぇよ。ボツだ、ボツ。」
「そりゃそうよね。久遠くらいでしょ、その報告書で目を輝かせるのは」
「アイツの目の輝きがわかる人間は少ないと思うけどな」
「確かに……あーあ、人間って大変よね。自分が優位に立つために誰かの秘密をあばいたり、隠したり。面倒だわ」
「お前だって人間だろ」
「あ、そうだった。あやうく忘れるところだったわ」
 
言って、水輪は笑った。そして鷹丸から離れ、週刊誌片手に自分の席に戻る。
 
「つーかお前ら、のんびりメシ食ってていいのかよ」
「いいのよ。ね、鎖火」
 
同意を求められた鎖火は、口いっぱいに詰め込んだチャーハンを噛みながら、焼き餃子に箸を伸ばしている。そのままの姿勢で、首を縦に振った。
 
町に根付いた、大衆食堂。夕食にはまだ早く、客は、鷹丸、水輪、鎖火だけ。テーブルには何枚もの皿が乗っているが、ほとんどは鎖火が空にした。鷹丸は油淋鶏定食を、水輪は冷やし中華を食べ終わり、まだ勢いの止まらない鎖火が箸を置くのを待っている。
 
水輪はゆっくりとページをめくっていたが、週刊誌を棚に戻し、再び鷹丸の隣に。
 
「ねえ……美影のおばあちゃん、私にも見せてくれる?」
 
鷹丸は小さく頷いて、デジタルカメラを起動。水輪の前に差し出す。
 
「へぇ、素敵な方じゃない。凛として、芯があるって感じ」
「そうだよな」
「美代さんと、助産師の……トシさんだっけ」
「そう」
「2人が周りをだましてまで美影を育てたのって、どうしてかしらね?」
「は?」
「次の山護として育てよう、みたいな考えでは絶対ないわよね。実際、湖野を離れるように仕向けているし。単純に子育てをしてみたかったのかしら? 高齢で、しかもあんな山の奥。トシさんの協力があったとしても、そう簡単ではなかったはず……美代さんにとって、美影を育てるということに、なにか深い意味があったのかもね」
「なんだよ、いきなり」
「自分だって考えてるんでしょ」
 
鷹丸は、否定も肯定もしなかった。確かに考えてはいる。両親は消息不明として乳児院に預けることもできたはず。自らの手で育てるという決断は、とても大きなものであったと想像に難くない。しかし、今は他の思考を優先させている。美影が戻った時に必要なものは何か、自分にできることは何か、を。
 
「もう確かめようもない……考えたって、俺レベルじゃ答えにかすりもしねぇよ。いくら考えてもな」
「美代さんの心情を考えるより、美影のこれからを考えてる?」
「……写真、もういいか」
 
見透かされた。思って、鷹丸は、デジタルカメラをポケットに。
 
「打つ手、ゼロなの?」
「あ?」
 
予告なしに投げられた直球。打ち返したのは、思わず零した刺々しい響き。
 
打つ手、とは。
 
自分が苦労して手に入れた真実も、依頼主にとっては理解不明の繕い話。新たな探偵を雇い、再び美影の周辺を嗅ぎ回らせる可能性が高い。それは回避したい。美影の望む静かな生活を、彼女の側に近づけてやりたい。
 
「最後の一手は、ほぼ反則だけどな」
「反則でも、ないよりはいいんじゃない。今回の場合」
「そうだな……悪かったな、八つ当たりはしない主義なんだが……すまん」
「八つ当たりされた覚えなんてないわよ。結構繊細なのよね、貴方……それとも純粋っていうのかしら、純一だけに」
「だからやめろって、下の名前……それに純粋とか言える年じゃねえし……なあ、アイツらはもう向こう側なんだろ。なんだ、その……ちゃんと説明してやったのか? 零念とか結界とか、またろくに話もしないで行ったんじゃねぇだろうな?」
「ご心配なく。ちゃんと話したわ。久遠がね」
「おお、成長したな、いきなり」
 
そうね、と水輪が微笑んだタイミングで、鎖火はチャーハンと餃子を完食。そして、
 
「零念とは、人間が抱えきれなくなった穢れが零れ落ちたものだ。生命体の姿を模して、この世に存在している。お前に寄ってくる羽虫に似たもの、それも零念だ」
「それ、久遠が言ったまんまじゃない。しかも物真似下手くそ」
 
呆れ顔を浮かべた水輪に、鎖火は、軽く頬を膨らませた後、
 
「すみませーん! 水餃子お願いしまーす。あとお水も下さーい」
 
まさかの追加注文に、鷹丸が目を見開く。
 
「そのちっこい体のどこに……俺より食うってどういうことだよ」
 
驚きと呆れを顔に表す鷹丸。得意げにブイサインを見せる鎖火。鎖火の声に呼ばれ、水を追加しにやってきた女性は、鎖火の小さな顔を覗き込んだ。
 
「ほんっとにめんこいなぁ。年はおらの孫と同じかな。4年生ぐれえだべ?」
 
菊谷トシが入居する施設で、鷹丸が顔を合わせた中年女性。鎖火と水輪を交互に見て、答えを待つ。顔を見合わせた水輪と鎖火。どちらかが偽りを口にする前に、鷹丸がその役を買って出る。
 
「2人とも小3。俺の遠い親戚だよ。可愛いだろ」
「ほんとになぁ、お人形さんみてえだ……いがったなあ、鷹丸君さ似なくて」
「どういう意味だよ。聞き捨てならないよ、今のは」
「いやいや、おがしな意味でねくて。鷹丸君は男前だよ、申し分ねぇよ。なんつーんだ、ワイルド系? そんな感じでイイ男だよ……んでも、ほれ。女の子がそんたにガッシリしてだら……なあ?」
 
女は水輪と鎖火に視線を飛ばし、同意を求める。2人とも女に反応を合わせ、その場をやり過ごした。
 
タンブラーに水を注ぎ、空いた食器を回収して、女は厨房へ。丸いフォルムが暖簾に隠れるのを確認した後、鷹丸はボリュームを抑えた声で話し始める。
 
「お前ら、あの人がいる時は話す内容に気をつけろよ。噂の広まり方ハンパないぞ。湖野のおばさんネットワークすげぇからマジで」
 
鎖火は水を飲みながら、うんうん、と頷く。水輪は去った女のほうをチラリと見た。
 
「心得てるわよ。でも、あの人でしょ、ツクモの世話役って。ある意味恩人じゃない」
「まあ確かにあの人のおかげだよな。かなりの人脈、つーか湖野で知らねぇ人間はいないって言ってもいい」
「縁なのよ、きっと。鷹丸の所に依頼がきたことも含めてね」
 
水輪の言葉に、鷹丸は口角を持ち上げた。さて行くか、と零し、立ち上がる。
 
「鎖火、追加はここまでな」
「えー! 最後にかき氷食べようと思ってたのにぃ」
「マジでどうなってんだ、お前の腹は……んじゃ、かき氷まで入れて会計しとくから」
「ぃやったァ! って帰るの?」
「最後の一手を打ちに行く」
 
ハテナ顔の鎖火。その対面で、水輪は笑顔。
 
「いってらっしゃい。道中、お気をつけて」
「何時代だよ……あ、久遠が戻ったら知らせてくれ」
「勿論。貴方がおじいちゃんになってても知らせに行くから」
「そりゃ頼もしいな……じゃ」
 
笑顔を残し、会計を済ませ、鷹丸は店を出て行った。
 
大きな輪郭と体温が去り、水輪は少し、肌寒さを感じた。水餃子を待ちつつ少女漫画をめくる鎖火を見ながら、口を開く。
 
「久遠達、早く戻るといいね」
「戻るよ」
「……鎖火は、怖くない?」
「どうして?」
「だって、こういうの初めてだし」
「そういえば、そうだね」
 
今気づいた、とでも言いたげに、鎖火はパタンと漫画を閉じ、水輪と視線を交えた。
 
「水輪、怖いの?」
「うん……久遠が戻ってこなかったら、私達どうなるんだろうって」
「帰ってくるよ。私達が待ってるのに、帰ってこないわけないじゃん」
 
明るく言った鎖火。その声に、表情に、嘘はない。
 
「そうだね……待つしかないもんね」
「そうだよぅ。待ってればいつかは会えるんだし。ずっと待っていられるのも、私達のとっ、とっ……とっきゅう?」
「特権、でしょ。特急は電車」
 
そっかぁ、と言って、鎖火は再び漫画を開いた。
 
なんて楽観的な子なのだろう。思って水輪は、鎖火に悟られないように息を吐いた。しかし、その明るい雰囲気に救われていることを、嬉しく思った。
 
「ひとりじゃなくて良かった」
「んー? なんか言った?」
「別に。ねえ、町の中、探検してみた?」
「まだ」
「河原の方は?」
「水がキレイ。すっごく冷たいけどね。魚がいっぱいいたよ。あ、山のふもとにかやぶきの家があってね、馬がいるの。子馬が、すっごくかわいかった」
「そうなんだ。後で場所教えて」
「おっけい」
「……ねえ」
「んー?」
「人でいられるって、いいよね」
「え、なんだよぅ、いきなり」
「私達って、なんのためにいるのかな?」
「久遠を待つために決まってるじゃん」
 
鎖火は迷いなく答えを。水輪は浮かべた笑顔を無に返した後、運ばれてきた水餃子に箸を伸ばした。
 
「わっ、めずらしっ! どしたの?」
「目の前でガツガツ食べられたら、つられちゃうわよ」
 
アツアツの水餃子に息を吹きかける水輪。鎖火は競うように、ひとつ口に入れ、熱い熱い、と大騒ぎ。
 
その様子に目を細めた水輪。頭の中に久遠と美影の姿を描きながら、おかえりなさい、と言える日が早くきますように、と祈った。


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