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宿災備忘録-発:第3章5話②

「私、あそこを開けて、あの中に」
 
言葉の途中で、美影は駆けだした。確かめなければならないことがある。玉砂利を鳴らして走り、祠の裏手へ。
 
「こっちも閉じてる……私が?」
「閉じたのは、久遠です」
 
灯馬が横に立った。
 
「美影、あの夜のことを、貴方の口から教えてくれますか?」
 
灯馬に頷きを。久遠もそこにやってきた。取り戻した記憶を、美影は2人に伝えた。
 
 
降りだした雨
高揚していく気持ち
誰かが呼んでいる
呼んでるのは誰?
 
外に出た
雨に触れた
あの場所にいかなければ
 
とても長い道のりだった
しかし心は踊っていた
あそこに行けば会える
あの人に会える
 
暗闇に道しるべ
それは音
トントン、トントン
音に導かれ進んだ
 
この祠の前に辿り着いて
思い出した
そして扉を開けた
中に入った
 
がらんどう
祀る神はいない
祠の奥の壁
そこにある閂を外す
壁は真ん中から開く門に変わる
 
 
「ここを通って、私は先に進んだ……そこまで」
 
あの夜の記憶の伝達を終了し、美影は閉じた祠に視線を。
 
「貴方が扉を?」
 
貴方、は久遠をさしている。それを確かに受け取って、久遠は美影に言葉を渡した。
 
「お前を見つけた後、両方とも閉じた。間違って入り込むものがいてはまずいからな」
 
久遠の音が、いつもより穏やかに感じ、美影はその顔に視線を振った。いつものポーカーフェイス。しかしどこか、柔らかな印象。
 
「お前は扉を開け、祠の中を通ってある場所を目指した。だが辿り着けなかった。俺が見つけた時、お前は倒れて意識を失っていた。大量の零念に押し潰されてな」
 
言って美影と目を合わせた久遠。2人の視線の間を、小さな零念が通り抜ける。美影の目は、それを追った。
 
「こんなに小さなものに?」
「質量とは違う。気が重くなる、といえばわかり易いか? 小さな存在でも集結すればそれなりに力を持つ。宿災はやつらにとって格好の器だと言っただろう。お前に宿って山神の庭に入るつもりだったんだ」
「私が至らなかったせいです」
 
灯馬が美影の前に足を進めた。
 
「この地はあまりに居心地が良く、貴方も安定していると思い込んでしまいました。もっと、気を配るべきだったと。まさか貴方を直接呼び寄せるほどの念を持ち合わせているとは……申し訳ありませんでした」
 
頭を垂れた灯馬。その姿に、美影の胸が疼く。その疼きは、確実に自分のもの。謝られる原因は自分にあるのだから。しかし、原因そのものの正体は、わからない。
 
「灯馬のせいじゃない。でも、ありがとう。もう充分、気にかけてもらってる」
 
繋がる言葉は現れない。玉砂利に落ちる雨音は遠慮がちに焦燥感を煽る。
 
 
――私は記憶を取り戻した
  だけどわからないことがまだある
  私に起きたこと
  それがどうして起きたのか
  久遠と灯馬は知っている
  お願い
  早く話して
 
 
言い出せない美影の気配を察したのか、灯馬は広場の一角を示した。
 
「少し長くなりそうなので、座りませんか?」
 
倒れた古木。美影はそこに腰を下ろし、フードを外して、灯馬と久遠を見上げた。
 
「美影、貴方は祠の中を抜けて、その先に行こうとしたんですよね?」
「うん」
「前にも、行ったことが?」
「ずっと前……子どもの頃に」
「どうしてここにくるように?」
「初めてきたのは、ばあちゃんを、その、あとをつけてしまって……本当はきちゃいけないところだっていうのは、わかっていたんだけど」
「ここにくる理由ができた、ということですね?」
 
美影は頷いた。ここに始めてきた日のことを、それからなにが始まったのか、記憶は確かに、美影の中にあった。
 
 
***
 
夜神楽で賑わった夏の夜は急ぎ足で去り、気の早い朝は空を白ませる。眠りの浅瀬を狙って響いたカラスの声は、美影に目覚めを自覚させた。
 
瞼を開けると同時に、玄関の引き戸が微かな音をたてるた。柱時計の針。短針は4と5の間。長針は6と7の間。いつもより早い。
 
 
どこにいくんだろう
 
 
単純な好奇心は美影を外へと向かわせた。家の前の広場。祖母の姿はない。山道の方向でカラスが大きく鳴き、美影は山へ足を向けた。
 
足元の悪い山道を走り続けて、どれくらいたったのだろう。鼓膜に触れた、軽やかな鈴の音。山に入る時、祖母は必ず鈴を持って出る。動物避けであり、魔除けでもある。鈴の音が聞こえたのは、山道を外れた木々の奥。
 
柔らかな枝葉を掻き分けながら進む。ずいぶん歩いた気がする。前方に光の固まり。それを発見すると同時に、鈴の音が止む。
 
 
あそこにいる
 
 
杉木立に生まれた光を求めてほどなく。美影は光の正体を知った。木立の中に現れた空間。そこに溜まった太陽の光。透明であるのに白を感じさせる光。その中に、祖母は存在していた。白い玉砂利が敷かれた、広場。その真ん中に建つ祠。そこに顔を向け、正座する祖母。
 
 
なにをしているの?
 
 
沸き上がった疑問。しかしそれを声に出せず、美影は木陰に身を潜めた。正座したまま、深々と頭を下げた祖母。数秒後、鈴をぶら下げた紐を玉砂利の上に残し、頭を戻して立ち上がる。その足が向かうのは、祠。
 
広場を囲む木々に身を潜ませながら移動した美影。祠を横から覗ける場所で留まり、祖母の顔を確認。祖母の視線。じっと見据えるのは、祠の正面。数秒も経たないうちに祖母の両手が祠に伸びた。ギッという摩擦音。開いた観音扉。祖母は一礼して中へ。
 
 
なかでなにをしているの?
 
 
ギギッと軋んだ裏壁が、祖母の手によって開放される。まるで扉。祖母は正面に戻り、手元で蝋燭に火をつけて、祠の中に据えた。
 
玉砂利を小さく鳴らしながら、祖母は鈴を置いた場所へ。祠に体を向け、玉砂利の上に正座。伸びた背筋。静寂に響くカラスの声。吹き抜けた風。風が存在を強めてほどなく、祖母は口を開いた。
 
「開山(かいざん)!」
 
言い終えて頭を垂れ、鈴のついた紐を腰に巻きつけると、祖母は祠に背を向け、振り返ることなく、木立の中に姿を消した。
 
美影は祖母の背中を追わず、祠の正面に走り出た。中には台座も神仏の姿もない。火の消えた蝋燭が1本、地べたに立っている。
 
 
これはなに?
 
 
祠の裏側も開いていて、向こうの景色が見える。繋がった、表と裏。祠の屋根にカラスがとまり、大きく一度、声を上げる。
 
 
もどらなきゃ
 
 
玉砂利を鳴らした美影。祠に背を向ける直前、蝋燭の白に、何かが重なった。小さな存在。着物姿の背中。結い上げた黒髪。青白い首筋。
 
 
あれは
つくもがみ?
みんわのえほんでみた
きもののつくもがみみたい
そんなのほんとにいるの?
 
いるんだ
だってばあちゃんがまもる
やまだもん
 
 
高鳴る鼓動。疑問は好奇心に早変わり。美影は祠を通り抜け、小さななにものかを追った。
 
気づけば川沿いを歩いていた。進むものを追って、足場の悪い道を行く。しばらくして、前方に滝つぼが現われた。
 
着物姿のなにものかは、滝つぼの上を目指す。ぴょこんぴょこんと身軽に岩場を登り、そして、滝つぼに落ちた。
 
美影は岩場を登り、身を乗り出して、滝つぼを覗き込むつもりだった。足が滑った。声を上げる間もなく水の中。
 
 
くるしい
くるしい
くるしい
たすけて
 
 
水面に伸ばした手を引く者があった。水から出たと同時に激しく咳き込む。背中をさすって抱き上げてくれたのは、男。自分と同じ髪の色の男だった。
 
美影は泣いた。男はずっと、頭を撫でてくれていた。おぶわれて、祠に戻った。
 
祠の前で、男は美影に石を見せた。綺麗な水色。半分濁ったように、白くなっている。男は、それを美影の手の平に置いた。そしてその手を、大きな手の平で包み込んだ。
 
 
これをみかげにあげたいひとがいる
これのことはひみつ
また、ここでな
 
 
どうして
わたしのなまえ
しっているの?
 
 
男はにっこりと笑っただけで、理由を教えてはくれなかった。
 
気づいたら、家にいた。全部夢だったのか。ぼうっとしていたら、祖母が帰ってきた。何人か知らない大人もいて、みんなが驚いた顔をした。みんな、どこへ行っていたんだ、と口にした。山の中、と答えた。
 
その時は本当に、男のことも、石のことも、忘れていた。しかし、不思議な祠のことは、忘れなかった。行ってはいけない場所のように思えた。そう思っても、また足を向けてしまった。
 
ある日、祠に向かっていると音がした。トントン、トントン。
 
 
だれかがとびらをたたいている
 
 
走った。広場に着いてすぐに、祠の扉を開けた。表を開けて、がらんどうの空間に入り、裏の扉も開けた。
 
あの男がいた。とても優しい笑顔。男はまた、美影の頭を撫でてくれた。その日から、祠の扉を開けるのは美影の役割になった。
 
 
***
 
「これが、山神の庭に通じる門だとは知らなかった?」
 
灯馬の言葉に、美影は心臓を叩かれた。山神の庭は、民話の登場する架空の場所では。
 
「そんな場所、本当に存在するの?」
 
なんて稚拙な問いだろう。思って、美影は俯いた。その耳に、久遠の響きが触れる。
 
「お前は祠を開け、向こう側にいた誰かと会った。その石は、名前も知らない誰かからもらった。それは、確かなんだな?」
 
美影は頷いた。そして石に触れる。自分がもらったものだと、確かに思い出した。しかし、祖母が持っていた。祖母に渡した記憶はない。いつ、どのタイミングで、祖母はこの石の存在を知り、隠し持っていたのだろう。なぜ自分は、石の存在を忘れていたのだろう。
 
取り戻した記憶は、新たな謎をよんだ。美影は加速した鼓動に促されるように、立ち上がり、外したフードをそのままに、雨の下へと足を進めた。
 
道を探しあぐねる子どものように、祠周辺を歩き回る。掘り起こされた記憶の中に勘違いが混ざっていないかどうか、繰り返し確認する。時折空に顔を向け、祠に視線を飛ばし、口元を動かす。そして再び歩き始め、首を縦に振る。
 
そんな仕草を何度か繰り返した後、美影は久遠と灯馬のもとへ。雨にしな垂れた前髪を払い、2人に視線を。
 
「鷹丸さんからの報告書、私が行方不明になったって書いていたの、覚えてる?」
「ああ」
「向こう側に行ったのは、その時だけ。そのあとは、あの人が……赤い髪の人が、祠からこっち側にきていた」
 
美影は言葉を切った。九十九山で発見された遺体の写真を思い出した。繋がってしまった。点と点が繋がって線となり、記憶の道に合流した。頬に一筋、流れるものがあった。美影はそれを雨と偽って、拭いもせず、言葉を繋いだ。
 
「あの人のことも石のことも、なんで忘れてしまったのか、わからない。なんで記憶が急に戻ったのかも、わからない……ばあちゃんが、私に何かしたの?」
 
久遠は一瞬、自分の横を目で示した。座れ、ということだろう。美影は頷き、もといた場所に腰を下ろすと、一度深呼吸をして久遠に視線を投げた。久遠は美影の首に下がる石を指さした。


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