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宿災備忘録-発:第4章2話②

「だめだ!」
 
声を放ったのは、茜色の着物に身を包んだ少女。美影と久遠、2人の視線を受けた少女は、首を横に振りながら駆け寄り、襖に伸びた久遠の手を制する。
 
「だめだ、はいっては、だめだ!」
 
ぎゅっと久遠の手を握った少女。その声に、美影は強く反応。
 
 
――この声を知っている
 
 
夢の中で聞いた少女の声。可憐さを含んだ残響は、確かに夢の中の音と同じ。
 
久遠にじっと顔を覗かれ、少女は沈黙。その目に涙が滲む。久遠は、その涙を拭う仕草を見せず、美影に視線を。
 
「あ……えっと」
 
小さく零した美影。反応を示した少女。美影はしゃがみ込み、少女の潤んだ瞳と、視線を合わせた。
 
「大丈夫、ここは開けない。開けない……びっくりさせて、ごめんね」
 
少女の白い頬に涙がつたう。美影はそっと、小さな肩に手を伸ばし、静かにさすった。少女は久遠の手を解放し、美影の手を取って、回廊を歩き始めた。
 
美影は少女に手を引かれて回廊を歩き、裏口らしき引き戸から外へ。少女は裸足に草履。美影と久遠は靴下のまま。
 
雪に足跡を残し、辿り着いたのは小さな茅葺屋根の小屋。中はほのかに温かく、炭の燃える匂いがした。少女は上がり框に腰かけ、美影は少女の隣に。久遠は戸口に佇んだまま。
 
美影は、涙が去った少女と視線を交えた。じっと見上げてくる黒目がちな目。幼い面立ち。10歳にもなっていないだろう、と美影は思いながら、静かに言葉を紡いだ。
 
「さっきは勝手なことをしてごめんなさい。私は、山護美影。この人は、槙久遠……貴方の、お名前は?」
「フキ」
「フキちゃん……よろしくね」
 
小さな会釈の後に、美影は笑顔を加えた。それに安堵を覚えたのか、フキは表情を和らげ、美影の頭部に視線を移した。
 
「ソウヤとおんなじだなあ」
 
小さく、ぽつり。フキの口から零れた言葉が、美影の呼吸を奪う。
 
「ソウヤは、ここに居たのか?」
 
美影が言い損なった問いを、久遠が代弁した。フキは頷き、
 
「んだども、しばらぐかえってきてねぇんだ」
 
音を止めたフキ。美影の視線は久遠へ。久遠は微かに頷いた。美影は、もうひとりについて、問いを。
 
「女の人も、一緒にいなかった?」
「みこさま?」
「あ、えっと……ハルさんっていう人なんだけど、巫女様が、ハルさんなのかな?」
「みこさまのなまえは、しらねぇ」
「そっか……ありがとう」
 
美影の視線はフキを離れ、久遠を捉える。美影の視線を、問いのバトンタッチと受け取ったのか、久遠はすっとしゃがみ込み、フキと目線を合わせた。
 
「あの襖、なぜ開けてはならないんだ?」
「……かみさまのばしょだがらって、みこさまが……」
「あの中を、見たことは?」
「ねぇ」
「そうか……これまでに、ソウヤ以外の男を見たことは?」
「おとこ?」
 
言ったフキと同時に、美影も久遠を見据えた。
 
「背が高く、髪は黒……俺に似た男なんだが」
 
言葉を繋げた久遠を、フキはじっと見上げ、首を横に振った。
 
「巫女なら、ここに誰がきたのか、知っているか?」
「わがんねぇ」
「そうか……ところで、馬が屋敷の入り口に戻っているが、厩はあるのか?」
 
フキは大きく頷き、軽やかに土間に飛び降りると、雪に霞む庭へと走り出た。
 
「すぐにもどってくっから!」
 
美影と久遠が返事をするよりも早く、フキの足音は雪に吸われ、背中は白に霞んだ庭に溶けた。フキの気配が去り、美影と久遠、ふたりだけ。
 
美影は速まった鼓動を制しようと、強く奥歯を噛んだ。
 
 
――久遠に似た男?
  誰?
  その男の人と
  ここと
  私と
  なにか関係があるの?
  聞いていい?
  聞かないと
  今ここで聞かないと
 
 
「フキちゃんに聞いた、男の人のことだけど……こっちの空間に辿り着く途中で見た、男の人?」
「ああ」
「……誰なのか、見当がついているの?」
「父親だ」
 
久遠は、きっぱりと言い切った。そして、美影の隣、腕を伸ばせば肩を叩ける位置に腰を下ろし、乾くはずもない靴下を脱ぐ。視線は戸口の外へ。
 
積もる雪は折り畳まれた絹ように滑らかで、そこに蔓延る冷たさを巧みに誤魔化している。そんな世界を見つめたまま、久遠は静かに言葉を紡ぎ始めた。
 
「お前に話していないことが、いくつかある……今、話してもいいか?」
「……うん」
「俺には2つの災厄が宿っている。台風、そして豪雪。お前に宿るのは、大雨と大雪。気質が似ているから、気を通わせやすい。だから少し、油断したのかもしれない」
「油断?」
「言葉にしなくても、互いに理解できるのかもしれない、と」
「あ……いや、それは私も悪いから。ちゃんと話さなかったのは……うん」
 
足にへばりつく靴下を脱ぎ、久遠と同じ視線をとって、美影は音の再開を待った。
 
「俺の父は、歪みが生じた結界の修復を生業としている。脱厄術師(だつやくじゅつし)と呼ばれ、結界を強固な物にし、空間の均衡を保つ、その任を与えられた者だ」
「ダツヤク、ジュツシ……」
「宿災と同じように、脱厄術師も結界を纏っている。しかし災厄は宿っていない。血が受け継がれる過程で災厄が放たれ、結界だけが残ったと考えられている……灯馬が空間を越えられない理由は、祠の前で話したよな」
「あまりに多くの災厄が宿っているから、もしそれが放たれれば、空間の均衡が崩れる……」
 
信じがたい事実を、美影は恐る恐る音にした。その隣で、久遠は頷きを。
 
「脱厄術師は災厄を宿していないため、頻繁に異空間を行き交っても均衡を崩す恐れはない。灯馬のような偽宿に結界を施すのも脱厄術師の務め。灯馬の結界も、俺の父が施した。おそらく、お前にも」
 
そこで言葉を切り、久遠は戸口の向こうの白の世界に視線を飛ばした。じっと、まるで時が止まったかのような静。
 
 
――話は終わり?
  この静寂は?
  私が考える時間なの?
  それとも何か考えている?
  それとも無口な男に戻っただけ?
 
 
美影の視線。久遠が見つめる雪景色へ。積もる白に、答えを求める。
 
 
久遠の父
脱厄術師
結界
修復
均衡
偽宿
灯馬
 
 
祠の前に残る灯馬の言葉が、美影の中に再生される。
 
 
私には何重にも及ぶ結界が施されています
結界と結界が触れ合った時、強固な結界は一方の結界に損傷を与えます
空間に張られた結界を革の盾とするなら、私の結界は鋼
同じ盾でも強度が違う
鋼が力を誤れば、革は容易に傷つく……
傷ついた結界は、そう簡単には治せません
僅かな傷が均衡を崩すことも、あり得ますからね
もしも空間の均衡が崩れたなら、その時は――
 
 
接しているどちらかの空間が消滅する。
 
 
美影は灯馬から告げられた言葉を思い出し、拍を速めた。空間が消滅するなんてことは、想像し難い。しかし無理にでも想像すれば、恐ろしくて、落ち着いてはいられない。
 
 
怖い。思って、美影は深く息を吸い込み、細く吐き出した。深呼吸を繰り返す美影の脳に描かれるのは、灯馬の姿。
 
 
大丈夫です
久遠が一緒なら、貴方は真実を見つけて、必ずここに戻ってこられます
それに、ここに施された結界は素晴らしい
貴方に施されたものも……
安心して下さい
私はずっと、ここで待っていますから
 
 
柔和な笑顔の持ち主は、久遠も、結界を張ったもののことも、信用している。だからきっと、大丈夫。
 
美影はひとつ深呼吸をし、黙したままの久遠に視線を。確かめておきたいことがある。
 
「……貴方のお父さ」
「貴方はやめてくれないか。灯馬以外に言われると、何だか落ち着かない。名前でいい。敬称もいらない」
 
視線を雪景色に留めたまま、呼ばれ方にこだわりを見せた久遠。美影は数秒沈黙し、改めて口を開いた。
 
「久遠のお父さん、今回の件に関わってるの?」
「おそらくな」
「それを確かめるのが、久遠の、本当の目的?」
「そうだ」
 
答えは、あっさりと。覚悟の数秒すら与えられなかった。美影の中、でき上がった思考の空白。久遠の横顔。放った答えを補足する様子はゼロ。
 
近づいたようで、再び遠ざかる距離。美影の背中に、寂しさに似た落胆が、じわじわと覆い被さった。


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