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宿災備忘録 四季 対岸の君と逡巡の季節 秋・弐1

 奥多摩の秋は賑やか。木々は各々の色に染まり、虫達は己の命を確かめるかのように音を奏でる。鷹丸家の庭にも、その気配は入り込んでいた。そして別の賑やかさも加わっていた。

 中庭に面した座敷。深遠は吾一とともに、庭にある賑々しさに目を細めていた。

「純一は、来月で四歳になります。夏津葉(かづは)は夏で、二歳になりました」

 深遠が【あちら側】から戻る間に、鷹丸家には長男と次女が誕生していた。深遠が見たところ、二人とも災厄は宿しておらず、不可思議な現象を目に映すこともない。宿災ではないとの判断を伝えた時、吾一の顔は安堵に緩み、その目に、僅かばかりの涙を滲ませた。

「純ちゃん、夏津ちゃん、おやつにしましょう」

 軽やかな足取りで縁側に現れたのは、維知香。高等学校を卒業し、呉服店の手伝いをしているという。家にいる時は、弟妹の世話に勤しんでいるのだとか。

 にこやかに柔らかに、幼子と接する姿。セーラー服に身を包んでいた六年前には、全く想像のつかなかった光景を前に、深遠は微小の後悔を覚えていた。維知香の六年を、知らない。他者がいつしか年を重ねることなど、これまで当然であったのに、自らの気持ちを認めてしまったがゆえ、口惜しく思う。

 幼子達は維知香に良く懐いており、年が離れていることもあって、まるで維知香が母親のようにも見える。そうではないと理解しているにもかかわらず、深遠は何度も道行の言葉を思い出してしまった。

 自分以外の男が彼女に触れ、重なり合う
 そいつの子を産んで、その子を抱いて喜ぶ

 まさか疑似体験をするとは思わなかった。失笑は、心の中で。

 昨日、深遠は【こちら側】に戻ってすぐ、鷹丸家を訪ねた。吾一に挨拶を済ませ、幼子に宿りがないと確かめた後、維知香が働く呉服店へと足を運んだ。

 ともに正一の墓前にと考えていたが、店主に仕事を教わる維知香の姿を見て、考えを改めた。維知香はもう、子どもでも、学生でもない。大人として社会に出たのだ。以前のように、時間に融通をきかせられない立場にある。深遠はひとり正一の墓前に花をたむけ、戻りの挨拶をした。そして維知香への思いを、墓前に誓った。

 弟妹に挟まれ、縁側に座る維知香。その横顔は、やはり少女の頃のそれではない。そう感じ、昨日味わった侘しさが蘇る。しかし感傷には浸らず、自らに言葉を。

(当然の変化だ。そうでなければ困る)

 胸の内で呟いたそれは、本心なのか偽りなのか。おそらく両方であると判断し、深遠は吾一に頭を下げ、腰を持ち上げた。

 自宅へは戻らず、何を求めるでもなく歩く。ふと楓の赤が目に入り、足を止める。

 乾いた風に揺れる、繊細な造形。枝葉の奏でる音は、何の抵抗もなく深遠の中に入り込む。滑らかに、たおやかに。まるで、生まれる前から知っている音であるかのよう。

「深遠!」

 ふいに鼓膜を叩いた音に振り返る。駆け寄ってくる維知香。腕に風呂敷包を抱えている。

 維知香は深遠の前に辿り着くと、肩で大きく息をしながら呼吸を整えた。

「やっと追いついた……もう、帰るなら声をかけてくれてもいいじゃない」
「すまない……子供達の相手で忙しくしているものと」
「忙しいけれど、貴方に挨拶できないほどじゃないわ……これ、たくさん作ったから後で食べてね」

 ふわりと目元を緩め、維知香は胸に抱えていた風呂敷包を深遠に差し出た。両手で受け取ったそれは、仄かに温かい。

「蒸しパンよ。子ども用にお砂糖を控えて作ったの。ちょっと薄味だけど、こっちのほうが貴方向きだと思って」
「ありがとう」

 感謝の念を伝え、深遠は沈黙。維知香は笑みを携えたまま、深遠を見つめる。

 空間を揺らすのは、木々のざわめき、鳥のさえずり、虫の声。そこに己の心音が混ざり合ってしまうようで、深遠は思わず咳払いをした。

「喉の調子が悪いの?」
「いや……仕事は、順調なのか?」
「どうしたの、いきなり……心配してくれているの?」
「多少。周囲の人間とうまくやれているのかは、気になるところだ」
「少しは成長したのよ。灯馬のおかげかな」
「灯馬の?」
「そうね……そろそろ戻るわね。お夕飯の支度をしないと。じゃあ、また」
「送ろう」
「大丈夫よ。逢魔が時でもないし。じゃあ!」

 妙にからりとした口調で深遠に別れを告げると、維知香は駆け足で、来た道を戻って行った。


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