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「私の特性=ASDの特性」という思い込み。

 今日は「世界自閉症啓発デー」です。
 私にとっては「当事者の一人として、何か発信しないといけないのかな…」と思う日でもあります。
 この「何かしないといけない」と思ってしまうのが「いかにもASDらしい」かもしれませんね。

 実は最近、ここやTwitterでASD当事者である私の感覚を発信することが、かえって当事者が望む「真のASD理解」の妨げになっているのではないか?と思うようになってきました。
 私自身、ASDの特性について少々思い込みと勘違いがあった気がしています。

 おそらく、私のASD特性(内向的、無口、神経質、不器用、目を合わせない、視覚優位、理系や語学が得意etc.)はたまたま多くの人がイメージするASD像と合致していて「わかりやすい」のだと思います。しかし、実際にASDの診断を受けている人たちの多くは必ずしも私と同じ特性ではないですし、中には「全然違う」という印象を持つ当事者の方も少なくないのです。

 よくASDの特性として「白黒思考」が挙げられます。確かに私自身にも「白黒思考」があります(実際人からよく「何でも白黒はっきりさせないと気が済まないタイプだね」と指摘されます)。

 でもTwitterでFFになっている他のASD当事者の方のツイートを見ると、本来「白」でも「黒」でもない状態を私のように雑に「白」か「黒」に振り分けたりせずそのままの状態でとらえよう/理解しよう/表現しようとしているように見える方が少なくありません。
 「それは『白』とは限らないんじゃないだろうか?」「それを『黒』と言い切るのはどうなんだろうか?」と問い続け考え続ける彼らの緻密で慎重かつ誠実な姿勢に私自身学ぶところが大きいと感じています。

 また最近の「ASDで本を読まない人なんているの?」という私のツイートに対して引用RTやリプライで「うちのASD夫は全く本を読みません」「私もASD当事者ですが本はほとんど読みません」という反応が多数ついたことで私が長年抱いていた「ASDは非言語コミュニケーションを伴う人付き合いが苦手な分、活字中毒で読書好きが多い」というイメージがただの思い込みであることに気づきました。確かに認知タイプの違い(視覚優位/聴覚優位、同時処理/継次処理etc.)や言語性IQの凸/凹、LDの併発や二次障害の抑うつ状態(私も経験がありますが文字を何度見ても内容が頭に入らない)などで「本を読まない/読めない」人がいてもおかしくはありません。
 「ASDは読書好き」というのは「ASDは理系が得意」と同じぐらい雑な決めつけだったかもしれませんね。

 いくら私がASD当事者であるからと言って、全てのASD当事者が私のように感じたり考えたりするわけではないのです。
よくよく考えてみれば自閉「スペクトラム」なのだから人によって特性の出方が違うのは当たり前のことなのですが、これも自他境界の曖昧さから来ているのでしょうか。

 今回は私がASDについて「啓発される」お話でした。読んでくださいましてありがとうございました。

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