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2024年 みつけた、お金より大事な仕事

 実家に帰らず、バイトをすることにした19歳の夏休み。

「ここ、どこ?」
 バスから降りた炎天下。私は、該当の建物を探していた。手元の地図を見ながら、30分歩き回っている。

 マニアックな小路が多いと聞いていた、この西川町。他の土地とはなにか違った空気が流れてるような……気のせいか。
 時給につられて申込みしてしまったけれど、なんてわかりにくい道。

 腕時計の針は、集合時間15分前を指し示していた。

 アスファルトから、水飴の粘りを思わせる蜃気楼がのぼっている。蒸気が吹き出す自分の額。目の前がくらりと歪む。

「やばいなこれ」

 そばにあった見知らぬ青緑色のビルに、駆け込んだ。一階にはロビーとエレベーター。自販機の陰に立ち、灼熱の太陽からのがれる。

 これ間に合うかな。こんなとき持ち歩ける電話があればいいのに。なんてね。公衆電話探さないと。

 財布を開けると、10円玉も100円玉も入っていない。自販機でお金くずしとこう。ポカリ飲みたいし。

 細長い隙間に500円玉を入れたとき、エレベーターの扉が開いた。降りてきた四十代くらいの女性と目があった。
「あっ、古舘さん!」
「えっ?」
 そのひとはカツカツとヒールを鳴らして、私に直進してくる。
「15分の遅刻ですよ!」
「ええっ? あ、すみません……?」 
 あれ、バイト先この建物だった? 
 女性の胸元ネームをちらっと見る。新堂。バイト担当者の名前は、今田のはず。
「早く一緒5階行きましょう!」
 ベージュのネイルが、エレベーターの上ボタンを押す。扉はすぐに開いた。
「あ」
 ポカリ……なんて言ってる場合じゃないか。500円痛いな。しかし、5階って? 玄関に集まって、貸し切りバスでイベント会場に連れてかれるはずなんだけど。

 会場に入ると、テーブルに座った男女の背中が何列か並んでいる。電話で受け答えしている声が飛び交っていた。

「この電話に、学生たちから悩み相談がかかってきます」
「え」
「夏休みは小中高生たちが相談をしやすいチャンスです。アフターコロナのケアも含めて、心の闇を取りこぼさないよう応対して下さい」
 あふたーころな?
「あの、私、講演イベント会場のバイトに応募したんですが……」
「イベント? 何を言ってるんですか? あなたがこれに申込みして受かったんですよ」
「受かっ……てるんですか?」
 新堂は、いぶかしげな顔で名簿を見た。
「古舘さんですよね? 住所は市内北区光名町、光名大学文学部心理学科1年の?」
「はい。そうです……」
「面接合格してますね、というより私が合格させてるので。ナゾのセリフを言ってないで、すぐ席について下さい」
 私は仕方なく席についた。なんなんだろう、これ。なんの間違い? あと、電話のわきにある四角い薄い機械、これ何?

「そう、そうなんですね。でもその趣味があれば、新しい学校でもなじめますよ大丈夫」
「ですかねー、だと嬉しいです。うち親がスマホ買ってくれないから、なかなか話合わなくて」
「すまほ?」
「でもパソコンで情報しらべて、なんとかがんばります」
「あ、ああ、そうですね……」
 パソコンて、ずいぶん高価なシロモノでは? 小学生が扱えるわけが。親、エンジニアなのかな。
「ありがとうございました。相談できて良かったです」
「あ、……お役に立てて良かったです。また悩みがあったらいつでも電話して下さいね」

 会話を終わるときの例文マニュアル見ながら、相手が電話を切る音を聞く。受話器をおろす。
 はぁ疲れた。なんだかわかんない単語があったのよね。新種のゲーム機とかだろうか。
 ……相談できて良かったです、か。地味で目立たない私に、誰も相談する人なんていなかったな、今まで。

「古舘さん、電話の合間に、どんな相談を受けたかパソコンに打ち込んでおいて下さい」
 後ろから新堂の声がする。
「へ? パソコンに」
「ええ。面接で説明したでしょう」
 素人でも使えるの?
「ほら、ノートパソコンひらいて」
「え? あの、ノート?」
 まさか、この薄い物体が……パソコンてでかい箱だよね。
「なにぼうぜんとしてるんですか、私よりずっと若いのに」
「あの、すみません」
 吊り目が、ちらりと私の髪や服のあたりを観察する。
「そういえば、古舘さんてなんだか、2、30年前くらいの女子を思い出して懐かしいわね」
「……」
「あ、余計なこと言って失礼かな。今リバイバルブームだもんね。慣れない機種でも、マニュアルそこにありますから」

 そういえば前の席のバイトたちも、薄い機械をカチカチ鳴らしている。私はそもそも、これをどうやって開くかわからない。
「ああ、ここをスライドしてね、ここ電源ね」
「ありがとうございます……」
 隣の席の女性が教えてくれた。還暦も近そうなお母さんが、普通にこの物体を使いこなしている。

 そして、パソコンの画面に出てきた日付。 

 2024/08/01 

 何この冗談。今1994年だよ。30年未来?
「……」
 新堂が見廻るヒールの音が、床に響く。どっちにしろ、今ここから抜け出せる雰囲気じゃない。

 泣きそうだが、マニュアル本を開く。
 マウス? クリック? それでも説明は、なんとか直感的にわかる仕組みになっていた。
 文字打ちそのものは、ワープロとそんなに変わらない。良かった。それでも、報告書と書いてある場所の上で、何をするにもズレたりブレたり。
 ああ、また電話が鳴る!

「そう、それは大変だったね。でも運動できないからって、恥ずかしいことじゃないですよ。クラスの3分の1くらい、運動神経良くないしね」
「そう、ですよね……」
「それに、大人になったら運動なんてほとんどしないんですよ」
「あ……そういえば、お父さんたちも何もしてない。スマホとか動画見てばっかり」
「うん? あ、そうね……。だから、運動のことなんか気にしないで、自分の得意なことを探していって下さいね」
「そうですよね。ありがとうございます」

 話はじめより明るくなった声で、お礼を言われる。このバイト、思いがけなかったけど悪くないのかも。心理学科の自分には、むしろこんな仕事のほうが向いている。

 カチカチとパソコンを叩く音、他のバイトたちが答える声。隣のお母さんが机の上に出している小さなもの、それが多分、すまほ、なんじゃないかとわかってきた。

 自分がいる時代と、この部屋の中はさほど大きく変わらない。それでも、のーとパソコンと、すまほという未知のものが、私の目の前に現れた。そして今私は、未来の子供たちと会話しているんだ。
 なんでこうなったかはわからないけど、すごすぎる。とにかくこのバイトを続けてみよう。

 報告書、の上で、また右クリックとやらをして開く。必要な場所に、カーソルとやらを合わせるのも出来るようになった。
「あら古舘さん、この機種にとまどってたようだけど、打ち込みスムーズにできてますね」
 新堂が後ろから、パソコン画面をのぞきこんできた。
「さっきロビーの自販機で、飲み物買おうとしてたんじゃない? 気づかないで連れてきてしまったわね私」
 腕のわきに、コトリと500円玉がおかれた。
「あ!」
「やっぱりそっか。あとこれは、今日からバイトの新人さんへの差し入れです」
 ポカリのボトルが、硬貨のそばに置かれた。
 私の深々としたお礼をさらっとかわして、新堂は隣のお母さんのチェックに移っていった。
 水蒸気のにじむボトルを開ける。乾いたのどに、ひんやりが通っていく。
 ポカリの味は、未来も変わらないんだな。

「そう、それは大変だったね。でも、勉強できないからってたいしたことじゃないですよ。クラスの3分の1成績なんて良くないですからね」
「……」
「必ずしも成績と幸せは比例しないですよ」
「きれいごとじゃないですか、そんなの。やっぱりいい高校に行きたいし」
「……まあ、確かに学歴があるほうが有利なことは多いですけども」
「私は勉強苦手だけど、親や周りに誉められたい」
「うーん、勉強苦手なりに頑張っていればそれで認めてくれるのでは」
「認めてはくれないんですよね、うちの親。中学生になってからは特に厳しくて」
「勉強以外で成果をあげるようにしてみては。何か得意なことは?」
「得意なことなんて何もない」
「何もってことはないでしょう、好きなことならありますよね」
「ないよ」
「これから探していけますよ」
「頭も悪い、運動も文化系もなにも出来ない、かわいくもない、友達も少ない、性格もナマイキで暗い、これでなんかが見つかるわけない」
「……」
「私のことわかんないくせに、てきとーにその場しのぎのこと言って。やっぱり大人なんかキライだ」
「……」

 水滴の落ちるポカリのボトルを、つかむ。弱くしめておいた蓋を片手で開け、一口飲んだ。
 私のことわかんないくせにって、わかるわけないだろ、会ったこともないのに。バイトだから金のため話してるんだよ。

「……確かにあなたの自己申告からは、なんの取り柄もない様子ですけれどもね」
「!」
「それに口調はナマイキで暗いね、確かに」
「……」
「頭も運動も文化もできないのは仕方ないけど、ナマイキでも暗くても自分のしたいことを見つけるしかない。多分その性格だと、したいことがあっても自分で抑えてるのかな」
「!……そんなこと……」
「顔は大人になればメイクや髪で、雰囲気でかわいく見せることもできる」
「ムリだよ。もともとかわいいんだよそんなひとは」
「そんなことない。私だってかわいくないけど、メイクしてからマシになった」
「そう、なんだ」
「勉強もたいして出来なかったけど、心理学だけは興味あったから頑張って大学推薦取った。偏差値も良くない大学だよ、でも今毎日楽しい」
「……そう……なんですか……」

 窓から刺す夕日が傾きかけてきた。一人残って、報告書を書く。
「古舘さん、また次来たとき打ってくれたらいいですよ」
「ハイ……すみません」
「あら」
 新堂が背後で、軽く驚きの声をあげた。
「ずいぶん変わったお礼を言われたのね」
 本音でぶつかってきてくれてありがとう、お姉さん。
 落ち着いた声が、画面のその文を読み上げた。
「かたくなな相談者の心を開かせたんなら、良いことしましたよ」
 私は少し苦笑した。挑発的口調についカチンときて、本音が出てしまっただけなのに。
 それでも、むき出しになってはじめて相手の心を動かすことができた、ってことになるのかな。

 日暮れが差し込んでいる一階ロビーで、ガラス戸の前に立った。
 どうやって来たかもわからないのに、無事帰れるだろうか。2024年なのに、同じアパートの同じ部屋に私は住んでるんだろうか?
 ああ、もう考えてもしかたない。
 重い扉を開けた。

 今でもこの通帳を見ると、不思議に思う。

 1994/08/03 ニシカワイベントキカク  ¥5600 

 私がする予定だった、臨時イベント手伝いのバイト先からの入金。

 30年前、あのバイト帰り、普通にバス停にたどり着きアパートに帰ってきた。
 203号室のポストの表札に、古舘、と書いてある。どれだけほっとしただろう。

 次の日また、西川町に来てみた。電話相談の会社が入っている青緑色のビルを探したが、どうやっても見つけられない。
 逆に、あんなに辿り着けなかった西川イベント企画、の派手な看板はあっさり見つかっている。
「あ、古舘さん昨日はお疲れ。今日はどうしたの? バイト代金は明日には振り込みますよ」
 本来のバイト担当者だった今田が、平屋の窓から私に気づいて声をかけてきた。
 苦しまぎれにごまかした、自分の愛想笑い。

 あれからバイトを探す気が起きず、地元に帰省した。結局5600円しか稼いでいない、大学一年の夏休み。
 時もお金の価値も超えた、あのまぼろしのバイトは一体……。

 「西川町 子供 電話 相談」
 スマホで検索してみた。
 何十年もの間あのバイトを思い出すたび、この単語をパソコンやガラケーで調べてきたが、それらしきものは出てこなかった。そのうち、記憶から薄れていたのだけれど。

 それが今、西川学生電話相談室、という法人の名が目にとまった。心臓が騒ぐ。
 設立2024年1月。出来たての会社だったんだ。
 西川町10の35。グーグルマップで眺める。まだ最新のマップになっていないらしい。他の建物が、写って……
 「待って、この平屋」
 西川イベント企画、の看板。派手なロゴに、さびが入っている。

 またクロームに戻る。西川イベント企画、と打つ。こっちのほうは、何年か前つぶれてるみたい。住所は、西川町10の35……?

 同じ住所にあぜんとしていた私の耳に、日常の音が入ってきた。
「これ見てー」
 娘が制服のままリビングにやってきて、スケッチブックをめくる。
「自信作できた!」
「…………あ、うん? どれ見せて……」
「あれ、なんか顔色悪い?」
「いや、ちょっと驚くことがあっただけ。たいしたことない。……ふうん、この服かわいいじゃない」
 デザインなんか仕事にならないんだから、勉強していい高校行きなさい! 
 言葉を飲み込んで、まずまずのイラストを私は誉めた。画用紙の隅に、今日の日付が書いてある。
 2024.06.01
「やっぱりそう? 皆もうまいってほめてくれた!」
 不器量な口元が、花のように笑う。いずれメイクするようになれば、この子もそれなりに見られるだろう。

「で、あの……この前の模試なんだけど」
「その感じは、また落ちたね?」
 合格判定20% 手渡された成績表の文字。
「真ん中くらいの高校でもムリだよもう……」
「偏差値と幸せは、必ずしも比例しないよ」
「それってきれいごと……とか、心配しなくて大丈夫なんだよね?」

 きれいごとじゃないですか、そんなの。

 30年前に聞いた同じ声が、脳裏に蘇る。

「うん。高い学歴は有利かもしれないけど、頑張るだけ頑張って、自分が入れるとこに入ったらいいよ」
「県立ではもう2つしか下にないけど」
「いんじゃない? 専門学校に行きたいんなら、特に高校気にしなくても」
「そっか……そうだよね」 
 ほっとゆるんだ娘のほお。またスケッチブックを開いて、笑顔で自分の絵をながめている。

 スマホが鳴った。仕事依頼の通知ボタンが点く。
 いま私は、学生悩み相談サイトを立ち上げ、子供たちの苦しみに寄り添う仕事をしている。

 2ヶ月後の8月1日、西川学生電話相談室にこの娘が電話することも、きっと、ないだろう。





 





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