対等な人間同士の対話 #忘れられない先生
こんにちは
文章で食べることを目指して練習中の歩人です。
昨日復帰して、お題を執筆したのが楽しかったので、今日もお題に挑戦したいと思います。
今日参加するのは、#忘れられない先生
私が小学5-6年生の時の、担任の先生のH先生の話です。
ちょっと荒れ気味な学年
今思うと私の学年は若干荒れ気味な学年だったと思います。
3組までありましたが、1組は担任の先生をなめ切っていて宿題を出す人は毎日数人。授業中も話を聞いているのは中学受験を考えている子と、一部の真面目な子だけ。
2組は比較的穏やかなクラスでした。
そして私がいた3組は、基本的には至って普通のクラスでしたが、とある先生とだけ相性が悪く、その先生の授業ではふざけたり、話を聞かなかったり、授業の邪魔をしたりと、態度が悪かったのを覚えています。
事件は午後、理科の授業中に
相性が悪かったその先生は、理科と少人数の算数の授業をしているO先生でした。
理科の授業は実験などもするので、2時間連続になっていたような気がします。
その日は午後から担任の先生が出張か何かで午後から不在で、学校にはいませんでした。
そんな5時間目の授業中。
誰が言い出したのかも覚えていませんが、いつもようにふざけていた子たちが、担任がいないので気を大きくしたのか「ボイコットしようぜ」という流れになりました。
わざとうるさく喋ったり、注意する先生に口答えしたり、、
O先生もついに我慢の限界が来たのか、ついに「嫌なら出ていきなさい」と言ってしまい、挑発していた子たちは待ってましたと言わんばかりに「じゃあ帰るね!」と言い残し、バラバラと理科室を後にしていきました。
理科室に残ったのは結局10人程度。
私自身は後で怒られるのは嫌だったので、ボイコットには参加しませんでした。
同じ机の子が中学受験を控えていて、成績に響くようなことはしたがらなかったというのもあります。
子どもながらに「あーこれ明日先生に絶対怒られるだろうな」と思ったのは今でも覚えています。
対等な人間としての話し合い
翌日、担任の先生とクラスの話し合いの時間が設けられました。
絶対担任のH先生に怒られると思っていた私。めっっっっちゃ憂鬱でした。
でも驚いたことに、H先生は私たちを怒りませんでした。
以下、一言一句覚えているわけではありませんが、こんな感じで話し合いは進んでいきました。
H先生:昨日理科の授業を途中で退出した話はO先生から聞きました。なんで帰ったの?
何人かが理由を答えると、
H先生:
みんなの意見はわかった。これからは理科の授業も先生がやります。理科の授業が増えても先生の給料は変わらないし、その分時間もかかるけど、みんなに理由があるならその意見は尊重したいと思う。
ここで怒っても変わらないし、それは違うと思うから。
みんなの人としての意見は尊重する代わり、みんなはそれに応えるように、これからはしっかり聞いてほしい。
こんな感じの話をしていました。
てっきり怒られると思っていた私は、呆気に取られました。
今思うと、一人の人間として、対等な人間として向き合ってくれたH先生は本当に貴重な人だったと思います。
当時は先生のこの判断の重みや大変さを全く理解していませんでした。
児童と先生という非対称的な関係性においても、一人の人間として対話してくれたことのありがたみも理解していませんでした。
このありがたみがわかるようになったのは、ほんのここ数年の話です笑
他にも印象に残っている先生
H先生のこのエピソードは、自分の中でも一つの教訓のようなものになっていますが、他の先生でも、印象に残っている先生はいらっしゃいます。
小学4年生のときの担任のS先生。
毎日、授業のうちの15分間を使って、百人一首をするという面白い先生でした笑
S先生のおかげで、今でも百人一首はしっかり覚えています。
高校生のときに部活の副顧問だったT先生。
高校生のとき、大学受験に一度失敗した私は、滑り止めだった大学に行くか、浪人してもう一度第一志望校を目指すか悩んでいました。
そんなときに浪人をする背中を押してくれたのがT先生でした。
T先生が応援してくれなかったら、今の私はいないと思っています。
こう振り返ると、先生に恵まれてきた学生生活だったように思います。
本当にありがたいことです!
私は先生にはなれませんが、先生方から学んだことやいただいた恩を別の人へ、次の人に恩送りしていきたいと思います!
みなさんはどんな先生と、どんな思い出があるのでしょうか。
#忘れられない先生 でいろんなエピソードを読んでみたいと思います。
それではまた明日!
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