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今の私が感じている色々な気持ちを、そのまま書いてみたよ

前回の記事に温かなバースデーメッセージを沢山お寄せいただき、とても嬉しくて&あまりの温かさにびっくりして涙を流さずにはいられませんでした。皆様、本当にほんとうにありがとうございます(´;ω;`)

まるまる30年間、生き抜くことができました




前回の記事でほんの少しだけ触れたとおり、

「誕生や命に対して複雑な気持ちを持ってしまう」

私の中には、(主義というほど強い力を持った存在ではありませんが) やや反出生主義的な価値観があります。

人間は滅びたほうがいいとか、誰ひとり生まれないほうがいいとか、世の中には不幸なことしかないとか、そこまでの破滅的な考えを持っているわけではないのですが……

どこか「人間全員が、生まれてきたことを必ずしも幸せに感じられるわけではない……私は生きるのが下手だから、"生まれてこないほうが幸せだった側" の人間だと思う」という考えを拭いきれないまま人生を送ってきてしまいました。



母親と過ごしていると「どうしようもなく申し訳ない気持ち」をふいに感じることがあります。

産んでくれたことを恨んでいるわけではない、
むしろ非常に育てづらい子だったであろう私を、投げることなく育て続けてくれたことには本当に感謝している。

それでも「人生をやめてしまいたくなる瞬間」をあまりにも頻繁に乗り越えなければならず、そのたびに不安感の重さや胸の痛みを全力で感じてしまう私は……なんのために生まれ、大人になってもなお生き続けているのだろう……答えの出ない問いを、延々と考え続けてしまうのです。


生まれてきて「しまった」以上は、
できるだけ楽しく幸せな日々を生きたい。

死ぬことが「できない」ならば、
できる限りストレスを感じずに生きたい。

生きる「しかない」ならば、
できるだけ嫌なことからは逃げて (強くて立派な人になりたいなんて初めから思ってないし)、自分の感情を尊重して寿命までの期間を快適に過ごしたい。


国内外で災害が起こったり海外で戦争が勃発したりすると、「そういうものをこれ以上見たくないから、せめて自分の周りの世界だけでも平和であるうちに早めに生涯を終えておきたい」という気持ちが強くなってしまいます。なので最近はニュースを意図的に見ないようにしています。「世界情勢を知ること」よりも「死にたいという感情に心を乗っ取られないこと」のほうが、私にとっては遥かに重要だからです。

世界中の全ての国が、もれなく穏やかであってほしい
お互いの国の文化を「いいね!」「素敵!」って
にこにこしながら褒め合えるような世界がいい


30年間、そこそこ長い期間だと思いますが
こんな私でも死ぬことなく生き続けています。

これまでに何度「今度こそもうダメだ、生きることをやめよう」と思ったかわかりません。数え切れないくらいあります。

結局やめられなくてズルズル生きているうちに、
それまでよりも更に苦しい状況がやってきて「やっぱりあの時に終わらせておけばよかった」と後悔したことも幾度となくあります。なのに、今も変わらず生きています。


終わらせられる勇気がなかったのもあります。


でも私の中に猛烈にあった想いは下記です。

幸せになるために生きてるのに、
まだ幸せになれてないのに、
"志半ば" では終われないよ。

「苦しみ部分」だけを味わって
「幸せ部分」を味わう前に終わってしまうのは勿体ない、ただ苦しんで終わっただけの人生になっちゃう。わたしメインディッシュもデザートもまだ食べてない!!


そう、私が生き続けられたモチベーションは「勿体ないから」です。(※これは "幸せになれること" をどこかで信じているからこそ出てくる気持ちな気がしています。)

生きていれば、こんな景色に出会えたり
こんな景色に出会えるかもしれない


頑張っても報われるかどうかはわからない。
自分で努力していろんな快適な環境を整えても、
一瞬にして潰されてしまうかもしれない。
最後まで生きてみても、苦しいだけかもしれない。

それでもやっぱり信じたいし、
自分がどんなことを幸せと感じるか/幸せを感じられない要因は何なのか……みたいなのは自分自身がいちばん知っているので、生き方や生きる場所、誰と一緒に生きるか、なにを軸にして生きるかみたいなことは全部自分で選びたいです。

世の中が厳しく理不尽なことは私の力では変えられないけど、自分を「快適に暮らせる場所」へ連れて行ってあげることならたぶんできるはず。

お腹を満たすこと (=与えられた寿命を最後まで生ききるとか生活に必要なお金を稼ぐとか) が達成できるならば、少しでも自分好みの食感や味のものを選びたいんです。



昨日はお茶を飲みながら、
母親といろんな話をしました。

様々な香りの紅茶が飲み放題!というコースでした


母親は私が「生まれてこれてハッピー!」と思えていないことや今まで何度も死にたくなってしまったこと、私自身は子供を産まない人生を切望している (性格上、子育ては絶対に無理なので幸せそうなイメージを持つことすらできない) こと、恋人側の出身地に移住したいけれど仕事やお金の都合で東京を出られずにいること等々……色々と知ったうえで、否定せずにいてくれています。

大学へ行かせてもらったのに学んだことを何も活かせず、仕事も3年以上続いたものが何ひとつなく、実家で暮らさせてもらっているのに家にお金を入れる余裕すらなく、孫の顔もほぼ100%見せてあげられず、育ててくれた恩に報いることができなさすぎる申し訳なさでいっぱいです。


それでも、2年前までの私はもっと鬱だったし
ご飯もロクに食べられないくらい病んでいたし
結婚したい相手にもまだ巡り会えていなかった。


故郷である東京という場所が肌に合わなくて
それでも東京で一生暮らすしかないと思っていたし

どうにか自分らしさを打ち消して世の中に適応しなければならないと思っていたし、ただ苦しみに耐えながら死ぬことを待つだけの人生を、あと50年間くらい孤独に続けなきゃいけない……と思って、絶望感に潰されていました。


でもまさか数年後に母親と恋バナ?をしたり、
かなり歳下の従兄弟たちが徐々に社会人になっている話を聞いて「〇〇ちゃんの気持ちわかるなぁ、私も新卒のときそうだったもん……もし肩の荷を降ろせそうだったら頼ってほしいなぁ」みたいな先輩目線?で受け答えができるようになったり、そんな未来は全然想像できなかった。

そう考えると、(ダラダラ生き続けちゃっただけだったとしても) ここまで来れてよかったのかなぁ、なんて思ったりもしました。

きれいな建物も、小さなレンガの積み重ねで作られている



私はHSPでありながらも「人の気持ちが手に取るようにわかる」という能力は全然なく、あくまでもベクトルが自分に向きすぎているので「相手のしてほしいこと、言ってほしい言葉」がわかるわけでは全くありません。

それでも「こんなに気持ちをわかってくれる人、今までいなかった」「普段こんなに自分のことを話すことはないのに、なんかいっぱい話しちゃった」という不思議な言葉をいただくことがアラサー辺りから急増したんです。何故……???

ずっと不思議だったのですが、もしかしたら
「味わったことのある感情」の種類が多いから、表面だけではない「心からのガチ共感」を沢山してしまうのかもしれないな……という結論に至りました。

あんな、「青」にも200色あるねん!白だけじゃないねん




(まぁ元々望んではいないけど) 社会的なステータスや肩書き、実績みたいなものを本当になんにも持ってない。「成せたこと」がひとつもない。

でも、歩いてきた足跡はすごく沢山あるし
意味わかんない脇道もたくさん踏んできた。

まだ未解決なことだらけの歩き途中だから「先生」の立場になれるわけではないけど、それでも「わかるかも……」(完全な理解は不可能でも) 歩み寄れる方向や角度、奥行きのようなものはそれなりに沢山持っているような気がする。

「枠」を通して見た景色は、味わいがグッと深まる
ディスプレイを裏側から覗いてみてはじめて
「展示物×周りの建物」のマリアージュが完成される
雲ひとつない快晴も魅力的だけど、
雲は空模様を面白く表情豊かにしてくれる


人間の心は挫折や苦しみによって鍛えられるものでは決してなく (むしろ挫折や苦しみによって歪んだり力を失ったりする) 、できることなら順風満帆に人生を送れたほうがダメージは少ないけれども……

受けてしまった傷や歪みを「味わい」に変換することならできるんじゃないかなと、そんなふうに思えるようになってきました。
優しさや親切心は受け取る側によって定義も変わるし場合によっては自己犠牲に繋がりかねないけど、「自分らしい味わい」ならば軸や自信にすることができる。


帰り道、かわいいライトアップ


横浜のメインストリートから少し外れた場所で
本革の靴が1800円で売られているのを見て、
ついつい寄ってしまいました。

店主さんはすごく雰囲気の温かい、でも
ハッキリとした鋭さも持っているおばあちゃま。
優しく的確なオススメをいただいて、素敵な靴を買うことができました。きっと長年の経験とお人柄で、ファンが沢山いるに違いありません。
お店を出たとき、「こんなふうに素敵なおばあちゃんになりたいなぁ……」心の中で静かな憧れが燃えているのを感じました。

東京に帰ってきたら、空が綺麗な紫色でした


頭で考えるだけだとぐるぐるしてしまうことも
こうやって文章にしてみると、「これは私のいいところなんだな」「これからはこんな風になりたいな」「誰かの心を少しでも癒せたらいいな」ちょっと前向きな気持ちになれるから不思議です。

まだあと数ヶ月くらいは東京の人混みに耐えながら頑張らなきゃいけないフェーズが続きそうですが、それも全部「好きな人と好きな環境でのんびり暮らす」という目標のためです。今は下ごしらえをして、遠くないうちにメインディッシュを食べはじめる!!!!

そしてメインディッシュをたっぷり楽しんだら、
素敵なおばあちゃんになってデザートタイムをゆっくり堪能したいと思います。


誕生日は、お世話になっている人たちはもちろん
「今まで頑張って生きてきた自分」にも感謝し、ねぎらう日なのかもしれません。色んなことがあったけど、よく頑張ったね。これからはもっと、色んなことを楽しんでいこうね!!!

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