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「心の蘇生」に着手できない

2週間くらい、突然留守にしてしまいました。

(色々と心配をかけてしまった方がいらっしゃったようで、申し訳ございませんでした……><)

突然いなくなる前までは頑張って「毎日更新」をしていたので、なんかもうnoteで2週間も不在にしてると自分の家の壁に蔦が生え始めちゃいそうな感じがして「これはもうみんなから忘れ去られてるんじゃないか……」と思ってたのですが、

こんなヘボヘボ生きてる私に対しても「大丈夫かな?」と気にかけてくださった方がいらっしゃることがすごく嬉しかったですし、(過去に書いた記事に対して) 投稿から時間を経てもなお「読もう」と思ってくださった方がいて、「スキ」まで押してくださったりして、「おおおぉ…… (かんげきのふるえ)」という感じです。

(まだ「感謝です」という言葉が違和感なく出てくるくらいまでは心が回復していないので、ひたすら「おおおぉ……」って感じです。皆様ありがとうございます。)



インフルエンザそのものは5日間で綺麗に治ったので体調面ではなんの問題もないのですが、5日間の休養がきっかけで「自分の本音に抗えなくなって」しまいました。。

大きな辛い引き金があったとか、
うつ病になってしまったとか、
食事・睡眠がとれなくなったとか、

そういう感じでは全くないんです。


ただ、

・日常の中で少しずつ積もる「小さな不快感」
・蘇生しても蘇生しても死んでしまう自分の心
・小さな不快感への対応を繰り返すだけの毎日
・金銭的にカツカツで我慢ばかり重ねる毎日
・あらゆる苦痛に耐えて得たお金を、ただ税金&定期的な支払いに持っていかれるだけの繰り返し

これらに抗う気力がまるで湧いてこなくて。



なんだろう、もうひたすら

すべてが虚しくて虚しくてたまらないんです。


苦痛が大きいから死にたいのではない、
仕事をやめれば解決するわけでもない、

もはや「暑さ寒さ、空腹、騒音、なんとなく溜まっている疲れ、よくわからない将来への不安や絶望感、災害や病気や世界情勢への恐怖」みたいなものを一切なんにも感じたくない。命をもっているせいで起こる全てのことをやめてしまいたい。


いま何かの大きな苦しみを抱えていたり、その苦しみを乗り越えた経験のある方からすれば「病気も抱えておらず実家にも住めて恵まれた状況なのに」なんて甘いんだろうと思います。



思うんですが、

「そもそも "甘い" ってなんなんだろう。
どうして甘い考えを持ったらダメな人と言われるんだろう。どうして苦痛を耐えられる人しか偉くないんだろう。どうして必要最低限の生活すら、犠牲や我慢の上に「なにかしらの偉さ」を成り立たせられている、健康かつ "大人の対応ができる人" にしか許されていないんだろう。どうしてそんな思いまでして、永遠に小さな不快感を毎日やりすごし続けて、自身の狭い心を広くできるように頑張ってまで生きなければならないんだろう。
どうして生まれてきてしまったんだろう。。


こんな気持ちでいっぱいな状態が3週間くらい続いていて、「元気になってもまた数ヵ月後にはどうせこんな状態になる」ことが分かりすぎていて沈んだ心をなかなか蘇生させられずにいます。

自分の心を鼓舞するモチベーションがない……







しばらくnoteを更新できなかったのは
職場のルールが厳しすぎてスマホから離れざるを得ない時間が増えたのもありますが、


「疲労がひどくてコメントを返すことがどうしてもできない。コメントも返せないのに記事を書くのは失礼なのではないか」という気持ちや「フォロワーさんの未読の記事が溜まってしまった、読みたいのに "全部読み切れないくらい溜まってしまったから" 読みに行けない、フォロワーさん全員のページを訪問しないと不公平な気がする」

なぞの義務感に苛まれてしまって
ここ2週間ほど、誰の記事も読めていません……

読みたい気持ちはあるのに本当に申し訳ない……
この意味わかんない義務感もアホな感情であることは重々承知なのですが、なんかこう、ひとたび離脱してしまった行進に参加しなおすのが難しい心理 (?) みたいな感じです。ちょっとずつ戻れたらいいのですが。



そして、まだ会社にはなにも言えてないのですが

ひとつ自分の中で決断したことがあります。


私にとって、生活の中で最も甚大なストレスを感じている要素が「通勤電車の中で過ごす時間」であり、たとえ座れても満員でなくても「常に知らない人が周りにいてパーソナルスペースを確保できない、どんな人が乗ってくるかの予測もできない」というストレスに耐えることが全くできないレベルまで疲労を溜めてしまいました。

電車のストレスなんて10代の学生ですら耐えている「ごくありふれたもの」なのですが……私にはどうしても無理で、「慣れれば耐性がついて平気になる」ような感じでもなさそうです。これはもう逃げるしかないなと思いました。



なので。

5月末で会社を辞めて、東京から脱出します。


せっかく3月から入った職場も、

私は自分のもっているスキルや思考力を活かして業務効率化に繋がるような台帳を作ったり読みやすいメールを書いたりして、アイデアや工夫を色々めぐらせながらバリバリ活躍したかった。

なのに、いざ入職してみたら「言われたことだけをやりなさい、上から指示されたとおりの方法でやりなさい、勝手なことはするな、あなたの意思や工夫はいらない、メールもテンプレートをコピペするだけだから自分で文章を考える必要はない、全て上で決めるからオペレーターはただ上に従うだけでいい」という、楽だけど私にとっては何も甲斐を感じない方針でした。

パソコンスキルも業務スキルも伸ばせる余地がない、セキュリティのためにスマホの持ち込みもネット検索も一切禁止されている、休憩や離席もすべて厳格に管理される……そんな環境にいるのはもう限界です。

大嫌いな電車に乗ってまで行く価値のある場所ではない。


本当はWEB制作の勉強を頑張って "研修期間" を終え、フルリモートで働こうと思っていた。そのために1年間めちゃめちゃ頑張ってきたし、先輩にも沢山お世話になった。

なので、どんなに "研修期間" を終えられる気配を感じられなくても派遣先がつらくても、会社を辞めることは「しばらく頑張ってきた自分への裏切り」になってしまう気がしていました。

「実は80%や90%まできているのに、100%手前で辞めてしまうのは勿体ない……」ずっとずっと思っていたので、会社をなかなか辞められませんでした。



でも、もう辞めよう。

私の目的は「フルリモート生活の実現」であって
その手段は別にWEB制作じゃなくてもいい。

(元々、地方住みの恋人と一緒に暮らしたくて&毎日のごはんを作りたくてフルリモートを目指してました。結果的に私が進路選択をミスったせいで「恋人と離れて暮らす期間」が延びてしまい、お互い寂しい期間を過ごしただけになってしまいました……)


辞めたあとのことはわからないし、

東京から出て田舎に行く予定なので
東京のようにいくらでも仕事を選べる状況でもなければ、車の運転もロクにできない。

でも、どうせもう死にたいんだったら
死ぬ前に一度合わない環境から抜け出しちゃえ。


「東京から離れよう」と決心したら
地獄からの出口が見えた気がしてだいぶ気が楽になりました。合わない場所って、何十年我慢して居続けてもやっぱり「合わない」んですよね。

かの有名な「生きてることがつらいなら、いっそ小さく死ねばいい」というフレーズに、私は長年救われています。生きなさいとか言われるよりも「小さく死ぬ」ことを肯定してもらえたほうがいいです。



あと2ヶ月弱くらいは死んだような毎日に耐えないといけないので苦しいし、お金の問題は解決の糸口が全く見えません。会社にも辞めるって言わなきゃだし、会社を抜けたとたん税金の存在がガチ憎悪の対象になるし、色々めんどくさい……

まーーじで生きるのやめたいし心は死んでるけど、とりあえず体は生きてます。という生存報告でした。

まだしばらくnote低浮上は続きそうですが、
少しずつ皆さんの記事を読めたらいいなと思います。



私の存在を覚えていてくださって、
本当に本当に!ありがとうございます。

そして読んでくださって、ありがとうございます。

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