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狂人の論理|『理解できない考え』との付き合い方

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理解できない考えでも、そこにはおそらくロジックがある。
✔ 自分とは違う考えを個性として尊重することで、組織は多様化する。
✔ 理解できない考えは、都合よく解釈して割り切る方がいい。

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仕事において考えの相違はつきものです。
どんな方でも、多かれ少なかれ悩まされたことはあるでしょう。

理解し合うのは難しい…とはよく言いますが、それは本当なのか?
経験がある方もいると思いますが、感情や価値観、背負っている立場の違いから受け入れることができず、お互いに納得できる終着点を見つけられない焦燥感を「理解できない」と表現しているだけで、実際には「落としどころが見つからない」という方が感覚が近いのでは。

ただ、それをふまえても理解できない相手というのは、確かにいます。
みなさんの周りにもそんな『変わった人』がいないでしょうか?

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「ひとりだけマイペースに事を進めすぎでは?」
「誰も気にしてないのに、そこまでこだわる?」
「みんな盛り上がってるのにやけに関心が薄い…」
「何で突然そんな事したの?」
「何で決めたことをやらないの?」etc.

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何を隠そう、僕自身「変わってる」と言われる側の人間です。
そして、多少はその自覚もあります。
別に事を荒立てたかったり、目立ったりしたいわけじゃない…けど意図せずそうなってしまうことも少なくなかったし、それが原因で誤解されたり、嫌な思いもたくさんしてきました。

これは、そんな僕の他者理解への持論というか、ビジネスマインドとしての“割り切り”のお話。

1.相手を理解できない、そのときは…

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いきなりですが、結論。

理解できない考えでも、そこにはおそらくロジックがある。

このマインドが持てると、仕事でもプライベートでもコミュニケーションの際に気が楽になりますよ。

▷ そもそも“考え”とは何か

点を結べば線になり、
線を繋げば面になり、
面を組めば体になる ――

人は生きていく過程で、多くを学び、たくさんのことを経験します。
そこから得た知識や知見は全て自分に蓄積されていますが、ひとつひとつは単なる点にすぎない。

“考える”とは、それらの点を結んでいく作業です。
最終的に、点のつながりは形を成して、立体のように組み上がる。
自分の中のあらゆるものの集合体、といったところですかね。
それが人の“考え”だと、僕は思っています。

つなげる点の数が多ければ、引ける線も描ける面も多くなる。
その分だけ、より複雑な多面体を作り出すこともできるでしょう。

思考の深度、密度、粒度は、つまり「どれだけのことを知り、どれだけのことを経験してきたか」に依存するわけです。

▷ 狂人の論理 / 理解できないメカニズム

狂人と呼ばれる人たちがいます。
その言動は短絡的で、思慮に欠け、道理に合わず、荒唐無稽です。
多くの場合、理解することは難しい。

でも、狂人の考えにも必ずベースとなる点があって、それらが論理的ロジカルにつながっていると思うんです。
僕たちはただ、同じことを考えるにしても彼らが選んだその点を普通は考慮しなかったり、そもそも持っていなかったり、彼らのように線をつなぐ発想がないだけ。
自分ではどうやっても同じ考えを作れない、だから、理解できない。

みなさんの周りの『変わった人』も、同じかもしれませんよ。

資料のフォントサイズにまで度を越えて細かく指示する上司は、以前それが原因で大事なプレゼンに失敗したのかもしれない。
ことあるごとに議論で正論ばかりぶつけてくる同僚は、チームの成長のためにあえて嫌われ役を買って出ているのかもしれない。

もちろん、本当にその通りかはわかりません。
ただ、そこにロジックがあって、その構成点の数々体系つなぎ方がわかれば、その人の考えが理解できるかもしれません。

2.他社理解のプロセス

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何かに考えをめぐらせるとき、それはひとつとは限りません。
たとえひとつに絞っても、思考はどこまでも深く、細かくできます。
そして最終的な考えを組み立てても、その過程でいくつもの試作品が作られたはずです。

“理解する”とは、それら試作品の中に相手の“個性”があるかの突合作業と言えます。

では、その“個性”とは…?

▷ 理解とは、個性の受け入れ

仕事や趣味趣向が違えば、知識や知見の量にも差が出てきます。
となると、考える際に使える点の数が違ってくるわけで、組み上がる立体の形もそれに応じて多様になります。
育ってきた環境が違えば、物の見え方や価値観も違うし、そのときに生まれる感情も違うでしょう。
それによって物事の優先順位は変わるし、たとえ同じ点の組み合わせでもつなげる順番を変えれば描ける図形も違うものになる。

つまり、同じことについて考えるにしても、人によって結果は違う。
点の数やその結び方が違えば、描かれる形は異なる
、ということです。

そして、その異なる図形のことを、人は“個性”と呼びます。

さて、ここで考えてみてください。
趣味は何か聞いたときに、『コンビニめぐり』とか『サンスクリット語』といった答えが返ってきたら、どう思いますか?
個性的だな、ではなく、変わってるな、と考えませんでしたか?
おそらく「趣味としてはちょっと理解しにくいな…」と感じたはずです。

個性を受け入れるというのは、理解のための橋を架けるようなもの。
支柱を建てる点がなければ、橋は渡せません。
そしてその点は、既に持っていることもあれば、ないこともある ―― 手に入れられればいいですが、それが困難なら橋を架ける理解するのは難しい。

▷ 個性を尊重すれば、組織は多様化する

会社などの組織内では、人はその中で一定の規範を醸成しようとします。
わかりにくいでしょうか?
それでは、「雰囲気を察する」あるいは「空気を読む」と言えば伝わるのではないでしょうか。

みなさんも経験があると思います。
所属している部課店に馴染もうとしますよね?

帰属意識は人間の本能ですから、コミュニティに溶け込むために同じような点を集め、同じように線を引き、面の組み方をそろえ、考えなどを共有しようとするのは自然なことです。
なぜなら、他人と共通認識を持つことで、組織が円滑に回るから。
だから考えは似てくるし、違う考えでもほとんどは理解できる。

よく「会社は個性を殺す」なんて聞きますが、僕は少し違うと思います。
さすがに『むき出しの個性』『ありのままの自分』というのは難しいかもしれないけど、基本的にはお互い“察して”橋を架け合うんじゃないかな、と。
相手が線でつなぎやすいように点の有無や位置を教える、といった受け入れてもらう努力も、ときには必要かもしれないですね。

個性を受け入れていけば、組織が共有する点の数はどんどん増えて、そこから結んでいける線も増え、より複雑な形を描けるようになる。
それはまさに、多くの企業が目指している組織の多様化=ダイバーシティのあるべき姿なんじゃないでしょうか。

3.不安は、都合の良い“割り切り”で払拭できる

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そもそも、理解できるかできないかを、なぜそこまで意識するのか?
『変わった人』を、その他大勢と分けて区別するのはなぜか?

その理由は、「未知や得体の知れないものへの不安や忌避感」です。

知らない仕事や初めての業務は緊張して当然。
聞きなれない専門用語ばかりの説明は頭に入ってこないし、馴染みのない横文字を使われると妙に鼻につく。
どうです? 共感するところもあるのでは?

それは対象が人であっても同じです。

『変わった人』は、“他とは違う”。
それはときに「言動に一貫性がない」と見られ、またあるときは「考えなしで自由気まま」と映る ―― どう転ぶかわからない、その得体の知れなさがフラストレーションだし、そんな彼らに振り回されるのは不安だ。

だったら、無理やり理解の範疇におさめてしまえばいい。
それが真実どうかは置いておいて、「(たぶん)こういう考えなんだろうな」というロジック狂人の論理にはめてしまえばいいんです。

取引先との契約条件で上司を説得する後輩を見て「顧客思いの良いやつだな」と思っても、実際にはノルマ達成に必死なだけかもしれない。
白熱した議論を仲裁して休憩を提案した先輩に「良いアイスブレイクを入れたな」と思っても、単にタバコを吸いたくなっただけかもしれない。

でも結局、相手が本当のところ何を考えているかなんてどうやったってわからないわけです。
それなら得体の知れないままにしておくよりも、自分の都合の良いように解釈して割り切った方がよほど納得できるんじゃないでしょうか。

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自分からすると理解できないものを、相手の立場から眺める。
そのときに「理解できた」と思えた拡張感は錯覚かもしれないけど、少しだけ広がった視野からは、きっと新しい点やそのつなげ方が見えるはず。

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と、言うのは簡単ですが、実際は相当難しいですよね ――
僕だって頭じゃ割り切ろうとしますけど、まだまだです。

理解できないとイライラするし、理解されないと落ち込みます。
だって、人間だもの。
感情の生き物だもの。


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本記事がみなさんのワークハックになれば嬉しいです。

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