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創作における誠実さとは/シン・エヴァンゲリオン劇場版:||1回目(ネタバレあり)

1回目と書いてあるのは解像度上げるために週末もう一度見に行くので、現時点での感想ですと言う意味です。ある程度考察とか感想も読んでいろんなバイアス掛かってるだろうし思うこと絶対変わるでしょ


ハロー、エヴァが終劇した世界。まずここまで完成させてくれた全ての魂に感謝したい気持ちになった。期待とお金の掛かりまくったこんなに巨大になってしまった作品に真摯に向き合って最後まで創り上げた心を讃えたい。帰りの脳内完全にこれ(トップ画像)でした。



新劇場版、全編通して私は母親についての話だと解釈をした。というか『シン〜』でそうなった。肉体的な事ではなく、それにまつわる責任感とか愛情とか憎悪とか拒絶とかぜんぶ。
私は旧劇で14歳のシンジに女と母を混同させたミサトの言動は大変極端に言えば性的虐待に近く普通に最悪だと思っていて、そこをきちんと保護者としての責任を全うさせる形に描いたのはなんかもう作り手の優しさだと思った。ミサト以外も全員そう まあそのために肉体的に母親にさせる必要あったのかと言われると微妙ではあるんだけど

エヴァシリーズの締め方、全部庵野のメンタルバロメーターだけど、こんなに巨大な作品になってしまった以上そこに真っ向に向き合ってものを作るってそもそも死ぬほどしんどいだろうなと思う。ネットで考察や憶測や講評が飛び交い、それに伴う過剰な期待や妄想の矛先が全部人間に向かっていることを意識できる消費者は私含め多分そんなに多くない。そもそも製作者の気持ちや価値観が作品に反映されない訳がなくて。だって人工物ですし。

冒頭書いた脳内「おめでとう」話に繋がるけど、それを踏まえてこの終わらせ方を選んだことが、ケジメや終わりや締めとか、そういう文脈で見たときなんか一種の誠実さを見た気がした。好きで勝手に見に来る人に対して誠実って言い方が正しいのかどうかわからないけど、それでもこの末路を選んで救われる魂の方が多いじゃないですか。これも私含め。


大人になった!なんて言い方はなんか上から目線で烏滸がましいけど、それでも26年の歳月をかけていろんなものを見て言われて感じて考えてここに辿り着いたのは、それは素直にすごく素敵な事だと思いました。ディストピアでも心理描写はある種ずっと現実的な旧劇のことが私はいつまでも好きだけど(劇的な出来事を重ねたところで人の心は誰もがそんな簡単に変わらないと思うので)、生きていくには希望が必要だものどうしても 前向きでまっすぐな未来がこの世界にも残っていたのはやっぱり嬉しいんですよ。

創作を、0を1にすることの、誠実さって何だろうか。
きちんとオチをつけることなのか、自分が作りたいものを作ることなのか、ファンを救うことなのか、ストーリーにメッセージを託すことなのか。
職務や立場や価値観によるので、人には人の創作における誠実があるだろう。

これは膨大な人の熱量を巻き込んだ、株式会社カラーの、庵野監督としての1つの誠実の形なんだろうと、私はしかと受け止めたつもりです。

初日朝一番に最速で観に行って終演後は拍手が起きていて、なんかもうそれが全てだった気がした。
朝一で見たらそのあと1日なんも出来なかったら日中にお仕事をする人は絶対に夜見たほうがいい。そもそも鑑賞前の人がこの文末にたどり着くのか謎だが

何度も延期をして延期になって、結局序からぴったり14年経過してるのも持ってるよなあと思いつつ、1月の延期の判断も自分たちが及ぼす影響をきちんと自覚しているからこそであり(ここで「いや終わってなかったんだろww」と言われてるのしょうがないと思いつつ結構腹立った。販促やタイアップ見てる限り多分昨年6月時点で完成はしていたと思いますよ。邪推ですが。)、
そこからこんなに早急に公開日が決まったのも本当に担当者が頑張ったんだよなと発表されたとき結構ウルっとした。カラーの会社としての誠実さは結構前から感じていたし。


まずはとにかく、本当にお疲れ様でした。沢山楽しませてくれてありがとう。これからは思う存分好きなものを作って下さい。

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