Ⅶ.夢の子-2

 書斎に戻ったレイヴンは、受話器を手にデスクチェアにもたれた。

「待たせたな」

『──ふふっ、お元気そうで何よりです』

 軽口めいていながら慇懃にも聞こえる声が流れ出る。

「電話とは珍しいな」

『久々に出てきましたので、ついでに。〈煉獄《シェオル》〉の散策もたまにはいいものですね。そぞろ歩きにはもってこいの季節になりました』

 レイヴンは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「ご丁寧に散歩の報告か?」

『いやぁ、それはあなたがお戻りになったときに、お茶でも飲みながらゆっくりと。じつは昼間、そちらに伺ったんですよ。コーヒーとても美味しかったです。やっと彼にも会えましたしね~。あなたとのツーショットを期待してカメラをスタンバイしてたのに──』

「二度と来るな!」

『あ~、切らないで! 冗談ですよぉ。もう、気が短いんだから……』

 シャピロは切なそうに溜息をつき、口調を改めた。

『冗談はさておき、帰る途中にちょっと面白い光景を見ましてね。一応お耳に入れておこうかと』

「何だ」

『久しぶりにデーヴィッドを見かけたんですが、まぁ、相変わらずというか、ますますうらぶれて、ご主人に捨てられた犬みたいにわびしげに』

「シャピロ!」

『失礼。いやいや、彼、似合わないことに小さな女の子を連れていたんですよね~。どこかで見たことがあるような、それはそれはとーっても可愛い女の子で』

 反射的に舌打ちすると、シャピロは警戒するように声をひそめた。

『あれ。もしかして知ってました?』

「〈白の王〉からの押しつけがましいプレゼントさ」

『ハハッ。気が利いてますねぇ。ほーんと、人の傷つけ方をよくわかっていらっしゃる。──で? 哀れな忠犬に下げ渡したってわけですか』

「それほど悪趣味じゃない。私が捨てたのを、あいつが勝手に拾ったんだ」

 冷淡な答えにシャピロは溜め息をついた。

『どうします? 彼、自宅に連れ帰っちゃいましたよ』

「あの馬鹿! なんでこう、いちいち厄介ごとに首を突っ込むんだ!? ったく鬱陶しい。いっそ〈地獄《ゲヘナ》〉に蹴り込んでやろうか……」

『迷惑だからやめてください。それはともかく、あれ……、普通の子じゃないですよね』

「……わかるか?」

『ええ、まぁ……。明日の朝までもちますかね?』

「急ごしらえの泥人形だ。朝になれば魔法は解ける。それこそ悪夢から醒めるように」

『さぞかし彼は嘆くでしょうねぇ……。あなたを恨むかも』

「とっくに恨まれてるよ。どうせなら徹底的に憎めばいい」

『それができないから宙ぶらりんなのでは? あなたの身代わりとして、お人好しの彼がおおいに傷ついてくれることでしょう。案外それが〈白の王〉の目論見かもしれません』

 レイヴンは冷たく乾いた笑い声を上げた。

「回りくどい嫌がらせだな。ドードーがどんなに傷つこうが私の知ったことか。あいつの自業自得だ」

『なんだか彼が気の毒になってきました……』

「おや、優しいじゃないか。デーヴィッドが嫌いなんじゃないのか?」

『嫌いでしたよ。でも、今の彼はあまりに哀れで』

「だったらお祈りでもしてやれ。司祭だろ」

『あいにく私は悪魔のしもべでして。じつに意外なことに、この悪魔がまた冷酷そうに見えて非常に面倒見が良い方なんですよね~。だからこそお仕えしているわけですが』

「……何が言いたい」

『別に~。ただ、私の敬愛する悪魔鴉は、よちよち不器用に歩いてるお馬鹿さん鳥《ドードー》を放っておきはしないんだろうな、と』

「取って食うだけかもしれんぞ」

『ふむ。それも楽しそう。──あ、迎えだ。それじゃ私は〈地獄《ゲヘナ》〉へ戻ります。あなたがいないと退屈で死にそうなんで、早く帰って来てくださいね~』

 一方的に通話が切れる。レイヴンは受話器を投げ出し、憤然と背もたれに寄り掛かった。

「……くそっ。なんで私がこんなふざけた遊びに付き合ってやらなきゃならないんだ。ドードーの奴、一生タダ働きでこき使ってやる!」

 レイヴンはぷりぷりしながらドードーのラボに電話をかけた。延々と呼び出し音が続き、やっとのことでドードーが応対すると、レイヴンはいきなり喧嘩腰で突っかかった。

「貴様、いったいどういうつもりだ!?」

『えっ……!? ──レ、レイヴンか? 何だよ、いきなり……』

「勝手なことをするな! とっととどこかへ捨てて来い!」

『す、捨てる?』

「子どもだ! 拾っただろ!?」

 やっと意味が掴めたらしく、ドードーはムッとした声音で言い返した。

『何言ってんだよ、犬猫じゃあるまいし。なんで知ってんのか知らんが、おまえにゃ関係ねえ』

「関係ないのはおまえだ! 関わるなっ」

『命令すんな! おまえの子じゃねーだろうがよ!?』

 レイヴンは一瞬息を呑み、眉を逆立てて吐き捨てた。

「……いいから捨てろ! さもないと後悔することになるぞ」

『おまえっ……、よくもそんな鬼畜なセリフが吐けるもんだな!? あの子なら、さっきから具合が悪くて寝てるよ! あまりに冷たくされてショックを受けたに違いない。だいたいなぁ、あの子の面倒はおまえが見るべきだろ!? いきさつはよくわからんが……、おまえを頼って訪ねていったのに、邪険に追い払った挙げ句、捨てて来いだと!? 自分の娘だろうが!!』

「私の娘ならここにいる」

『アリスのことじゃねぇ! おまえの本当の娘のことだっ』

 クッとレイヴンは冷たい嗤笑を洩らした。

「──惚けたのか、ドードー? 娘だろうが息子だろうが、子供などいなかった」

「そ、それはっ……、おまえら結婚したばかりだったし……。第三者の俺が知らなくたって別に変じゃないだろ!」

「確かに、ウィルフォードとメドラの子供は今でも作れる。ふたりともすでに存在しなくても、な。〈楽園《エデン》〉生まれの人間は全員遺伝子登録済みだ。血液、体細胞、精子や卵子もサンプル採取されてる」

『それは……、そうだけど……』

 皮肉な声音にドードーが口ごもる。

「私たちはただのサンプルなんだよ、ドードー。『神』の遊戯室にずらりと並べられた美しいサンプルだ。『神』は組み合わせの妙を愉しんでいるだけ。ただの組み合わせにすぎない子供《もの》が生み出されたところで、何故いちいち騒ぎ立てなければならないんだ?」

『おまえっ……、何とも思わないのかよ!? メドラはもういないんだぞ!? だったらせめて……』

「メドラがいないのに、勝手に作り出された『子供』に意味なんてあるのか? それこそ無意味だ。いや、むしろ冒涜だね。じつに許しがたい……」

『で、でも、メドラの血を引いてる。おまえの血も……』

 レイヴンはカッとなって声を荒らげた。

「『血』じゃない! 言っただろう、ただの組み合わせだ! 何の意味がある? 遺伝子なんぞくそくらえだ! わからないのか? ドードー。作ろうとすればおまえとメドラの子供だってできるんだぞ。それどころか、私とおまえの遺伝子を引き継ぐ存在すら簡単に生み出せる」

『気持ち悪いこと言うなーっ!!』

「──そう、気持ち悪いだろう? *気持ち悪い*んだよ、*すごく*ね。おまえは自分が弄ばれていると知って、それでも安閑としていられるのか? その状態が心地いいのか? だったら今すぐ〈白の王〉に慈悲を請うて〈楽園《エデン》〉に帰れ。そして無邪気な羊たちと楽しく群れてろよ。目の前の美味しい草だけ見てればいい。そうすれば、そこが悪趣味な神の遊び場であることに気づかずに済む」

 絶句したドードーは、たじろぎながらも未練たらしく呟いた。

『だ、だけど……、あの子はおまえのこと、親だと思ってるんだぜ……? そう信じてるんだ』

「記憶の操作なんて〈楽園《エデン》〉の裏庭では日常茶飯事だろうが。それに気づいて、我慢できなくなって逃げだしてきたんじゃないのか」

『そりゃ……、そうだけど……。でも似てるんだ。あの子、メドラに……すごく似てる。おまえだってそう思うだろ……?』

「似すぎてて、かえってうさんくさいんだよ。人間の顔なんて育ち方次第で変わってくる。たとえあれがクローンでも、これほど『似てる』と思わせるには何らかの操作が加わってるはずだ。だいたい、顔の類似などここではほとんど無意味じゃないか。自分が素顔で通してるからって、他人もそうだと思わないことだな」

『あんな小さい子がマスクなんぞつけてるわけないだろ!?』

「腕がよけりゃ赤ん坊の顔だって造れるんだ。元の『顔』を剥がして、クローン培養皮膚で造ったマスクをまるごと移植する造顔術だってあるんだぞ? なんならおまえ、試しにやってみろ」

『遠慮する! 俺は持ち前の顔で満足してるんでね』

「ともかく、あの子に関わるな。昔のよしみで警告しておく。ろくなことにはならないぞ」

『ふん。俺の勝手だろうが! もういい、あの子は俺が責任持って面倒見る! おまえにゃ迷惑かけねーよっ』

 ブツッと通話が途切れ、レイヴンは額を押さえて嘆息した。

「……あの馬鹿……」

 苦々しく呟くと、ノックの音がしてグリフォンがそっと顔を覗かせた。

「あの……。何かあったんですか……? 大声が聞こえましたけど」

 レイヴンは肩をすくめた。

「別に。例によってドードーが戯言をぬかすから、イライラして怒鳴っただけ」

「ドクターとお話ししてたんですか? さっきの電話じゃなかったんですね。──すみません。お邪魔しました」

 一礼して出て行こうとするグリフォンを、レイヴンはふと引き止めた。

「グリフォン。本当はここに置いてやりかったか? あの……女の子を」

 彼はとまどい顔で向き直った。

「僕がどう思ったか……ですか?」

「そう」

「それは……考えませんでした。僕は、自分がどうしたいかではなく、主人《マスター》であるあなたの意志に沿って行動するようプログラムされていますので……。社会通念として迷子は保護すべきですが、あなたがそれを嫌がるなら、しかるべき機関へ連れていくのが最善かと」

 レイヴンは静かに微笑んだ。

「そうだな。でも、これからは自分がどうしたいのか、少し考えてみるといい」

「それは危険なことなのでは……? 過去の暴走事例から、〈顔なし《フェイスレス》〉が自我を持ちすぎるのは好ましくないと考えられています」

「まぁ、ね。でも、私にとっておまえは〈顔なし《フェイスレス》〉というより『グリフォン』だから。何でもかんでも言いなりにならなくても、そんなには怒らないと思うよ。腹は立つかもしれないけどね」

「それじゃ、もし僕が、あの子をここに置いてくださいと頼んだら……、きいてくれたんですか?」

「絶対だめ」

 皮肉っぽく笑うレイヴンに、グリフォンが眉を垂れる。

「だったら僕がどう思うかなんて関係ないじゃないですか……」

「そうでもないさ。たぶん少しは考えた」

「結論は同じなんでしょ」

「たまたま今回はね」

 レイヴンは椅子から立ち上がり、するりとグリフォンに腕を絡ませた。

「とりあえず、おまえの淹れたコーヒーが飲みたいな」

「いやです、と言ったら?」

「言わないだろう?」

「ええ、言いません」

「言えないのと言わないのとでは、やっぱり違うと思うんだ」

「──なるほど。そうかもしれませんね」

 生真面目に考え込むグリフォンを、レイヴンはキッチンへと引っ張っていった。コーヒーを淹れるグリフォンの手元を眺めながら、レイヴンはぼんやりとメドラを思い描いた。

 もしも今ここにきみがいたら……、あの子をどうしたんだろうね……。

『冒涜だ』

 ドードーに投げつけた言葉がブーメランのように戻ってくる。

 許しがたい冒涜だ。

 誰よりも、この自分自身が。

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