書く

書くことが好き。
ノートや紙に、ひたすら思いを書く時間が好き。
と思っていたけれど、
好きというよりかは、頭の中で考えるのが苦手だから書いているのだと思う。
頭や心で考えると、たくさんの余計なことがどんどん邪魔してきて、それに囚われて思考が思いもよらない方向に向かっていってしまう。
今日あった嬉しい出来事について考えていたはずなのに、いつの間にか、でもあの時なんでああしてしまったのだろう、自分はやっぱりだめな人間だ、そんなネガティブに変わってしまう。

余計なことは、私の潜在意識の中の固定観念からやってくるような気がしている。
そのことはまた今度書こうと思う。

私にとっての書くことは、そのときの気持ちや考えを整理することと、出来事などの色々の記録であると思っている。
つまり、一時的な衝動だけで行動してしまうことの予防と、出来事を自分の糧にするための保存。

前者は、衝動買いを減らしたり、本当に欲しいものや目指したいことを自分で理解するのが目的だから、特に多くを考えずにできる。素直に書けばそこに現れるから。

後者がなかなかできない。
事あるごとに自分を否定して責める癖があるので、それを直したいという目的なのだが、長年の思考回路を変えるのは難しい。
ネガティブな思考から、ポジティブを抽出して糧にしようとしていたけれど、それどころではないのでできない。

これの打開策を考えていて、中学生の頃にやっていた日記を思い出した。
当時は、起床から就寝まで常にノートとペンを持ち歩いて、電車の中や授業中、休み時間、勉強の合間等々、その時々の気持ちや出来事を時刻と一緒に細かく記録していた。
考えてみると、その日記が病み期だった私を支える唯一の友達のような感じで、つらくて死にたいと思っても、紙の上に吐き出すことでいくらかスッキリしたし、あとで読み返すと、くだらないことで悩んでたな、死にたいなんて大袈裟だったなと思い直すことができた。
ポジティブに考え直すことはできなくても、ネガティブをありのままに吐き出して冷静になったときに見返すことで、自分がどういうときにネガティブになって、それがどれ程くだらなくて勿体無いことなのかを認識することはできそうだ。

書くことを全く意識していなかったあの頃から、書くことで助けられていたんだなあ、と感じた。

やはり私にとって書くことは必要不可欠で、今後も助けられていくのだろうな。
最近は必要が転じて好きだと思っていたし、書くことが趣味だと思っていたけれど、もう一度初心にかえって、自分にとって必要な「書く」を見直さないといけない気がする。


#日記 #書く #ノート #趣味 #思考

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