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入籍にこだわらないといって入籍しない人は、ものすごく入籍する結婚の形にこだわっている

時々「私たちは形にこだわらないので入籍しません。パートナーとしてうんぬんかんぬん」というカップルが婚外子を育てます。

これって実はものすごく籍を入れるという形にこだわっているんですよね。ちょっと考えればわかりますが。本当に形にこだわらない人たちはぺらっと紙を出します。そのほうが公的に受けられる補助が増えますし、外形的にもいちいち説明しなくていいので楽なことが多いのです。一目瞭然ですから、現実的にメリットが多い。つまらないですが(笑)。「こだわらない」と言っている人たちのほうが実に深刻に入籍という形を考えています。観念的にも相手に従属してしまうんではないかと。とすると、いわゆる結婚しない人たちは本音のところで「この相手は法律婚するまでの相手ではない」と考えているにすぎません。

姓にものすごくこだわっていて、相手の名前に戸籍上でも変えると自分でなくなると思ってしまうからこそ相手の名字になれない。他人を見るときもそうなんでしょう。単なる記号ではなくアイデンティティそのものと深刻にとらえているからこそ、相手の姓になるのは「差別だ!」と憤るんでしょうね。名字が好きで一緒になった相手と一緒だからといって失われるアイデンティティってなんなんすかね。奴隷として誘拐されたならともかく。

私は自分も配偶者も姓が非常にありふれていて、どっちもあまり変わらなかったということ、名前で呼ばれることが多いのでほとんど気になりませんでした。自分にとっては記号って感じでしたし、あと新しい家庭を作る、という意味で両親の名字とは違うほうがフレッシュかなと感じていました。

職場では旧姓を何十年も使っていて何も困りません。整っている職場多いんですよ。大体親元には20年30年しかいなくて、あと何倍も親から離れて生きなければならないのです。名家でもないのに、愛着のある名字もなにも。

ケイティペリーは日本が好きで時々着物を着ていますが、文化の登用だ、差別だと時々糾弾されます。糾弾する人にとっては日本は格下で非差別民族という差別意識があるんでしょうね。ケイティがイギリス王室の衣装を着てもそういわないのに、日本の着物を着ると糾弾する。本人の差別意識をあぶりだしているにすぎません。

70歳で入籍するなら納得しますが、30そこらで入籍して相手の名字に戸籍上なったからって、そのあとの人生のほうが長いし。

「夫の姓を名乗らせてもらえない」という立場の弱い女性が生まれる、という側面も忘れてはなりません。相続でも不利に扱われると思いますよ。客観的に配偶者と同じ名字というのは有利なんです。

日本で婚外子って生きづらいという現実があり、子供が相当苦労するという現実があっても籍を入れないカップルって、毒親候補だなと思います。「社会が間違っている」と憤るのは構いませんが、多数派が常識というものを作っているんですよね。それは抗いようのない現実ですから。


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