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出過ぎた杭は打たれないと言うけれど

おはようございます

私は歌手でも詩人でもなんでもないですが朝起きたとき、運転しているとき、ご飯を食べているとき
突然言葉やストーリーが浮かんでくるんです

どこに記そうかと思ってよくiphoneのメモに書くんだけど
そろそろ誰かに共有しようと思い、
また久しぶりにnoteを開いてみた

タイトルにある通り
「出過ぎたくいは打たれない」

この言葉を信じて今日まで26年間この国で生きてきたけど
もう限界かもしれない

出過ぎた杭をみんなで潰すのが
日本である

私の人生を振り返ると心の底から自分自身で入れたのは
インターナショナルスクールの時が最後だと思う

小学校2年生までいたインターナショナルスクール
20人弱のクラスで普通に15か国以上の国籍の生徒たちと共に授業を受けていた

もちろん友達と喧嘩したり女子アルアルなのかもしれないが
省いたり省かれたりはあったけど
決して肌の色とか髪の質とか自分の変えられないものをつっついていじめられことはなかった。

みんな全員違うのよ

さっきまで一緒に英語で話してたのにそれぞれのお母さんがお迎えに来たときは母国語を話す訳だ

でもそれが当たり前
違うのが当たり前だった

その環境にいたからこそ日本の学校への編入は地獄でしかなかった
腫れ物のようにみられたり
動物園の動物くらい静かにじっとみられる日々が始まる訳だ

でもそれは仕方ない、慣れていないから。
ただ、先生とも合わなかった
個性よりも周りに合わせて行こうと言う一方通行型教育
「Aさんはこう考えるんだね、そしてBさんは?」と言う授業ではなく
数学以外も決められた数式を答えていくような授業で眠くなったよく寝てしまったものだ。

小学生で授業中寝てしまうから先生は驚いたのか私のことを病気だといい、
特別支援の学習施設への紹介状まで校長から来たもんだ。

だってインターナショナルスクールの時はディスカッションしたりプレゼンテーションしたり参加型だったんだもん

つまらなかった

唯一楽しかったのは掃除の時間
これはインターナショナルスクールや海外の学校には絶対にない文化だから珍しかったものだ

日本は世界でも有数の独自の文化、歴史、伝統がある
その中でも協調性 和を大切にする国民だ
自分のことより周りからどう見られるかを重視する
その割に田舎だけじゃなくコテコテの日本企業は未だに村社会だし、
和を乱せば集中攻撃
村八分や歴史を遡れば島流しなんてことがあったり。

異なる、違う
ことに対してこの国はアレルギー反応がえぐすぎる

意見が違って良いじゃない
いろんな考えがあった良いじゃない
個性があって良いじゃない

という捉え方が認められてきたのはほんのここ数年だと思う

昨今のそれもsdg'sの流れで企業もCSRのために必死な訳だ
そもそもsdg'sが流行っていると言う価値観が遅れてんだよなwwww

話が脱線した

だっていまだに私がハーフであることを個性って言うんだもの
ちげーよ特徴だろ
って思う

私は日本社会が合わない
日本の教育を受けてきて、そう思うんだから相当なんだと思う

私も賢いからそれなりにルールを守ったり良い顔したり八方美人で学生時代は頑張ってきたけど
社会人になってから理不尽が多すぎる
社会に出ればもっと楽だと思うが、悪化していく一方だ

この国は成長しなければいけない
蒸し暑い今日もいまだにマスクしてる人も理由を聞くとほとんどが
「みんながしてるから」
同調圧力
これを無視すると

おかしい
なんて言われる
私は3月のマスクをしなくていいとなったその日から電車でもどこでもマスクをしてこなかった

私が外国人だと思ったからか日本語で
「外国人は自由でいいよね」なんて電車で悪口を言われたこともある

この見た目だから日本語がわからないと思ってそう口にしても良いと思うその考えもかなりステレオタイプだが…

日本の教育を変えないことには同じ国民を生み出すばかり

出過ぎた杭はなんとしてでも潰す

そんな国だ

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