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鬱病と伝えた時の話


私は今まで人に助けを求めたことが無かった。


だから辛い時もっと人に頼っていたら、甘えられていたら自分は鬱病になっていなかったのではと何度も考えては後悔する時がある。


私は誰かに助けてもらいたくて仕方がなかった。
鬱病と言ってしまったら心配されることも、悲しい思いをさせることも、分かっていたから今まで言ってこなかったがもう限界だった。 

私が母に鬱病と伝えた時のことは、
今でもハッキリと覚えている。 

当時帰省していた私は何度も言うが心が限界だった。
眠剤を飲んだが2時を過ぎても眠れなかった。
リビングへ行き、1人で煙草を吸っていた。
ふと涙がこぼれて止まらなかった。

その頃の1番の悩みは、
両親に鬱病のことを伝えるかどうかだった。



週に1度あるカウンセリングにて
私は帰省する前に先生へ質問をした、

「先生がもし私だったら、先生は両親に鬱病だって話しますか?」

即答で「言わないかなぁ、言えないなぁ」と言われた。
「でも自分にも子供が出来たから分かるが、親の立場から考えると自分の子供にはなんでも話して欲しい」と言った。

私は先生に質問する前から答えは決まっていた。
このままじゃ自分が死んでしまう。
死にたいとかそんなのはもうとっくに通り越していて、死んでしまいそうで仕方が無かった。
死んでしまいそうで自分がこわかった。

背中を押して欲しくて先生に聞いた言葉は期待外れで、
言わないと即答された時は少し驚いた。

それでも私は次の帰省で伝えると覚悟したのだ。

夜中に眠れなくて、私は1人リビングで
煙草を吸っていた。すると母がリビングへきて「まだ寝てないの?」と聞いてきた。

その時私の目は涙で溢れていて、泣いていないフリなんかできなかった。そのまま話があると言い、もう自分は何年も鬱病だと勢いで伝えた。

それを聞いた母はまさか私が鬱病になるなんて思ってなかったのだろう、いつも明るい人間だったから、とても驚いた顔をして「違うよ、何かの間違えじゃない?月は鬱病なんかじゃないよ」と言った。

「見て」とだけ言いながら、
傷だらけになった両腕と太ももを見せた。

母は涙を流し私の事をずっと強く抱きしめてくれた。
私はもう成人しているはずなのに、お前は今産まれてきたのか?並の声をあげて泣いた。たくさん泣いた。

やっと言えたという気持ちと、
言ってしまったことで母を傷つけてしまったかもしれないという気持ち。私は語彙力が皆無なため説明が雑だが、色んな気持ちで溢れていた。

私の家族、父、母、弟はいつも明るく元気なフリをする
しかし、本当は驚く程に過保護で心配性だ。

鬱病と家族に伝えたことで、今はまた新しい悩みが増えているのも事実だ。だから本当にこれで良かったのかと考えてしまうこともあるが、あの時言っていなければ私は生きていなかったと思う。

正直生きていたいとは今でも思わないが、人の為に生きている、今、生かされているからこれで良かったのかもしれない。

たぶん。


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