見出し画像

退院後


退院後、しばらくして私は大阪へ戻った。

ただはやく自立しないとという焦りで
急いで大阪へ戻ったからか、
入院してもメンタルの回復はイマイチだった
私は大阪へ戻ったところで今までと変わらず
なにも出来ず、毎日をベッドの上で過ごしていた。

大阪へ戻って1ヶ月も経たないうちに
祖父が亡くなったと連絡が来た。
もともともう長くないと知らされていたが
あまりにも突然で、悲しいのはもちろん
祖父が大変な状態の時でも
私は自分のことで精一杯で、自分のことしか考えてなかったのかと自分が情けなく思った。

正直亡くなったと聞いた時は実感がなかった、
亡くなった祖父とお別れをするために
地元へまた戻り、亡くなった祖父の顔を見ると
涙が止まらなかった。

いつもそうだ、いつも人は
居なくなってから後悔する。

なんで学ばないんだろう。

祖父とお別れをしてまたすぐ大阪へ戻った。
しかし祖父の死がかなりショックで
希死念慮のある自分にとって死は毎日のように
考えるものだったが、その日以来
より考えるようになり、死というものがものすごく
こわいものだと感じていた。
毎日死にたいと思っていたのに急に
死ぬのがこわくなった。
自分が死ぬのも、周りの人たちがいなくなるのも。

もともと大丈夫じゃなかったメンタルは
もっと大丈夫じゃなくなってしまった。

ある晩、親と電話をしていた。
親の顔を見ているといっぱいいっぱいだった
想いが溢れて涙が止まらなかった。

いつでも帰ってきていいよと言ってくれて
葬儀も終えて大阪へ戻ったのに
1週間程でまた実家へ帰ることになった。

その時に、今回こそは本当に
自分の病気と向き合い、少しでもいいから
今の状態より良くなろうと決心した。

実家へ帰ったはいいものの
メンタルは良くならず食事は1日1食、よくて2食。
ずっと家に引きこもっていた。

顔を洗うことも、ハミガキも、お風呂も
毎日することが自分には難しかった。

地元の病院へ通うようになり、
カウンセリングも受けることになった。

カウンセリングでは、
アルバイトを出来るようになる事をゴールに
そのためには何をすればいいのかを
カウンセラーの方と考えた。

アルバイトをするためには外へ出なければいけない。
そのためには身だしなみを整えないといけない。
ということで最初はハミガキを週4回
できるようになる事を目標にスタートした。

2週間後の通院日、
この2週間毎日2回ハミガキを
できていることを伝えた。

驚いた顔ですごく嬉しそうにしていた。
それを見て私も嬉しかった。

次の目標は洗顔を週4回。

それも2週間後、毎日できていると伝えた。
今の時点でハミガキが1ヶ月、
洗顔が2週間毎日続けられているという事になる。

「本当に頑張ったんだね」

と言ってくれた。その言葉が胸に染みた。

正直、普通の人は当たり前にできているのに
自分はハミガキや洗顔が目標だなんて
すごく惨めに感じていた。
だから本当に頑張ったんだねと言われて
その惨めだと感じていた気持ちも、
自分にとってはハミガキも洗顔も本当に
難しいということも分かってくれた気がした。

今はまだ希死念慮もうつもあり、
人の多いところへ行くと体調は悪くなるが
ハミガキと洗顔をできている。
この4ヶ月通院を繰り返してきて
最近は少しずつ寝れるようにもなってきた。

1月には大阪へ戻ることを決めている。
正直急いで大阪へ戻る必要性は特にない。
多分今でもはやく自立したい、しなければ
という気持ちで焦っている。

ずっとこのままではダメなのは分かっているから
大阪でアルバイトをして、自分で生活をできている。
というのを親に見せたいんだと思う。

親を安心させたいし、
自分自身も自分を安心させたい。

大阪へ戻る選択が正しいのかは
分からないが、正しかったと思えるように、
今できていることを続け、そして
来年の投稿ではアルバイトができるようになったと
書けるように自分なりに努力するつもりだ。

まだ毎日が元気なわけでもないし
毎分毎秒メンタルは不安定だけど
少しずつ前へ進めている気はする。

自分を大事に。
自分を褒める。
自分に優しく。
もっと強く生きる。

嬉しい報告は記事としては、おもしろくないかもしれないけれどこれからも頑張ります。いつも皆さんありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?