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ODやめられない


ODのきっかけは処方されている睡眠薬が効かなくて少し多めに飲んだことがはじまりだった。

更に当時は新学期で大学への緊張からパニック障害の頓服を大量に飲んで大学へ行った。
案の定体調が悪くなって保健室へ向かい救急車の音が聞こえたのを覚えている。 私は病院へ運ばれた。

その後、保健室の先生と大学へ戻ると3、4人の怖そうな大人達が私を待っていた。「次このようなことがあったら、ご家族へ報告します」当時私は両親に鬱病の事を話していなかったため、悔しい気持ち、裏切られた、誰も自分のことなんて分かってくれない、と色んな気持ちが頭の中をぐるぐるした。家に帰っていっぱい泣いた。

それからは「倒れない程度にODすれば良いんや」という考えに至った私←アホ
毎日フラフラで授業へ行った。その時は授業へ行くのに必死だった。次留年してしまったらこれまで諦めずに通ってきたのが無駄になると思い、ODを繰り返して授業へ行く日々が続いた。

6月になり、久しぶりに両親から連絡があった。
祖母がもう長くないそうで最後の誕生日になるかもしれないから帰ってきてと。私はすぐに実家へ戻ったが何かがおかしい…そう…私はコロナに感染してしまった。でも心の中では少し安心した。人と会いたくなかったからだ。私はどうしても1人になりたかったためホテル療養を希望し、次の日からホテルでの療養が始まった。

そこで事件は起きた。

体調が少し良くなってきた私はリスカをするか、ODをするかで葛藤していた。なんとなく頓服の薬を手に取り10錠だけ飲んだ。目が覚めると私は病院のベッドで全身をベルトで固定され「尿道カテーテル通しますねー」と声が聞こえた。え?なにそれ?と聞く間もなく撃沈。
状況が飲み込めずにいると、看護師さんが教えてくれた。 私はあの薬を10錠飲んだ後、更に50錠飲んで倒れていたそう。もちろん記憶はない。

どれくらいの時間が経ったかは分からないが担当の先生が部屋に来た。大喧嘩のはじまりだった。私は死にたい、死にたいと何度も言っていたそうで、それが心配だから親に薬の過剰摂取で運ばれたと報告するというのだ。私は小学生並の駄々をこね、泣き叫んだ。
その結果、絶対に自殺をしないことと、入院中のご飯を全て食べることを約束させられ、両親にはコロナウイルスの関係で入院していたと言ってくれた。

私はもう入院したくない、この薬を飲んだら倒れる、この薬のせいだ←アホ と思いそれ以降は市販薬をODするようになった。 今も週3、4くらいのペースでしている。そのかわりリストカットは3ヶ月程辞められている。正直私はODを辞めたいとは現時点で思わない。ODをすることで自分は助けられた場面がいくつもある、頑張れた場面がいくつもある。それにストレス発散方法が他に見つからないからだ。

そりゃあ辞めれたら身体にも良いけど、私は30〜40錠の倒れない程度であれば、自分の気が済むまで飲み続ければ良いと思う。そういう考えに至った。


次回はリストカットについて書こうと思います。

またねー*˙︶˙*)ノ"

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