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幸せを願うとき

母から、クリスマスプレゼントに銀彫りのノームをもらった。
御歳80を迎え、今年で引退する彫金師のおじいさんが、手彫りで作った一点物。
ノームの髭や後ろ髪までとても繊細に彫られていて、少ししかめ面をした顔と、三頭身の体のフォルムに愛嬌がある。
聞けば、これを持っていると持ち主に幸せなことがあるらしい。

「娘さんに幸せなことがありますように」

との言伝を添えて。

幸せのノーム

彫金師のおじいさんとは、直接的な面識はない。
仲のいいお客さんの娘だから、ただ深い意味などなく発した言葉だったかもしれない。
私にとっては、とてもいい香りの花束を渡してもらったように嬉しかったですよ、おじいさん。

知らない人の幸せを願うことができる心、その人生とはどんなに豊かなものだったのだろうか。

思えば、今年はたくさんの人にそういう言葉をかけて背中を押してもらった。
大変な試験に臨むとき、初めての仕事の現場に行くとき、失恋したとき、大切な人が病気になって悲しさにつぶれそうなとき。
必ず誰かが、「大丈夫。あなたならできる。幸せになりなさい。」と声をかけてくれた。

そして、今年は「この人には幸せでいてほしい」と思うことが多かった。
弟のように大切な後輩、家族、親友たち、元恋人、様々な道を歩み始めた同期たち、愛すべき師匠。

僕は君を愛している。そして、それは君には関係のないことだ。
ゲーテ

この言葉を私はとても気に入っている。
自分の生まれ持った気質について酷く悩んでいた頃、エレイン・N・アーロン著の本の中で出会った言葉だ。
人を愛する時、対価を求めるわけでもなく、ただ願いや祈りの様に自分の中で終始する。
幸せを願う気持ちは、もっともこれに近い感じがする。そう人に思われること、人に対してそう思う自分の気持ちそのものが、とても幸せなだと感じる。

アドラー心理学の一項に、「課題の分離」というものがある。
親子関係で例えると、親が子供の抱える問題に必要以上に干渉し、子供が育むべき課題解決能力を奪ってしまうという事例だ。
愛も時として、人の自由を奪ってしまうものになることがある。
見返りを求めて愛することは、必ず相手の領域を犯してしまう。
自分で自分を幸せにできないと、こういうことは起こり得てしまうように思う。

人の幸せを願える人は、たとえその時人生に逆風が吹いていたとしても、よりよい方へ自分で自分を幸せにする努力ができる人なのだと思う。
私の幸せを願ってくれる人たちがいる限り、私は自分を不幸にするようなことはしないようにしたい。

そして私も、人の幸せを願うことのできる人でありたい。







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