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今さらですが地震のこと(大阪~岩手)

能登半島で大きな地震があって二月半。
東北の地震からはもう13年なんですね。

これまで大きな地震の後、場合によっては現地に行って、
被災建築物応急危険度判定や罹災証明(2次)現地調査、相談会対応など、
あるいは、耐震診断や耐震補強計画、施工業者のご紹介など、
生活再建に向けてのご協力をさせていただきました。
(なお、私は構造設計者ではなく意匠屋です)

能登半島については、自分自身の状況が厳しかったため、
正式な公的支援要請が入れば現地入りを検討することにしました。
そう決めるとようやく少し気持ちが落ち着きました。
(現在までのところ、要請はなく、現地には行っていません)
やはり給水が復旧していないのはかなり大きいのだと思います。
現地のみなさんが大変なのはもちろん、応援も受け入れにくいはずです。

東北の時も正式な応援要請はありませんでしたが、
1週間ほど岩手県に行っていました。
行く前に建築士会釜石支部に電話しました。
「まだ応援が来ていない。すぐにでも来てほしい。
 でも、こちらには宿がありません」
「寝袋を持って行くので屋根があればどこでも寝ます」
「何を言ってるんですか。岩手の4月上旬は大阪の冬みたいに寒いですよ」
「えぇっ、そうなんですか!」
というやり取りの後、友人と二人で大阪を出たのが4月10日(日)夕刻。
相棒の車で15時間ほど走ったでしょうか。

翌11日(月)早朝に岩手県遠野市の体育館(総合福祉センター)に到着。
その週は体育館に寝袋で泊まりながら、車で釜石市内に通い、
被災建築物応急危険度判定に準ずる作業に従事しました。
準ずる、というのは厳密には少し意図とか内容が異なっていたからです。
当時、岩手県は「住宅相談」と呼称していたと思います。
依頼のあった建物に伺い、損傷した建物について状態を説明し、
生活再建なさるための判断材料としていただくという感じです。
建物の種類は、住宅、店舗兼用住宅、工場、業務ビル、公共施設、学校などで、
構造的には、木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造、混構造とひと通りありました。

やっぱり岩手は寒かった!
1週間お風呂に入れないので、バリカンで坊主頭にして行ったのですが、
ヘルメットの中がすーすーと風通しが良すぎでしょう!
暖房のない体育館でも凍えて眠れなかった。

ちょうど桜が咲きかける頃、大阪を出て、
岩手で咲きかける頃、大阪に戻ったので、
あの年は満開の桜を見ていない。
せっかく、「遠野物語」の遠野に行ったのに、河童もさがせなかった。
とても残念。
まぁ、それどころじゃなかったですもんね。あの時は。
今度はぜひ観光でのんびり行きたいです。
岩手県、遠野も釜石も。

その後、大阪北部地震の朝には、釜石支部の方から
「生きてますか?!」と電話をいただきました。
遠野で知り合ったボランティア支援団体の代表さんとは、
大阪で再会した際にお互いが作業着姿でないことに感動したりもしました。
遠野で出会った方たちに、もしもよろしければと提案して、
「三陸海の盆」当日、遠野と大阪でキャンドルをいっしょに灯しました。
ご縁とはありがたいものやなぁと思います。

みなさん、もう次へすすもうとなさっているのに、
こんな話をここでするべきかかなり迷いました。
結局、なるべく簡潔にお話することにしました。
いつもここでは、ひとつの記事を短く切り上げるようにしています。
今日は私にしては長めです。
お付き合いくださりありがとうございました。

ここまでが今回の記事です。

(当時の記録は削除しました。3/14)

簡潔に書こうとして、あまりに説明不足だったと思い、
前段の説明を追記しています。
3月11日から少し日が経ち、気持ちも落ち着いてきました。
地震は今後も必ず起こるので、やはり記録にとどめるのは意味がある。
それぞれの立場でそれぞれの記録があってよいと思います。
よって、いずれまた整理したいと思います。
追記3/17(改題共)

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