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よみがえる蝶

昨日の記事で、ジャニス・ジョプリンのポルシェに描かれた蝶が、もしかしたらジャニス自身なのではないか、と思ったことを書いた。
あのあと、もしかすると、私の頭の中にこの手紙が残っていたから、ジャニスのポルシェの蝶に繋がったのかも知れない、と思った。

地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、
もう、からだをぬぎ捨ててもいいのよ。
からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、
たましいをつつんでいる殻なの。
ときがきたら、からだを手ばなしてもいいわ。そしたら、
痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。神さまの
お家に帰っていく、とてもきれいな蝶のように、自由に・・・・・・。
                     がんの子どもへの手紙から


本を片付けていたら、蝶が出てきたのだ。
エリザベス・キューブラー・ロスの『人生は廻る輪のように』。
こういうシンクロめいたことは、私の場合にはよくある。
だからこそ、この本にも辿り着いたのだと言えるかも知れない。
非常に読み応えのある本だ。
再び、読んでみた。

世界的ロングセラー『死ぬ瞬間』で死の概念を変え、生涯を通じて「生と死」の考察に深い眼差しを注いだ精神科医キューブラー・ロスによる、最初で最後の自伝。スイスで過ごした少女時代、難民救済活動、ナチス強制収容所で出会った蝶の壁画の謎、医師への道、結婚とアメリカへの移住、終末期医療と死の科学への取り組み、ヒーリングセンターの設立、放火による全ての焼失・・・・・・。魂の名医が綴った、愛と死と生の秘密。

少女時代からの自伝の中で、さまざまな出会いと学びが書かれている。
その中で、蝶について書かれているのを思い出したのだ。



喪失の対処法に関する専門家として、その心理状態の変化を研究し、それぞれの段階を、怒り、否定、取引、抑うつ、受容の五段階論として定義した著者。
神学的にも読めるような内容だけれど、とても理解できる。


数々の実体験が描かれる中で、「蝶の謎」という章がある。
ナチスのマイネダック収容所で生き残った少女との話だ。
「どうしてこんなことができたのだろうか?」
という問いに対して、
「あなたの中にもヒトラーがいる」
という少女の言葉を、のちになって著者は振り返り理解する。

収容所の壁には、名前やイニシャル、いろいろな絵がほりつけられていた。
そして、あちこちに同じイメージがくり返し描かれていることに気づく。
蝶だった。

建物は蝶だらけだった。別の建物に入った。やはり蝶がいた。「なぜなの?」わたしはつぶやいた。「なぜ蝶なの?」
 なにか特別な意味があることはたしかだった。なんだろう?それから二五年間、わたしはその問いを問いつづけ、答えがみいだせない自分を憎んだものだった。

そこへの訪問が、そして、蝶についての問いが、エリザベス・キューブラー・ロスのライフワークへの準備であったことを、後に理解する。


神よ、わたしにお授けください、
変えられないことを受容する度量を。
変えられることを変える勇気を。
そして、その両者のちがいを知る叡智を。


この言葉を、昔、私は何度も復唱したことを思い出す。
エリザベス・キューブラー・ロスの逃げない強さ。
その姿に胸打たれたことを思い出す。
反骨精神で、世間に、人生に立ち向かっていくその姿が、この自伝には書かれている。
自分をか弱いなどと卑下しない。
センチメンタルに浸る暇があったら、前進する。
私は、そういう人が好きなのだ。

私は、最終的に人の根本にある強さを信じていたい人間だ。
それは、たぶん、今までの拙い経験から、この世に生きていることは、選んできた修行で、偶然などなく全て必然である、と幾つかの本に教わったからだろうと思う。

学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業が許される。未来の蝶をつつんでいるさなぎのように、たましいを閉じ込めている肉体をぬぎ捨てることが許され、ときがくると、わたしたちはたましいを解き放つ。そうなったら、痛みも、恐れも、心配もなくなり・・・・・美しい蝶のように自由に飛翔して、神の家に帰っていく・・・・・そこではけっしてひとりになることはなく、わたしたちは成長をつづけ、歌い、踊る。愛した人たちのそばにいつもいて、想像を絶するほどの大きな愛に包まれて暮らす。

エリザベス・キューブラー・ロスの、蝶に対する問いへの答えなのかも知れない。



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