箱に入った本たちに巻かれた薄紙の行方
職場の友人と話していたある時、なぜか「広辞苑」の話になった。
懐かしくなった。
大きくて分厚くて、水色に近い青色の表紙の広辞苑が、家の机の上に横にして置かれていたのを思い出した。
父は、文章を書く仕事をしていたので、家で仕事をするときにはハイライトという煙草と灰皿、A4で薄いグレー罫の原稿用紙と滑りの良い4Bの三菱uni、社名の入った取材用のメモ用紙と、夜には角瓶が机の上に並んでいた。
黄色いBicのボールペンで乱雑に書かれた、筆圧が強く、濃くて丸みのある大きな字が並ぶメモ用紙を捲りながら原稿を書いており、その傍に広辞苑があった。
そういえば、ハイライトの青のように、広辞苑の表紙も燻んだ青の記憶である。
そして、子どもの私は広辞苑は押し花の重しに使っていたのだった。
あの重みがちょうど良かった。
そんな風に、生活に絡め取られた家の広辞苑は、箱から出したままで使い続けていたので表紙の角は擦れていたし、シミもあれば角が折れたページもあった。
辞書や辞典はそうして使うものだと思っていたけれど、新しく英和辞典を買ってもらったときには嬉しくて、私は箱に入れたまま使っていた。
母は、箱は捨てたほうがいいわ、と言った。
知りたいことをすぐに調べたいのなら、箱に入れるのはおやめなさい。
辞典は傍において、すぐに開けるようにしておきなさい、と。
今の私は、知らない言葉は何でもスマートフォンで調べてしまう。
便利な世の中になった。
古語や漢字は辞典を開くこともあるけれど、重い広辞苑は、今の家にはない。
百科事典も同じだ。
実家の壁には、百科事典が並んでいたけれど、私は小学校の夏休みの宿題以外で開いたことはなかった。
索引を間違えて重い一冊を引っ張り出し、しまって出し直すのは、子どもにとっては一仕事だった。
挙げ句の果てに、大人になってから百科事典をテラスから投げ捨てる夢をみたことがある。
なんて罰当たりなんだろう・・・と思いながらも、夢分析を習っていた先生に話したら、笑いながらこうおっしゃった。
「あなたは感覚の人ですから。頭で考えずに直感を信じてみては?という夢かもしれませんね。」
世界文学全集と日本文学全集は、百科事典の上の段に並んでいたけれど、こちらもなかなか開かずにいた。
国木田独歩の武蔵野とシャーロット・ブロンテのジェイン・エアは確かに開いて読んだ。
あとは、途中で本棚に返したのか?
なかなか手を伸ばさずに、全集以外に手を伸ばしていた理由はといえば?
思い当たる。
あのハトロン紙のような半透明の薄紙が原因であったように思われる。
本は薄紙で包まれていた。
その薄紙は、本をすーっと出して、すーっとしまう時に、どこか引っかかって、ビリビリと破れる音がする。
すると、なんとも悪いことをしている気になるのだ。
それなら、薄紙は捨ててしまえば良かったような気がするけれど、それもまた、輪をかけて悪いことをしているような気がしていたのだ。
元に戻さなくても、血肉になっていれば許されるのが書物なのかも知れないけれど、当時の私にはそんな発想はなかった。
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」だけは特別で、薄紙をかなぐり捨てて読んだ。
たぶん途中まで、半分切れてしまった薄紙を捨てられずにいたように思う。
ジュリエット・ビノシュの映画もあったな、と思い出す。
ケイト・ブッシュの「嵐が丘」は、絵を描きながら聴いていた。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。