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そうなってしまったような、そうしたような・・・

色々な仕事をしているうちに、過去の経験のそれぞれが繋がっていたとわかる。
ある程度の大人にならないとわからないことでもある。

迷ったり、無駄なことをしたり、険しい道を選ぶ決心を多くしてきたこと、それで辿り着いた今の自分ではあるのだけれど、強制終了的なことも起きたし、方向転換せざるを得ない状況に追い込まれることもあった。
進むべき道はそちらではないよ、とでも言うように。
結果、そうなってしまったような気がするけれど、そうしたような気もするのだ。

新卒で入った会社での10年間が、働く私の基礎を作ってくれたのは間違いない。
美術予備校で毎日絵を描く高校生活から美大へ行った私が、色々な分野の方々に出会い、社会のルールを勉強したのは、就職してからだった。

早く30歳を越えて、落ち着いた振る舞いで仕事をしたいと思っていた。
広告代理店の方には言葉で叶わないし、印刷の技術がまるでわからなくて、実現できるデザインなのかどうかの判断もできなかった。
そんな自分を、いつも未熟だと感じていた。
それでも、その頃に知り合った方々とは、今もお付き合いいただいている。
ただただ、一所懸命だった私を受け止めてくださったことには感謝しかない。
そこで社会の常識のようなものを身につけられたことは財産だ。
どこへいっても、すぐに働ける気がするのは、あの日々があったからだろう。

本当はひとりが好きで、絵を描いたり、文章を書いたりして暮らしていたいのに、どういうわけか人と関わる仕事に導かれていく。
海を眺めて、波音を聴いて、本を読んで一日が過ぎていったら幸せなのに、なぜか、忙しい都会の真ん中で働いている。
そうしているわけではなくて、そうなっているようにも思える。
私の使命のようなものがあるとしたら、そこに近づいているのだろうか。
選んだわけではないつもりで、選ばされているような未来もあるのかも知れない。

今回、栗A太さんが、私を見つけて紹介してくださり、とても嬉しいお言葉をくださった。
当時の私とは、また違う職場で、違う仕事をしていて、実は、新たな資格を取ろうとしていて・・・noteはたびたびお休みしながら、それでも、noteを書き出すと心が浮き立つ。

絵を描いたり、楽器を演奏したりして集中している間の脳にはθ波が出ていて、瞑想のような効果があると聞いたことがある。
私が文章をイメージするときは、また違う感覚で、光る何かを集めたくなる。
こちらを主にすると楽しくなって、他ができなくなってしまうというジレンマに陥るので困ってしまう(笑)。

栗A太さん、とても嬉しいプレゼントを、ありがとうございます。
また、すぐにnoteを書きたくなってしまいました。
続けていく力にさせていただきます。




書くこと、描くことを続けていきたいと思います。