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【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった #7

 私は夜が来るたびに今まで出会った女達を回想するようになった。別れようと言ったら、ナイフでグサッと刺されるような、真の、燃えるような、命懸けの恋愛体験はなかったが、私にもロマンスの一つや二つはあった。もう蓋を開くことはないけれど、胸の中の宝箱に大切にしまっている森高美佳という女もいる。

 東京で輸入車販売の営業マンをしていた頃、村上吉江という信用金庫勤めの女とつきあっていた。吉江は自分の靴を見ながら歩くような地味な女で、小さく、足が短く、ちょっと肥っていた。眼鏡を掛け、わずかばかりの知性を鼻先にぶら下げてはいたが、醜女の部類だ。交際しながらも、どうしてこんな女しか当たらないのだろう、どうしてこんな女しか愛してくれないのだろう、と私は常に嘆いていた。渋谷でも、六本木でも、銀座でも、手足の長いきれいな女は大勢いて、護衛もなく濶歩しているというのに、どうして私は彼女達と出会う運命にないのだろう。

 まあ、そんな心情を吉江に覗かれていたら、あんただっていい男じゃないんだし、お互い様よと言われただろうが、私は美しい女を恋人に持ちたいという理想を諦めたくなかった。だったら、なぜ気に入らない吉江と恋人関係になったんだ? と思うものもいるだろうが、恋愛には一瞬の鮮度が理想をしのぐ場合がある。

 吉江は下北沢に芝居を見に行った時に出会った女で、たまたま席が隣り合わせだった。私達は新しい朝日がのぼり、星々が白んだ天表に沈む前にそういう関係になった。それは私が女を抱きたくてぎらぎらしていたというよりも、彼女がそういうことに抵抗のない女だったせいだ。芝居のあとに入った居酒屋で話すことがなくなり、私が終電の時間を気にしていると、「別に私は泊まってもいいけど」と彼女のほうから言ってきた。

 それから私達は毎週会うようになった。当時、私は世田谷区の三軒茶屋に住んでいた。雨の日も、晴れの日も、私達がデートをする場所は、私の1LDKのアパートだった。密室に入り浸たり、肉体をぶつけあいながら快楽の限りを尽くしたかといえばそうではなく、私達はテレビゲームをしたり、互いの似顔絵を描いたり、ビデオを借りて映画を見たりして、だらだらと一日を過ごした。昼間の日脚が差し込む暑い部屋で彼女を素っ裸にして、体中のあらゆる箇所を覗いたりしたこともあったが、私は一人の大人の女性がここにいるのに、その女性をあんまり見ていなかった。

 私はいつも不機嫌で、吉江を雑に扱っていた。

 青空の下でデートをしたい、箱根や京都へ旅行をしたいと吉江は希望を言ってきたが、私はその行動に喜びを感じなかった。どうイメージしてもその時間が薔薇色になるとは思えなかった。私は吉江の要望を却下した。そうやって首を振り続けていれば、そのうち私に愛想をつかし、吉江はアパートへ通って来なくなるだろうと思った。が、ある日。「ピクニックならいいでしょう、ピクニックなら」と吉江は食い下がってきた。いつもは私の断わりをため息で答えていたのに、その日はどこぞのホテルのレストランでフランス料理を食べたいという要望に感情なく首を振ったら、「ピクニック!」と第二の要望を出してきた。

 私はピクニックという目新らしい響きにぐらっときたのだろうか。それともずっと断わり続けるのは可哀想と思ったからだろうか、私は進まぬ顔で了承した。吉江は相好を崩し、見たこともないくらいうれしそうな顔をした。私は逆に鼻白み、そんなに喜ばれると断わればよかったかなと思うのだった。

 それにしても? 何のために、この女と一緒にいるのだろう? 私は自問した。

 愛しているわけじゃないし、体も目当てじゃないのに、どうして? 

 どうして? どうして? どうして? と考えているうちに一週間がたった。

 私は西武鉄道の電車で出掛けた多摩湖畔で吉江が早起きをしてこしらえたという手作りのお弁当を食べた。

 カニとホタテのちらしに、私の大好物のイカのフライ、ダシ巻き玉子・・・。食べているうちに、泣けてきた。

 こんなにおいしいお弁当を、おまえをこれぽっちも愛していない私のために! 吉江にすまないと思った。

 いい子だ、とてもいい子だ。だから、僕ト君ハ出会ッタンダネ。

 私は吉江をピクニックシートの上で後ろから抱き締めた。片腕で胸を包み、もう一本の手で腹や腿や股間をまさぐり、強く、強く引き寄せた。吉江は顔をひねり、尖った口を鳥のように突き出してきた。私は唇を吸い、舌を差し込んだ。それで、吉江との別れが半年延びた。

 吉江は、気立てのいい女だった。なのに、私は容姿のあらやマイナスポイントばかりを探し続け、愛することを怠った。理想の女を常に追い求め、今そばにいる吉江よりも、まだ見ぬ女に恋をしていたのだ。それが、涼子だった。

 しかし、私は今になって思う。社会や時代が変わっても、男が描いている昔ながらの妻の役割を演じてくれるのはきっと村上吉江のような女に違いない。早起きで、料理がうまくて、ごく普通の女らしい夢を持ち、男を威張らせ放題にさせてくれる・・・。結婚が先にあって、それから恋愛というものを経験できるのなら、私は吉江のような可愛くない女にも恋をするかも知れない。それとも、結局また、涼子のような猛毒女にひかれ、噛み跡を増やしてしまうのだろうか・・・。

 私は眠れぬ両目をぱっちり開けて隣の涼子を見た。夫婦の間が険悪になっても並んで眠らなければいけないなんて、ダブルベッドって、なんて残酷なんだろう。

 涼子は枕に半分顔を埋めながら、口をぽかんと開き、歯医者の夢にうなされているような騒々しい寝息を立てていた。これが私の愛した川村涼子の正体なのだろうか。鬱蒼とした深い森の中にいるような窓明かりに浮かび上がるその寝姿は、結婚した当初、ディズニー映画から抜け出したプリンセスのようにも見えたが、今はまるで怠惰なホルスタインがごろんと横たわっているようだった。低血圧と言ったことも、美人にはアクセサリーのような言葉だと思っていたが、単なる寝ぼすけや怠け者の常套語であることがわかった。

 そう、一緒に生活していくうちに、私は涼子という女が少しずつわかってきた。涼子はいわゆる内弁慶で、外面がよく、親しくない者の前では可愛らしく体裁を繕うタイプの女だった。つまり、最初は猫をかぶっているが、親しくなると本性を現わし、傍若無人な態度に出る性格を持っていた。おそらく幼い頃は家庭で、魅力的な女になってからは男達に甘やかされながら生きてきたのだろう。その時、涼子の鼻は何センチも高く伸びていたに違いない。そしてその鼻頭は、私を見下すためと鼾をかくために、初めて見た時よりもますます盛り上がっていくようだった。

 さらに、この女にはきつく叱っちゃだめだということもわかってきた。叱ればその何倍もの怒りが返ってくる。しかも、私を震え上がらせる野太い声で。明らかに涼子が悪くても、絶対に認めようとはしなかった。少しは済まないと思う時には、謝るよりも言い訳が先に出た。

 離婚というまな板の上に載せられてからも、涼子のわがままな振る舞いや言い草に、カチンとくる時があった。しかし、自分の小言が夫婦の崩壊につながることを思うと、ぐっと怒りを堪え、不満を言うかわりに私は拗ねた。拗ねるなんて男らしくないと思いながらも、私の不満を涼子に悟らせるには(逆切れさせずに、わかってもらうには)、それしか方法がなかったのだ。涼子の方も私が拗ねると少しは可哀想に思うのか、言い訳をしながらも「ごめんね」と煙草に向かって言い、そのあとで猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしながら擦り寄ってきた。

 その可愛らしさに私はすぐにだまされ、涼子を抱き締めると、頬を連結し、鼻を口に含み、顔中に水っぽい唇をぺたぺたと押し当てた。そして、過去に出会ったどの女よりも、このきれいな女を妻にできたことを心からありがたく思い、神にも感謝し、他のことに贅沢を言っちゃいられないと自分に言いきかせるのだった。

 この涼子の美貌を受け継げば、きっと天使のような赤ん坊が生れるに違いない。しかし、結婚したばかりの頃、私が一年ほど新婚気分を楽しんでから子供を計画的につくろうと言うと、

「あら、真ちゃんは子供が好きなの?」

 私を「真ちゃん」と呼ぶ時は、涼子の機嫌が最高にいい時だ。確か給料日で、涼子に小遣いを与えた最初の夜であったと思う。同時に、私が涼子のクレジットローン月々約四万円を肩代りすることになった最初の月でもあった。しかし、この時ですら、

「私は、嫌いよ。子供なんていらないわ」

「だめだよ、子供はつくらなきゃ」

「どうして?」

「どうしてって、父親になりたいからさ」

「まったく田島さんたら、人のことを全然考えないんだからァ。産むのは私なのよォ。それに初めての時は、赤ちゃんが出てくるところを切るって友達が言ってたわ。そんな痛いこと、私は絶対にいやですからね。どうしても欲しいというんなら、田島さんがどっかからもらってきて、自分勝手に育てるといいんだわァ」

 そのあとも何回か子供の話題を出したが、涼子はつくらないの一点張りだった。しかし、そんな子供どころか、私達夫婦の将来さえ危うくなったのだ。

 私は想像した。涼子と別れ、再婚もせず、ひとり寂しく年老いていく自分の姿を。私はかつて妻だった川村涼子という女を生涯想い続けながら、ひっそりと死んでいくのだ。私はぞっとした。そして、結婚をしたというのに将来に暗い雲がかかり、来る日も来る日も不安でたまらない自分が惨めでならなかった。


⇒やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった  #8へ続く



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