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【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった #8

 私は東京の大学を出ると港区にある輸入車販売会社に勤め、五年で転職し、今の会社に入った。実家はニッカウヰスキーの蒸留所がある余市で、父はりんご園をやっている。前の仕事に不満があったわけではないのだが、帰省をするたびに両親が老けていくのを見て、長男としてそばにいてやりたいという青っちょろい気持ちになったのだろう。東京で迷っていた時、たまたま新聞の求人欄に今の会社の募集広告が載っていて、勤務地が札幌ということで私は飛びつき、東京で面接を受け、採用され、北海道に帰ってきたというわけだ。

 収入は悪くはないし、仕事もそれなりに楽しかった。だけど、涼子に出会った頃は、何かせっぱ詰まった、焦りのようなものがあったと思う。学生時代の友人の多くはすでに落ち着き、世界経済や株の知識と同じくらい、おしめの取り替え方や赤ん坊の病名に詳しいオトナになったというのに、私はまだ結婚相手すら見つけることができなかったのだから。三十歳。その年齢ならもう子供の一人や二人はいてもおかしくなく、家庭に仕事にもっとどっしりと構えなければいけないのに、私は一人の女を見つけるためにまだ人生をふらつきさまよっていた。そこへ川村涼子という女が天から降ってきたように現われた。私は当然結婚を意識した。

 出会った時、涼子には男友達が大勢いたと思う。彼女にとって私は決して特別な男ではなかったはずだ。私が電話をし、会いたいと言えば会ってくれたが、涼子からの電話やメールは一本もなかった。そんな私達が結婚できたのは、これはもう一方的に私が彼女を愛したからに違いない。そう、私は愛した。涼子の全てを。

 涼子は今でも言う。あの頃の私は優しかったと。そんなことはない、今と変わらない。と、口では否定してもきっとそうだったのだろう。私は涼子と一緒に肩を並べて歩けるだけでも幸せを感じ、涼子の匂いを風が運ぶたびに、鼻の孔をそっと膨らませたものだ。

 確かに、ああ確かに、私の目に映る涼子は美貌の塊だった。その美しさ、その輝き、その匂い、その気高さ、その女っ振り、何もかもが、私が決して出会うことがなかった別世界の人間のものだった。髪の艶も、鼻の尖りも、唇の色気も、首や耳たぶや手首につけている光物も、少年のような脚の先っぽを包んでいる形のよいパンプスも、何もかもが、何もかもが、何もかもが、魅力的で、素敵で、私をどうしようもないほどめろめろにさせた。

 会うたびに私はとりとめのないことを涼子に話したが、言葉を放り出す口はそれほど感情を持っていなかった。彼女を鑑賞する目と、香りを嗅ぎ取る鼻だけが敏感に活動し、あとは心の声を力いっぱいに出して、

「好きだ、好きだ、大好きだ!」

 と目の前の涼子に訴え続けていた。

 私は近眼で、髪の毛に乏しく、米国の映画監督・俳優であるウッディ・アレンを若くして漫画にしたような顔をしていると言われたことがある。年齢とともに一重目蓋が二重になり、土臭ささもなくなり、少しはましな面になってはきたが、百七十センチに満たない身長で、パンプスを履くと涼子の方が高くなる。高校のアルバムが自分もかつてはスポーツ少年であったことを感傷するためにあるように、大学の卒業写真は髪があった時代を懐かしむためにあった。歩いていていても、食べていても、眠っていても、とにかく一日生きるごとに毛が何本も抜け落ちて、三十歳になるまでに間違いなく禿げるだろうと思っていた。しかし、神様は涼子との出会いまで髪の毛を毟り取り、頭肌を太陽の生贄にするのを待っていてくれた! そんなしょぼくれた、風采の上がらない面貌の男が、色香をぷんぷん放つ女にプロポーズをするのだ。軽挙でもあり、愚行でもあり、冒険でもあった。

 私はなかなか言えなかった。

 結婚したいという気持ちはあっても、それを直接本人に伝えるとなると、それなりに勇気がいるもので、

「・・・あのう、・・・」

「うん?」

「・・・」

「どうしたの? 急に真面目な顔になっちゃって」

「いや、何でもないんだ。・・・」

「くすくす、おかしいわ、田島さんったら。くすくす、くすくす」

 デートの最中、涼子が沈黙をするたびに、私は体重分のプレッシャーの塊になった。意識だけが常に先に立ち、高鳴る心臓の鼓動を抑えるのに必死で、とても告白できそうになかった。今までただ美しいと思っていたものが急に怖く見えてきて、その麗姿に平伏すような気持ちにさえなった。

 プロポーズをする。ただそれだけのために歩いて大倉山シャンツェまで行ったのに、雨に降られただけだった。大通公園、中島公園、旭山記念公園、月寒公園、滝野すずらん公園、モエレ沼公園、百合が原公園、藻岩山展望台、手稲オリンピア、・・・(あああ、どこでもいい、木があって、花が咲いていて、ベンチがありさえすれば!)携帯でグーグルマップを見ながら作戦を立てたりしたが、いざデートをしてみるとそんな方向に向かうのはなんだか不自然で、結局いつも地下街や三越近辺の雑踏をいやというほど歩き回っただけだった。

 そんなデートを秋までに七、八回したと思う。会うたびに涼子への求婚の思いがますます高まり、私の葛藤の日々は続いた。彼女も二十四歳だ。ひょっとしたらもう将来を約束をした男がいるかも知れない。彼女は優しいから、私の誘いを断われないのだ。きっとそうだ、そうなんだ。「ほんとはフィアンセがいるんだけど、田島さんがあまりにも哀れだから会ってあげるんだわ。でも、もう電話をかけないで。だって、フィアンセに悪いんだもの」彼女はいつもそれを言おう、言おうとしているんだ。初めて会った時から、叶わぬ恋だったんだ。と、今日諦めたと思ったら、次の日には涼子を逃したくない、彼女こそ自分が三十年間ずっと探し続けてきた女なのだという思いに変わっていた。そして、次の日にはまた意気込みが萎み、というふうに、強く彼女に向かったかと思うとすぐに弱気な波にさらわれてしまう。まるで意志というものが自分の決定を離れ、アンバランスな波間にふわふわと浮かんでいるようだった。毎日ざぶんと気持ちがうねり、自分にさえ己の本当の気持ちがわからなくなるほどだった。しかし、最後には結婚したいという私の気持ちが勝った。

 十月の日曜日、私達は裏参道のレストランで会い、スパゲティーを食べ、それから円山動物園へ行った。まず子供動物園に入り、私は羊のお尻を突っつき、涼子はユキウサギの耳を撫でた。私はライオンの檻の前でけりをつけたかった。早く告白して、気持ちを楽にしたかった。だけど、涼子はウサギのそばから動こうとしなかった。狂犬病の予防注射を打たれに行く犬のように、何かを察知したのだろうか。急に言葉も動作も鈍くなり、ウサギが動物の中でいちばん好きだと言い、どうして自分に「うさぎ」という名前をつけてくれなかったのだろうと、親を呪っていた。

 涼子はライオンのところに行ってもまだウサギの話をしていたと思う。私はすっかりプロポーズのタイミングを逃してしまった。だが、動物を見て回るうちに、涼子は次第に寡黙になった。私が何を言っても、唇で愛想なく微笑むだけだった。つまらなくなったわけじゃない、私の本題に耳を傾けようとしているのだ。私達は異常なほど多くいる烏を蹴飛ばすように歩きながら、熊の館まで行った。円山やシャンプ台のある山はもう色づいていた。青い空に筋雲が流れ、木々の彼方に市街地が浮んでいた。私はホッキョクグマを見ながら、涼子に気づかれないようにそっと息を深く吸った。秋の冷たい空気がすっと喉を通り過ぎていった。

「結婚してほしいんだ・・・」

 私は涼子を見た。彼女の銃口のような瞳が大きな鏡だったら、今にも泣きそうな私の顔が映っていたに違いない。体中の血は勇ましく沸き立っていても、表情に出すと私は情けないほど哀れになってしまう。目の前の女がこんなにも怖く、真剣に見詰めているというのに・・・が、それはほんの一瞬のことで(それとも長い時間であったのだろうか?)、

 涼子は尖った顔をすぐに円く崩すと、「うん」と小さく頷いた。

「・・・そんなに簡単に返事をしてもいいのかい。僕は本気で言ってるんだよ。初めて君を見た時からずっとずうっとそのつもりだったんだから。すぐに返事をしなくたって、一週間でも十日でもいい、時間をあげるからもう一度じっくり考えるんだ」

 と、私は言いたいところだった。しかし、私はその言葉を唾とともにごくりと飲み込むと、涼子の気が変らぬうちに、

「本当にいいんだね」

 震えた声で念を押しただけだった。すると涼子は唇を固く結んで、顎で頷き、喉の声でもう一度「うん」と言った。

 年が開けた一月某日、両親にも余市から出てきてもらい、私達は釧路の涼子の実家で結納を交わした。父親の川村喜一は工務店勤めの生真面目そうな大工で、母親の昭子は数年前まで学校給食センターで働いていたという。涼子の顔立ち、印象から考えて、川村家の雰囲気はこんな感じではないだろうか、自分なりに思い描いていたのだが、想像した派手さは微塵もなく、むしろ地味で言葉数も少なかった。涼子がその家にいると彼女だけがポッと浮き出て、まるでざらっとした砂の中に混じる金のようだった。

 この時、私の両親は初めて涼子と対面したわけだが、駅近くのホテルで親子三人になると、母はあんないい子はおまえにはもったいないと言って涙ぐんだ。父は涼子については何も言わなかったが、釧路はやっぱり寒いとそればかり言っていたことを覚えている。
 私はすっかり禿げ上がった父の頭をしげしげと見て、自分もいつかはこうなるのか。その時、(幻の)子供はいくつだろう。その(幻の)子供もまた私の頭を見て、抜け毛の恐怖を感じているのだろうかと考えていた。

 涼子はゴールデンウイークが始まる前の四月に会社を辞めた。結婚式は五月十七日、私の上司の高嶋康彦夫妻の媒酌でパークホテルで挙げた。そして、翌日の深夜、五日間の新婚旅行先のハワイヘ成田から旅立ったというわけだ。


⇒やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった  #9へ続く


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