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【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった #3

 それともうひとつ。朝食だ。

 私は結婚したからには当然、朝食にありつけるものと思っていた。私はそれを朝の散歩から帰ってきた犬のように楽しみにしていた。

 私はただ単に涼子の脚の間にある神秘の空間やブラジャーというベールに包まれた柔らかな丘のことばかりを考えていたわけじゃない。私は不幸な家庭で育ったわけでも、愛に飢えていたわけでもないのに、結婚することによって得られる幸福というものをずっと夢に見てきた。妻にキスで起こされ、歯を磨いてテーブルへ行くと、折り畳まれた朝刊と妻の作った朝食が待っている。ラジオからは「口笛吹きと小犬」が流れ、部屋の空気にコーヒーの香りが溢れ、私が何かを口の中に入れるのを待ってから、妻が聞く。
「おいしい?」
 そんなささやかな、しかも基本的な幸せの光景を、涼子との結婚が決まってから私はずっと思い描いてきた。しかし、いよいよ結婚という時、
「僕はラズベリーのジャムが好きなんだ。それさえあれば、朝からトーストを三枚食べられる」私が言うと、
 涼子はたった一言で、男の夢を壊してしまったのだ。

「一人で食べればァ」

 朝食は作らないと言ったのだ。私は冗談だろうと思った。結婚すれば作ってくれるだろうと。しかし、本当だった。低血圧だから早く起きれないと言って、朝食の支度どころか、私が会社へ出掛ける時もベッドで鼾をかいている。日曜日もほうっておけば午後の三時、四時まで眠っている。私はいくら日曜日と言っても、九時には目が開いてしまう。しかし「涼ちゃん、お腹が空いたよォ、ペコペコで死んでしまいそうだよォ!」と、涼子を揺らしても起きてはくれなかった。

 ああ、私の思い描いてきたささやかな幸福! 
 妻のキスで起こされるって? 
 テーブルで朝食が待っているって? 
 結婚したというのに、そんなのは、夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢のの夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢の夢だァ! 

 朝になったら目覚し時計に起こされ、コーヒーを自分で沸かし、時間と闘いながら排便をし、着替え、ドアに鍵を掛け、マンションから飛び出す。平日はその繰り返しだった。日曜日は前日に買ってきた食パンをトースターに放り込み、ラズベリージャムをコーヒーのスプーンで塗り、独り寂しく食事をとった。そして涼子が起き出すまでの数時間、私は何をするでもなく、ただぼうっとテーブルで過ごしていたのだ。

 夕食は出してくれたが、愛情のこもった料理とは程遠いものだった。涼子は生れてから自分で料理というものを一度もしたことがないらしく、味噌汁はインスタント、カレーもインスタント、ご飯もおかずもコンビニでパックに入ったものを買ってきた。私は会社から帰ってくるなり、期待を込めてキッチンを覗いたが、ガステーブルに料理の鍋が載っていることはなかった。明日に期待をしよう、明日に期待をしよう、明日に期待をしようと思い続けても、涼子はいつもコンビニの袋から今夜のメニューを取り出した。そんな食事が結婚してからひと月ばかり続いた。もう、うんざりだ。もう、たくさんだ。私は期待をするのをやめ、涼子に小言を言った。

「涼ちゃん、ご飯と味噌汁くらいは自分でちゃんと作らないと」

「でも、おいしいわよ」

「作ったほうがもっとおいしいよ。ジャーも米もあるんだから、ちょっと研げば炊けるじゃないか。それに味噌汁だってダシと味噌があれば簡単に作れるのに、なぜ横着をするんだい」

「私、お味噌の匂いが嫌いなの。それに田島さんが何の具が好きなのか知らないし」

「僕かい? 僕は油揚げと大根の味噌汁が好きなんだ。いっぺん作ってやるからその通りにやってごらん」

 次の日、涼子に油揚げと大根を買っておいてもらうと、私は涼子の前で実際に作ってみせた。涼子は鍋にカップ何杯の水がいるのか、味噌の量は何グラムか、火加減はどうだとか、いちいち聞いてきたが、私は目分量で作っているので「このくらい、このくらい」と言ってばかりいた。

 私が料理をなんにもできない男だったら、コンビニのメニューを受け入れていたのだろうか。それとも涼子にもっときつく言ってその時点で結婚生活は崩壊していたのだろうか。幸か不幸か、私はキッチンに立つことに抵抗はなかった。学生時代は自炊生活をしていたし、社会人になってもスーパーマーケットで材料を買い、自分で作って食べることが多かった。料理のレパートリーもたくさんあり、包丁裁きもなかなかのものだった。こんな私だったから、なんにもできない涼子に本当に呆れてしまった。かと言って手を拱ねいていられず、私はご飯の炊き方から始まって、魚の焼き方、煮方、肉の炒め方、惣菜や和え物、コロッケや天麩羅の作り方までひと通り涼子に教えてあげた。

 振り返れば、この頃が結婚してからいちばん楽しかった。涼子も一生懸命に料理を覚えようとしていた。友人から贈られた有名デザイナーのエプロンを首から下げ、ちゃんと生徒になって、私の言うことをメモにさえしていた。「お料理一年生」という本も買ってきて、自分なりに応用して、料理を作ることを楽しんでいた。私はできたものを味見し、ちょっとしょっぱいとか、胡椒をもう少し利かせた方がいいとかアドバイスをし、多少まずくても涼子の意欲を失わせないためにとにかく褒めちぎった。涼子が初めて鰈の煮付けを作った時は、うれしさの余り記念撮影をした。二人のアルバムの最初の方に一ページを使って、「涼ちゃんの魚料理・第一号」というタイトルでその時の写真が貼ってある。そして次のページには涼子のエプロン姿も。私はキッチンにいる涼子の写真を撮りまくった。それがあとから我が家の貴重な写真になることも知らずに・・・。

 そのうちキッチンは二人の遊び場になり、実験室になった。天婦羅粉の代わりにホットケーキミックスを使ったらどんな味になるんだろうと試してみたり、卵と苺ジャムをかき混ぜ、赤茶けたサイケな玉子焼きを作ってみたり、キンキを買ってきてそのぐりっとした目の玉をきゃっきゃと言って爪楊枝でつっついたりした。我が家のスペシャル料理を作ろうと、大鍋の中に大根、じゃがいも、蕪、玉葱、人参、ピーマン、白菜、キュウリ、牛肉をぼんぼん放り込み、ぐつぐつ煮立て、辛子、生姜、山葵、タバスコ、胡椒、醤油、蜂蜜、ワインを次々に降らせた。

 素材はともかく調味はでたらめで、私は最初からそんなものが食えるとは思わなかったが、これも涼子の教育のためだった。ああそれに、キャベツの千切りやじゃがいもの皮剥き競争もした。むろん私が勝つのだが、負けず嫌いの涼子は、

「田島さんは年を取っているから、包丁の使い方が早いのよ。年の功というやつだわ。でもどう、きれいに剥けたのは私の方よ。田島さんのは、ほらッ、ここのところ皮がまだ残っているじゃない」

「これが男の料理というもんだよ」

「だめよ、雑にやっちゃ。すぐに調理をするからと言って、材料の剥き方はどうでもいいことはないわ。何でも見掛けをよくしないと。お茶碗とかお皿とかランチョンマットもそうよ。もっといい物を買いましょう。ただ食べるだけじゃ味気ないわ」

 と言って、涼子はさっそく何とか焼きという大皿だとか、どこどこのグラスだとかを買ってきた。そして、彼女が言うように、味はともかくとして、色合の工夫だとか、盛り付けの仕方だとか、テーブルのコーディネートに、実に素晴らしい感性を発揮した。

「ほら、こうして食べると、どこかのレストランで食べているみたいでしょう」

「本当だね」

「田島さんの教えてくれる料理はどれもおいしいんだけど、メニューが貧しいのよ。おしゃれじゃないわ。やっぱり料理はワインに合うものを作らないと」と、一丁前のことを言い出すようになった。

 もちろん私は涼子の意見に大賛成だった。そして、我が家の献立は短期間のうちにボルシチやステーキやムニエルに変わっていった。そして、たっぷりと時間をかけて食べたあとは涼子が皿を洗い、私もテーブルを拭くなどして後片付けを手伝ってあげた。私の求めていた結婚生活の理想はこれから徐々に形になり、やがて素晴しい日常になっていくのだろうと思った。

 だが、狭いキッチンを二人のハミングで満たした日々はいつまでも続かなかった。
 会社の方がちょっと忙しくなり、仕事から帰るのが十時、十一時になる日が続いた。涼子は一人でキッチンの大海に放り出されたとたんに、何もかもが面倒臭くなってしまったようだ。そして疲れと空腹を連れて帰宅した私は、涼子の手際の悪さを不満に思わずにはいられなかった。私は会社を出る時、「涼ちゃん、これから帰るからね」と必ず電話を入れていた。ところが涼子ときたら、私が帰ってから(面倒臭そうに)ご飯を炊き、食事の支度を始めようとするのだ。さらに、私がスポーツニュースを見ていたり、ソファで夕刊を広げているようなものなら、「ねえ、暇なら手伝ってよォ。私にばっかりさせないでェ!」とキッチンから苛立った声が飛んでくる。私は家に帰っても落ち着いていられなくなった。

 これは何もその忙しい時期に限ったことではない。涼子はもうちゃんと自分でできるくせに、とにかく私を使おうとした。その使い方も全て涼子の都合で、BSの中継でジャイアンツが逆転のチャンスであっても涼子の言いつけには即座に立って行動をしなければならなかった。「次の一球までちょっと待って」とテレビの前で言おうものなら、涼子は「もう、いいィ! 料理なんてもう絶対に、作らないからァ!」と金切り声で叫び、皿や鍋にあるものを全部流しに放り捨て、皿やグラスを床に叩きつけ、私に怒声をぶつけ、テーブルで煙草をくわえて不貞腐れるのだ。私は涼子の機嫌を損なわないように、できるだけ手伝ってあげた。最初の頃はテーブルに箸を置いたり、皿を並べたり、料理を運ぶだけで許された。が、そのうち、「たまには味噌汁を作ってよ」「代わりに肉を炒めてよ」「指を切ったからキャベツを切って」と涼子が言い始めた。その要望に、私は「はい、はい」と応えてあげた。私が見事にやり遂げると、涼子は味をしめて、私への要望をさらに増やすようになった。それが毎晩のように繰り返されると、食事作りの役割は妻の涼子よりも亭主の私の方が多くなっていくようだった。

 ある時は、風邪をひいたから今日は何も食べたくないと言って、涼子はソファで漫画の本を広げていた。そして何かを食べたいのなら、「勝手に作って食べればァ」と言うのだった。私はその言葉を聞いて、無性に悲しくなった。この妻に、亭主を思う心があるのだろうか。しかし、寝ているわけじゃないんだからご飯ぐらいは炊いておいて欲しかったなと、私が言うと、
「田島さんて病人に対する思い遣りがちっともないのねェ!」
 逆に涼子に責められてしまった。

 こんな妻なのに、出会った最初の日のことを脳裏に浮かべると、じーんとしてくるのはなぜだろう。それともじーんとしたいために、思い出そうとするのだろうか。
 じーんと、じーんと、ただじーんとしたい、それだけのために・・・。


⇒【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった  #4へ続く

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