見出し画像

ほんとうのわたし

3泊4日で推し活を楽しんできた。
私にとっては夢の国よりも、夢のような時間だった。
あと何十時間でも寝食を忘れてその空間にいることすらできる気がするのだ。
この数日のために数ヶ月、すべての嫌なことも大変なことも我慢して頑張ってきたが、そんな時間も一瞬で終わってしまう。
でも不思議なことにその一瞬のために、数ヶ月頑張ることは容易いのだ。

そして、私にとって遠征推し活のもう一つの醍醐味は、その土地にいる旧友と久しぶり会えることだ。
仕事のことや心配ごとからも、つまりは日常生活からしばし逃れて、自分と向き合うことができる。

わたしが本当は少しだけ破天荒なことも、自由が大好きで縛られるのが嫌なことも、笑いだすと止まらなくて地面にしゃがみ込んでしまうことも、ちょっぴり浪費癖があることも、職場にいる人たちは、毎日顔を合わせるにも関わらず知らないままなのだ。

関わりの薄い人たちからの第一印象でよく言われる、「マジメそう」や「おとなしそう」という側面も、本当はすべて私が職場で自ら作り出している虚像なのだ。
もはや否定をすることすら面倒くさいから、そうやって作り出してしまった方が楽だと思ってきた。
それを知っているのは本当に信頼できる数人と自分だけでいい。明かすつもりもないし、明かしたくもない。

でもその弊害として、結局根がまじめな私は、日常生活で「まじめ」な部分だけを引っ張りだされてしまうとすごくしんどくなってしまって、生きづらくなってくる。
少し脇道に逸れたことをすると、罪悪感が募り自分がどんどん嫌になってくる。
それがたとえば、友達と久しぶりに飲んでいて、終電を逃してタクシーで家路に着いたレベルだとしてもだ。

それを開放してくれるのは、今まで出会ってきた利害関係のない友達たちだ。
それは、世間的にはチャラいと言われるけれどバカバカしい話もできるような男友達だったり、私の衝動買いを否定せずむしろお揃いにしてくれる中高の友達だったり、悩みがどうでもよくなるようなだいぶ破天荒な女友達だったりするわけだ。

最近結婚した男友達と、この遠征中に7年振りくらいに会って近況を聞いたが(まじめな話をするタイプではなく、むしろおちゃらけた性格のノリの良い男友達だが)、「奥さんと結婚して出会ったのは3年前な訳で、これまでの自分を形成してきたのは27年間の中で作られてきた時間だから、そりゃ結婚しても、その27年間で形成された自分を完全に変えることは、奥さんでもできないよね。」そう何気なく言った一言が、妙に刺さってしまったのだ。

普段、「こうあるべき」や「これをしたらダメだ」と思っていた自分が頑なに存在したが、もっと本当の自分を大切にしてもいいのではないか。
むしろ、職場でもこの際本当の自分を出してしまえばいいのではないか、そう思えた。

そういう意味で、今回の非日常のような体験は非常に大事だったし、自分の変わらない根っこをもっと大切にしてあげようかなと思えたとても有意義な時間だった。そういう関係性を保てる友達たちをこれからもずっとたいせつにしていきたいなと感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?