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オールドノリタケに魅せられて / 愛知②
こんにちは。
少し間があいてしまいましたが、名古屋の続きです(記事「本物の縄文土器に触れてみた! 「南山大学人類学博物館」 / 愛知① 23/47」)。
縄文土器の次に会いたかったのは、オールドノリタケ。
オールドノリタケとは、明治中期から第二次世界大戦終結までに森村組と日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニー)が製造販売した陶磁器の総称。
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江戸で馬具商を営んでいた六代 森村市左衛門は、ペリー来航以来、日本の金銀が安く買われて外国へ流出し、日本の国力がどんどん弱くなってしまうことを憂慮。福沢諭吉から「流出した金を取り戻すためには海外貿易以外に方法はない」と聞かされ、弟の豊(とよ)をNYへ送り出します。
市左衛門は37歳、豊は22歳でした。
馬具商だったんですね。市左衛門は幕末に馬具の製法をフランス人 デ=シャルムから学んでおり、陸軍に鞍を納めていたそうです。
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1876年、市左衛門は貿易商社「森村組」を設立。豊はNY 6番街238番地に「モリムラブラザーズ」を開き、陶磁器や漆器、掛け軸など日本の伝統的な雑貨の販売を始めます。
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NYで豊は東洋人に対する露骨な蔑視に負けることなく、孤軍奮闘した。夜は狭い店の中で、荷ほどきした箱の上で毛布をかぶって眠り、パンとバターで飢えをしのぎ、ひとつのりんごも二日に分けてかじるというつつましさであったという。
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当時のアメリカで求められていたのは、瀬戸の灰色の生地ではなく白生地。白生地の研究に苦闘し10年、度重なる研究の結果、天草陶石54、蛙目(がいろめ)粘土23、長石23の割合で配合することが最適であることを見極め、白生地が完成。
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白生地の完成を見た森村組は1904年1月1日、ノリタケカンパニーの前身となる日本陶器合名会社を愛知県愛知郡鷹羽村大字則武字向510(現在の名古屋市西区則武新町)に設立し、ここに日本の近代陶業が始まったのです。
「ノリタケ」の名は、この地名にちなんで付けられ、商標も由来しています。
陶磁器の底裏につけられる製造者を表す「裏印」。
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見たかったのが「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」(1947年)占領下の日本の姿が憶測される裏印。残念ながら1941〜までの裏印しか展示されていなかった。
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森村組に参加した大倉孫兵衛(後に大倉陶園を設立)の企画力と審美眼により米国で成功を収めたノリタケ。
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大倉孫兵衛は、日本画の画付けに専念してきた画工たちを説得し、洋風画技法を重ね、独自の画柄・意匠を作り上げていきます。
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この小さな面積にとてつもない技巧と情熱が詰め込まれている。
そこに共鳴する。なんて豊かな感性なんだろう、って。
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一陳盛(イッチンもり)
柿渋を染み込ませた和紙をチューブ状に丸めて、中に入れた泥漿を少しづつ絞り出す道具を一陳といい、それを使って生地に点や線を描く技法。加賀友禅の糊置の技法を陶磁器画付けに応用したもの。
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金盛
白色泥漿で盛り上げた生地を下地にして刷毛や筆を用いて金を装飾し、800℃の温度で焼成すると、盛り上がりと周囲の金を塗った部分に金色に輝いた膜が出来上がります。
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金液は純金を濃塩酸と濃硝酸を3:1で混ぜた溶液で溶かし液状にしたものですが、それまで輸入に頼ってい金液の国産化はノリタケが初めて開発に成功したものです。
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エナメル盛
光沢のある不透明なガラス質のエナメル(琺瑯)を使い盛上げる技法。
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盛上げ
一陳盛が多く取り入れられたオールドノリタケですが、これは世界でも類を見ない超盛上げの逸品!手描き部分との質感の違いが風景に奥行きを感じさせています。
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タペストリー
麗しかったタペストリー。生地表面に布目を立体的に写し取る技法。
縄文土器のように、縄でデザインを残して縄を取り除き焼成するものと、布も一緒に焼成するタペストリーは全く工程の異なるものです。
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アール・ヌーボー、そしてアール・デコを内包するオールドノリタケ。
モールド
石膏型による技法。
ゾウさんの花瓶も
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ネイティヴアメリカンの文煙草壺も
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エジプト文煙草壺も愛らしかった。
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ヒエログリフ読めるようにするんじゃなかったっけ。(記事「シャネルの古代エジプト / メティエダール コレクション 2019 (Chanel Métiers d’Art Collection 2019)」)
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アール・デコで思い出すのが、クライスラービルのステンレスガーゴイル。
ガーゴイル好きなのよね。(記事「建築・文化博物館とヴィクトル・ユゴー記念館 / パリの驚異の部屋④〜パリ旅行記⑸」
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そして素晴らしかったのが図案。
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1895年、モリムラブラザーズに図案部が設けられ、現地で日本人画家を採用したり日本から派遣してデザイン画の製作にあたらせたという。
なんて色合い!なんて精細!なんて表現力!
西洋の器、文様なんだけど日本が透けて見える。日本画の職人さんが描いた西洋。
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金盛やエナメル盛などは、絵の具を盛上げてそのまま表現されている!
美しさに動けなくなった。ここに至るまでの熱量を前に泣けてきた。
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森村組には「米状神聖」という言葉があった。米国のモリムラブラザーズからの手紙や要求は絶対に尊重しなければならない約束事とされた。現地からの注文や要求はすべて「お客様に満足していただく」ための商人としての基本的な義務だという考え方が実行された。
日本人絵師たちが描いたデザイン画も大切な「米状」となった。森村組の専属画付工場では、その原画を忠実に再現し製品を作り、輸出した。
この「米状神聖」の約束事こそが、森村組成長の秘密であった。
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私が陶磁器に興味を持ったのは30年以上前、ルーブルでBernard Palissy の器に出会い衝撃を受けてから。
お皿の中に自然が詰め込まれてる!しかもめちゃくちゃグロテスク!
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早速ルーブルの本屋に駆け込み、手にしたのがこの本。
蠢く器に魅了され、この本を抱えて陶芸教室を何件も回った。「こんなの作りたいんですけど可能ですか?」って。
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当時はそんなのどこもやってなくって…単発で飛び込んだ教室で手びねりで作った最初の器がこれ。
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その後、白磁粘土を開発した先生に出会え、コネコネ作ることになるんですけどね。今は縄文土器をつくりたくてウズウズしてる。野焼きしてみたいー
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ということで器。小さな器の上に込められた情熱、そして文化に魅了されます。またゆっくり訪れたいノリタケ・ミュージアムでした。
19世紀末。
開国後の日本は、欧米列強との不平等な条約に悩まされていた。「その克服のためには、海外で積極的に商売をするしかない」
森村市左衛門、豊兄弟が、そのような祖国の将来を思う気持ちを託した器たちが、アメリカへと渡っていった。
そしてその器たちは、”オールドノリタケ”として、祖国、日本へと帰ってきた。
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