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#20 ゴールとか目標とか、自力とか他力とか

どれを選ぼうか悩む時、
「たいして変わらないさ」ともう1人のわたしの声がする。

もう5年くらいこんな風なのだけど
別に不真面目に生きてきたわけではない。
誤解を恐れずに言うと、
「そんなことで人生変わると思うなんて傲慢ね」
もセットで聞こえる。

__あの時ぶどう味にしていたら、
わたし今頃・・・
は馬鹿げて聞こえるかもしれないけれど、
__あの時あと1点取れて合格していたら、
わたし今頃・・・
だったら言ったことある人挙手する?(はーい)


イチゴ味にしていても、めでたく合格していても、
人生をずっと引きで眺めると
わたしは同じ方向へ向かっているのかもなぁと今は思う。
緩やかに左へカーブする4車線の道路の左端の車線から隣の車線へ移ったって、
上から眺めれば目指すところは大差ないし
大きな流れ=方向さえあっていれば
間違うこともないと思う。

ただし、目指すところが見えないまま走っているなら車線変更だって迷って当然かも。

だからもう一つ大切なことは、
一点の目的地を目指すのでもなくて、
ただこっちの方〜っていう「方向」でしかないということも忘れないようにしたい。
(執着やこだわりは方向を見失わせてしまうこともある)
最終たどり着いた場所で
全てを自分の意思で選び取ってコントロールして来たぞ とは考えないよね?
不可抗力、運、不思議な縁、全てが絡み合って
たまたまそこに着いたんだから
全部ぜんぶ自分で決めた通りにやろうって
肩肘張ったって仕方ないじゃない、ともう1人のわたしが囁くのかも。


というのに似たことが読んでいる本に書いてあって
おぉっとなった。

このシュールな絵すき(脚の毛とか

息子の保育園、あっちを選んでいたら
どんな子になってただろう なんて考えたって
ずーっと上空から眺めたら
なんだ同じじゃないか、てこともあり得る。
(うじうじ悩んだけどね)

そんなこと考えて鬱々とするよりかは
「なんかこんな風がいいなぁ〜」
「こっちが心地よいな〜」
と自分の感度を上げて、その都度俯瞰できる方が
肩の力が抜けて結局間違えないのかな、なんて思う

というわけで
さっさと注文する料理を決めて人間観察に勤しむわたしの隣で夫は今日も、こっちかなー、いや、でもあっちかなー と延々やっている。
楽しそうなとこすみませんが
わたしお腹空いてるんですよーう


るる


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