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#118 日本の義務教育に馴染めないならどうすべきなのか

「親が子にしてやれることなんて大してないんだ」と達観する日もある。でも「このままで良いのだろうか」とインターナショナルスクールの中途入学案内を見て、ひとりざわつく日もまぁまぁある(そして学費に面食らう)。

たぶん自分の考えに自信がないから不安だってことね。


もし子どもが不登校になったら?



5歳頃から息子に少々繊細なところがあることを確信していくにつれ、この「もしもワールド」には38376回くらい行ったと思う。もしかして少ない方かな?わたし自身が心配性なので、小1の壁をかなり前から意識して準備はしてきたつもりだった。子どもにはそうと悟られないように。

入学するとやっぱり、泣いて登校を渋ったり、お腹が痛くなったり、休んだりすることが続いた。(聞いていた通りじゃないか!)それも手伝って、妄想だったはずの「もしもワールド」はじわじわと現実味を増していった。救われたのは、同じ登校班に似たような状況のお友達が何名かいたということだった。毎朝泣いているメンツのお母さん方とはすぐに仲良くなった。今日はどうやって連れ出したとか、あれがどうしても嫌なんだそうだとか、ちょっと喋ることで母同士も安心できたなと思う。

ありがたいことに、帰ってきた時の彼らは朝と同じ子なのかと見ま違うほど生き生きとしていらっしゃる。
どうも朝がだめなんだろうね、というところで今は一致している。


正直なところ、学校は別に絶対行かなきゃならんとは思っていない。大きな声では言わないけど。勉強はどこだってできるから。
問題はそこじゃない。
つまり毎日、朝から晩まで子どもと一緒に家で過ごせる人はそう多くないということが問題なんだと思う。親は親ではあれど、教育のプロじゃない。他人がいない空間で自ら進んで学べる子どもはもっと少ない。
だから親が側について穏やかに(穏やかにって大事!)手助けするとか、たまには外へ連れ出すとか、人間関係構築のために他の居場所を探してやるとか、めちゃくちゃ出番が増える。
何も疑問を持たずに嬉々として学校に行っている子どもたちを横目に、粛々とこれらをこなすのは結構辛そうだ。

じゃあフリースクールやオルタナティブスクールはどうだろうか、とみてみるも、偶然近所にあれば良いものの、「ここがいい!」と言われてもそれが何県にあるかもわからないとか、移住が必要だったりしてハードルは高い。
もちろん公立学校のように完全無償のところは稀有。むしろ莫大な予算を組んで、親の時間も差し出さないといけない。

それができなくて、多くの親は悩むのだと思う。

自分の子どもが学校に行くのがしんどそうで、なんとかしてやりたい。けれども実際問題、仕事をしながら子どもに向き合うのはみんなが易々とできることじゃない。覚悟と勇気が要りそう。

「子どもは不登校じゃないけど、今の公教育に疑問がある」パターンでも、もっと気軽に教育を選択できる社会基盤があるといいのに!と思ってしまう。親が色々考えて行動しなければ、義務教育以外の選択肢は手が届かないところにしかない。そのことに少なからず焦りみたいなものを感じてしまう。

戦後整えられた義務教育は、全員に学びの場を与えるという点で平等で素晴らしいけれど、横並びで常に評価され、常に正解と高得点を求められる環境に子どもを放り込んで安心できる時代はもう終わったはず。

本当なら、今すぐ行動すべきなんろうな。でもうちはごく普通の家庭だから、準備が必要。
いつか息子本人が疑問を持った時「じゃあさ、ここならどう?」と提案できるように、親のわたしはアンテナを張っておく。そして柔軟に動けるように爪を研いでおくのが今のところ良さそう。ぜんっぜん簡単じゃないんだけどね。本当に困った時に「何を一番に考えるか」というと、「息子の健やかな成長!」と即答するならば、母は背に腹は変えられぬのだ。

野本響子さんの考え方とお話が好きです。教育について、現在大学院で学ばれていて本当にすごい方です。無知オブ無知だったわたしにも、日本が如何に特殊なのか気づかせてくれました。リンクのnoteもぜひ。


るる

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