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「クソデカ感情」に振り回されたときの処し方

春が近づいていますね。春、得意ですか?わたしはとても苦手です。

体調的に季節の変わり目についていくのが大変で、それだけで疲れてしまうのと、春ってなんというか、なにかに急かされるというか、なんでしょうね。切ない気分になります。
なにも成し遂げていないことを責められるような、なにも終わっていないのに、強制的に終わりにされちゃう感じとか。卒業とか入学とか、さまざまな節目が集中するからでしょうか。

週末から、温かいという予報に、変わり目に加え花粉にも弱いわたしは戦々恐々としていますが、今日、とっても疲れることがありました。
いわゆる「クソデカ感情」がやってきました。
どういうことが起こってそうなったかは、簡単にいうと

・落選しまくってた推しのライブチケットが当たった
・20年前に見ていたアニメのキャラにいまだガチ恋していたことに気づいてしまった

以上です。
あとは一ヶ月前に転職したというのもあり、日々新しいことにチャレンジしては、だめだめでくぅ〜〜〜〜と落ち込むというのも、ここに加わります。

新しい仕事のことは、まあぼちぼちがんばるとして、その他に挙げた2点に関しては、驚きはするものの、喜ぶべきことだと思うんです。
嬉しいことじゃないですか、推しに会えるし、ずっと好きなキャラがいたって再確認できることは。

でも、そういう、ポジティブな感情でも、ちょっと体調が悪かったり、疲れていたりすると、日常業務の突発的な出来事なので、疲れてしまうこともあるんですね。対応できない。
なんか全然喜べなかったなあ。そういう事実が怖い…と思ってしまいました。なんにも不幸なことは起きないのに。

そういう「クソデカ感情」を処理するのが苦手なのかもしれません。平常でいたい…今日めちゃそう思ってしまいました。


這々の体で、お風呂に入って、日課の音楽を流すことにしました。こういう日、音楽を聞くのもつかれる気がして、辞めちゃうんですが、今日はなんとなく、アプリを起動していました。

アプリのトップに、トレンドで宇多田ヒカルさんのアルバム「BAD モード」があがっていました。聞いてみたら、もう、ばっちり…
「クソデカ感情」に疲弊した心がそっと慰撫される感じがしました。

宇多田ヒカルさんの歌や歌詞って、慈しみを持った「日常」の視点で書かれていて、とても優しいですよね。
ああ、わかるわあ…という言い回しや描写の絶妙さがそっとこちらにフィットしてくれて、それでいて、サウンドはおしゃれだから、自分の生活が、どんなに泥臭くかっこ悪くてもでも、いいじゃんって思えるくらいに、ちょっとおしゃれに、きれいに彩ってくれるというか…

わたしは、日常にちょっとでいいから、小さな感動を見つけて、それに心を動かしていたいんだなと思いました。自分で作ったお味噌汁おいしーとか、日差しが気持ちいーとか布団がぬくーいとか…

生きていれば、そんなことばっかりじゃないけど、小さな、滋味深い感動は大事にしたい。
突発的な悲しみはもちろん、喜びに対してしっかり疲れる不器用な心と気持ちにも、ちゃんと寄り添って、ケアしていきたいな、と宇多田ヒカルさんを聞きながら、思いました。

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