ゲーテ「漁師」(ドイツ詩100選を訳してみる 2) それからちょっとベルリオーズとシェイクスピアについて

ドイツ語の有名な詩を訳してみるシリーズ第2弾。20世紀のアンソロジーに2番目に多く収録されたという、ゲーテ(1749-1832)の叙事詩「漁師」(Der Fischer) です。

1779年、Volks- und andere Lieder (民謡とそれ以外の歌)という不思議なタイトルの本の巻頭に、ゼッケンドルフという人が作った歌の歌詞として載っているのが初出のようです。

同じ年の、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの『民謡集』(Volkslieder) 第2巻の巻頭にも「漁師の歌」(Das Lied vom Fischer) というタイトルで掲載されています。

ヘルダーが Volkslied(民謡)という単語を1773年に作ったばかりのころ、『若きウェルテルの悩み』(1774年)で一躍有名になっていた若いゲーテが民謡のような詩を作ってみた、ということなのでしょう。文学史上はシュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang, 「疾風怒濤」)と呼ばれる時代にあたります。

Der Fischer

Das Wasser rauscht', das Wasser schwoll
Ein Fischer saß daran,
Sah nach dem Angel ruhevoll,
Kühl bis ans Herz hinan.
Und wie er sitzt und wie er lauscht,
Teilt sich die Flut empor;
Aus dem bewegten Wasser rauscht
Ein feuchtes Weib hervor.

Sie sang zu ihm, sie sprach zu ihm:
Was lockst du meine Brut,
Mit Menschenwitz und Menschenlist,
Hinauf in Todesglut?
Ach wüßtest du, wie's Fischlein ist
So wohlig auf dem Grund,
Du stiegst herunter, wie du bist,
Und würdest erst gesund.

Labt sich die liebe Sonne nicht,
Der Mond sich nicht im Meer?
Kehrt wellenatmend ihr Gesicht
Nicht doppelt schöner her?
Lockt dich der tiefe Himmel nicht,
Das feuchtverklärte Blau?
Lockt dich dein eigen Angesicht
Nicht her in ew'gen Tau?

Das Wasser rauscht', das Wasser schwoll,
Netzt' ihm den nackten Fuß;
Sein Herz wuchs ihm so sehnsuchtsvoll,
Wie bei der Liebsten Gruß.
Sie sprach zu ihm, sie sang zu ihm;
Da war's um ihn geschehn:
Halb zog sie ihn, halb sank er hin,
Und ward nicht mehr gesehn.
漁師

水が鳴る 水がふくらむ
海辺には一人の漁師が
ゆったりと座って
淡々と釣り糸を見つめていた。
漁師が座って耳を澄ましていると
潮が盛り上がり 二つに割れ
ゆらめく水の中から ざぶんと
びしょぬれの女が現れた。

女が歌う 女が語る
「どうしてあなたはうちの子たちを
人間のあくどい知恵で
灼熱のもとへおびき寄せるのですか?
海の底で魚たちが
どんなに気持ちよく過ごしているか知れば
あなたもそのままの姿で降りてきて
見違えるほど元気になるでしょう。

お日さまも お月さまも
海の中でお休みになって
波を吸い込み 二倍も美しいお顔になって
戻ってくるではありませんか。
底深い楽園が 神秘的にうるおう青色が
あなたの心を誘いませんか?
水面に映るあなた自身のお顔が
永遠の露の中へとあなたを誘いませんか?」

水が鳴る 水がふくらむ
漁師の素足が水に濡れる
漁師の心は 恋しい人に呼ばれたかのように
憧れでいっぱいになった。
女が語る 女が歌う
すっかり心を奪われた漁師は
半ば引っ張られ 半ば自ら海に潜り
二度と姿を見せることはなかった。

(片山敏彦・高橋健二・手塚富雄・井上正蔵・山口四郎・小塩節の訳を参考にした。)

自殺についての深刻な詩と読めなくもありませんが、Das Wasser rauscht', das Wasser schwoll(水が鳴った 水がふくらんだ)、Sie sang zu ihm, sie sprach zu ihm(女が歌った 女が語った)のように、行のはじめと真ん中で同じ言葉を繰り返しているところなどが、独特の軽い感じを出している気がします。

ずっと後の1823年にゲーテ自身は、この詩について「あの譚詩〔バラード〕は、ただ水の感じ、つまり、夏にわれわれを水浴に誘うあの優美な力、を表現したものにすぎない」(Es ist ja in dieser Ballade bloß das Gefühl des Wassers ausgedrückt, das Anmutige, was uns im Sommer lockt, uns zu baden)(エッカーマン『ゲーテとの対話』(上)山下肇訳、岩波文庫、2012年、p.95)と言っています。こういうのはあまり真に受けすぎない方がいいのかもしれませんが……。

 *

さて、音楽に結びつけながら詩を読んでいきたいというのがこのシリーズの目論見です。

今回は、この詩からのどかな歌曲を作ったシューベルトではなく(これはこれで詩の民謡的な側面をよく映しているとは思いますが)、フランス人のエクトル・ベルリオーズ(1803-1869)の話をちょっとしたいと思います。

ラヴェル(1875-1937)やドビュッシー(1862-1918)やフォーレ(1845-1924)やサン゠サーンス(1835-1921)より前の時代に活躍したフランスの作曲家で、フランス音楽の洗練されたイメージには全然はまらない人物です。

有名な「幻想交響曲」(1830年)は、作曲家自身の失恋をもとにした気持ち悪い「標題」がついており、心の中の邪悪な部分をわくわくさせながら聞ける傑作です。(聞いたことのない方は、第4楽章「断頭台への行進」・第5楽章「魔女の夜宴の夢」だけでもぜひ聞いてみてください。)

「幻想交響曲」に続編の「レリオ、あるいは生への復帰」(1831年)というのがあります。

断頭台で死刑になったと思ったら夢だった、というところから始まり、モノローグと音楽が交互に現れる、またもや突っ込みどころの多い不思議な作品です。この1曲目「漁師」(Le Pêcheur) が、ゲーテの「漁師」のフランス語翻案に基づくピアノ伴奏付きの歌曲です。上の動画の2:45-4:42あたりです。

水の精の言葉が終わったところで「幻想交響曲」の固定楽想 (idée fixe) が挟まれるところからも、「女に誘惑される悲劇」として読んで作曲していることが見て取れます。

小さな歌曲なので、「幻想交響曲」のようなスケールの大きい魅力こそありませんが、イ長調になる « Tout à coup sur le lac limpide/S'élève la nymphe des eaux. »(とつぜん、透明な湖水の水面に/水の精があらわれた 川口義晴訳)というところや、最後にすっかり誘惑されて « Sans le vouloir, sans se défendre,/Il suit la nymphe, il disparaît. »(なんとなく、抵抗もせず/かれは水の精についていき――きえてしまった。)というところなどが無性に好きです。

 *

ですます調で書いてみたら思いのほか落ち着いた書き方になってしまいました。こんなことが書きたかったわけじゃないんだけどなあ。

「漁師」の詩に関連して語るのが適切なのかどうか自信はあまりないけど、ドイツ文学のシュトゥルム・ウント・ドラングという時代に似合う作曲家は誰だろう、という雑な話をしてみたかった。

ドイツだと30年くらい遅れて「月光」や「熱情」ソナタのベートーヴェンが似合う(ベートーヴェンはゲーテをよく読んでいた)、というのはわりと順当な感じがするけれど、国境というか言語を超えてベルリオーズという人がゲーテに反応しているのが面白かった。ベルリオーズはとりわけゲーテの『ファウスト』(の第1部、のジェラール・ド・ネルヴァル訳)に熱中して、「ファウストの劫罰」(1846年、フランツ・リストに献呈)という作品も作っている。1830年12月4日、「幻想交響曲」初演の前日に初めて会ったリストにベルリオーズが『ファウスト』を紹介すると、リストもはまって(彼もフランス語訳で読んだ)、後の「ファウスト交響曲」(1857年、ベルリオーズに献呈)に結実する。

あと唐突だけどこれも面白いのが、ベルリオーズがウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)にはまりまくっていること。「レリオ」の中でも、繰り返しシェイクスピアの話をしているし、終曲は「シェイクスピアの『テンペスト』にもとづく幻想曲」という。ここはベルリオーズ自身の言葉で語ってもらおう。きっとその方が一番、ベルリオーズの「疾風怒濤ぽさ」を感じ取っていただけるだろうから。

ここで私は、わが生涯を通じての最大の劇的な場面について書かねばならない。しかし、苦しかったその事件の経過のすべてを細大漏らさずに語ろうとは思わない。ただ次のように簡略に述べることにしたい。――あるイギリスの劇団がパリを訪れて、その当時のフランスの観客にはまったく未知のものであったシェイクスピア劇を上演した。私はオデオン座の『ハムレット』の初演を見にいった。私はそこでオフィーリア役を演じたハリエット(アンリット)・スミスソンに出会い、彼女は五年後、私の妻になった。スミスソン嬢の非凡な才能、とりわけその劇的演技の才能は、私の想像力と心情とに強烈な感動を与えた。その感動を、かりに比較できるとすれば、それは劇詩人シェイクスピアが私に与えた感動に匹敵するものであった。彼女はまさにシェイクスピアにふさわしい演技者であった。私は、もうこれ以上のことは何もいえない。
不意に私の上に襲いかかってきたシェイクスピアは、文子どおり青天の霹靂であった。その稲妻が、崇高な大音響とともに芸術の大空を切り裂き、限りない遠方の世界までを、私の眼前に照らしだしてくれた。私はこのとき、真の偉大さとはなにか、真の美とは、真の劇的真理とはなにかを知ったのである。そしてそのとき同時に、あのヴォルテールがフランスに広めたシェイクスピアに関する観念が、どれほど滑稽なものであったか、ということもはっきりと理解した……

  ……悪魔が使命をうけた
  人間界に送りこんだ、
  あの天才的な猿……(ヴィクトル・ユゴー『黄昏の歌』より)

そしてわが国の学者ぶった先生や文盲の徒輩がいうところの、古びた「詩学」の哀れむべきお粗末さを一瞬のうちに理解した。私は見た……私は捉えた……私は感じた……白分が生きていて、立ち上がり歩まねばならぬ、ということを。
しかし、心の動揺があまりにも激しすぎた。回復するまでには長時間を要した。悲痛な感情が強まり、深化し、耐えがたいまでになり、やがてそれは、いわば病的といってよい神経状態と結合するまでになった。すぐれた生理学者の眼をもった大作家にしてはじめて、この心的状態に関するまずまず近似的に正しい観念を描きうるだろう。
とにかく目がさめたとき、私は前日の敏捷な精神も、好きな研究への嗜好も、仕事をやりとげる能力も、要するになにもかも失ってしまっていた。私はパリの街々や近郊の野原を、ただあてもなく歩きまわるだけであった。この長い苦痛の期間のうちで、ただ肉体的疲労が嵩じて、わずかに四回だけ仮死状態のような眠りにおちたのを記憶している。ある夜はヴィルジュイーフ付近の畑のなかの麦束の上で過ごし、ある日はソー近くの野原をさ迷い歩いた。また別の日には、雪の降るヌーイ付近の凍りついたセーヌ河岸を歩いていた。そして最後には、イタリア大通りとリシュリュー街との角にあるカフェ・デ・カルディナルのテーブルで、五時間ほど眠ったが、そのカフェのボーイは私が死んだのではないかと恐れて近寄ろうともしなかった。(『ベルリオーズ回想録 1』丹治恒次郎訳、白水社、1981年、pp. 110-112)

※原文はこちら

冒頭で紹介したヘルダーもシェイクスピアに熱狂して、当時のドイツの詩にはない「自然」をそこに見出していたらしい。その話はいつかまたする機会があるだろう。

ゲーテにしてもシェイクスピアにしても、えらいひとだと思うとなかなか仲良くなれなかったけれど、たくさんの人がむちゃくちゃはまってきたからこそ名前が残っているのだから、ぼくもその人たちの熱狂を追体験できたらいいなと思う。

 *

長くなってしまいました。

ゲーテはもう全く関係ないけれど、ふつうの美しいクラシック音楽が好きな方に、ベルリオーズの「レリオ」4曲目の「幸福の歌」(Chant de bonheur) を全力でおすすめして、終わりにしたいと思います。上の動画では26:55-33:24です。単独の動画も挙げておきます。


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