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治りにくいうつ病、治りやすいうつ病

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:うつ病もいろいろ 】

↑の自己紹介でも書いていますが、僕は2019年7月にうつ病を発症しました。

発症から少なくとも2年くらいの間、かなりのメンヘラを発揮していたんですが(例えば、家族などの身近な人に当たり散らしたり、夜眠れなくて怖くなったり)、今となっては、かなり改善してきました。

僕は、うつ病を、とりあえずは「治した」んだと思います。最後の通院は去年(2021年)5月ですし。

仮に、まだうつ病の闘病期間であれば、通院は欠かせないと思いますが、通院はとりあえずは不要です。

こう書くと、「うつ病は治せる」という、希望の光にも見えますが、しかし、「うつ病は治せる」というのは、うつ病が治っていない人に対し、「治せるのに治せていないあなたが悪い」を押し付けてしまう側面もあります。

僕は、こんな押し付けは、素朴に嫌いなんですが、それだけでなく、シンプルに間違っていると思います。

というのも、うつ病にも、治りやすいうつ病と、治りにくいうつ病があると思うからです。

僕のうつ病は、原因がかなり単純で、主に身体疲労に起因していました。

だから、身体疲労の回復にフォーカスをあてることによって、回復のスピードは早まりました(とはいえ、方針変更から復職まで1年以上はかかりましたけど)。

こういった、身体疲労が主な原因となっているうつ病は、治りやすいうつ病に分類されると思います。

いわば、一過性のうつ病です。

そもそも、僕は、2019年にうつ病を発症するまで、精神疾患に悩まされたことはありませんでした。

もちろん、遺伝的に精神疾患を患いやすい素質があったのかもしれませんが、しかし、慢性的に精神疾患に悩まされていたわけではなく、生まれてはじめて、29歳にして、精神疾患の苦しみを味わいました。

こういった、一過性で治りやすいうつ病とは異なり、慢性的で治りにくいうつ病があると思っています。

(ちなみに、言うまでもなく、僕は精神科医でもなく、精神疾患に関する専門知識を有しているわけではないので、あくまで素人意見です。しかし、児相で働く中で、これから述べるような「治りにくいうつ病」に苦しんでいる親や子どもが多いと感じています。というか、僕のうつ病のように、身体疲労の回復にフォーカスを当てることでどのうつ病も改善するのであれば、これほどの数の人たちが慢性的なうつ病で苦しんでいるはずがなく、そうすると、「治りやすいうつ病」と「治りにくいうつ病」というのが存在すると考えたほうが、現実を説明しやすいなと僕は考えていて、だからこそ、「治りやすいうつ病」と「治りにくいうつ病」があるような気がしています。)

で、「治りにくいうつ病」ですが、これは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が根幹にあるものです。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、今ではかなり一般的な言葉になってきたと思います。僕も、ご多分に漏れず、PTSDが一般化したおかげで、このワードを覚えた口です。

PTSDとは、過去に大きなストレスを感じる出来事(レイプや性的虐待が典型例です)にさらされたことによって、その出来事からかなりの期間が経過した後も、その出来事を鮮明に思い出したり(フラッシュバック)、鮮明に思い出さなくても、常に頭をよぎっていたりなどの症状が現れる疾患です。

PTSDを患っていると、生きることが非常に大きな負担となります。

トラウマとなっている出来事を完全に切り離して生きていければいいんですが、そうしようと思ってもできないのがPTSDです。

過去のトラウマを切り離せないのは、全く本人の責任ではありません。本人の責任は、ゼロです。

だって、それだけ大きなストレスにさらされなければいけない理由なんてないからです。PTSDを発症してしまうような出来事に遭遇したことに関し、自分自身の責任はゼロに決まっています。

それに加えて、またもや素人意見ですが、PTSDは、脳の機能として組み込まれている(正常な働き)ような気もします。

一見、過去の出来事を何度もフラッシュバックするのは脳の機能不全にも思えますが、しかし、機能「不全」というよりは、きちんと機能しているようにも思えます。

それだけの大きなストレスを味わったことから、何よりも自分の命を守らなきゃいけない脳としては、次に同じようなことが起きた時に、適切に対処できるように事前のシュミレーションをしておく必要があります。

事前のシュミレーションのためには、できるだけ鮮明に思い出す必要があって、なおかつ、シュミレーションは、できるだけ回数が多いほうがいいです。

しかも、なるべく安全な状態で行ったほうがいい。

そう考えると、

・自分の安全が保たれた状態で
・なるべく鮮明に思い出して
・何度もシュミレーションする

というのは、自分の命を守る使命を有する脳としては、非常に理にかなっているわけです。そうすると、PTSDの症状は、進化の過程で身についた、脳の大切な機能にも思えます。

そうだとすれば、大きなストレスを感じる出来事に出会ったことに本人の責任がないだけでなく、大きなストレスを感じる出来事に出会った後にPTSDを発症することは脳の機能として当然であって、この意味でも、本人の責任はゼロです。

僕はこう考えているので、PTSDを発症することに対して、本人が自分を責めるのは完全に間違っていると思いますし、いわんや、他人がPTSDの発症を責めるなんてあり得ません。

ちょっとPTSDについて書きすぎましたが、こういったPTSDを抱えている方は、発症について自分に責任がないにせよ、日々の生活がとても大変です。

PTSDの症状は、鮮明なフラッシュバックだけではありません。

考えてみてください。いつどこでフラッシュバックが起こるかわからない状態で生きるなんて、想像するだけで大変そうです。しかも、先ほど書いたように、できるだけ安全な状態でフラッシュバックするべきということになれば、ほっと一息入れたときこそ、フラッシュバックが起きやすいわけで、そうなると、休まる暇がありません。

トラウマを思い出すようなシロモノと遭遇したら、もちろん、フラッシュバックしそうになるし、ほっと一息入れてもフラッシュバックするかもしれません。

そんな状態で生活を続けたら、身体が休まりません。

先ほど書いたように、僕は、身体疲労の回復にフォーカスをあててうつ病を治療しましたが、PTSDを患っていると、どれだけ身体疲労を回復させようとしても、身体が言うことを聞いてくれないんです。

ちなみに僕も、職場の上司に対して、若干PTSD的な症状が現れていましたが、それはまあ、所詮「若干」です。

フラッシュバックというか、職場の上司を思い出して不安や恐怖を抱くことはありましたが(そんな人がいる職場に復職したなんて、本当に僕は頭おかCと素朴に思います)、しかし、身体を休める暇がないほどではありませんでした。

トラウマ的な症状に苦しみながらも、身体を休めることに尽力したら、少しずつよくなりました。

しかし、重篤なPTSDを患っていると、身体を休める暇がなく、うつ病は改善しません。改善どころか、どんどん悪くなるばっかりです。

これが、「治りにくいうつ病」だと僕は思っています。

過去に大きなストレスを感じたことによりPTSDを発症し、それが原因で、心と身体が毎日休まらず疲弊し、エネルギー切れを起こしてうつ病を発症する。

こういったうつ病は、PTSDの克服が根治のためには必要となりますが、それは、かなり骨が折れます。

もちろん、不可能ではありません。

僕が働いている「児童相談所」という役所では、PTSDを発症した子どもをどうするかを日々考えています。というのも、継続的な虐待にさらされた子どもは、「複雑性PTSD」を発症することが多いからです。

なにか特定の出来事がトラウマとなっているわけではなく、ある程度長期間にわたって継続的に虐待環境にさらされた子どもが「複雑性PTSD」を発症することがあります。

この「複雑性PTSD」からの回復も、非常に大変なんですが、不可能ではありません。

複雑性PTSDだろうが、PTSDだろうが、治療の前提は、毎日の繰り返しです。とにかく、安心・安全な毎日を繰り返す。

1年や2年で治療が終わりません。5年くらいあっという間に過ぎ去っていきます。

毎日毎日、安心・安全な毎日を繰り返す。

1人きりでもいいんですが(僕みたいに本を読みまくるのが好きな人は1人きりでもいいかもしれません)、誰かと話せるといいです。

自分が安心・安全を感じられる人と、毎日話せなくてもいいので、話そうと思えば話せる状態の日々を繰り返す。

子どもには仕事はありませんが、大人には仕事がありますよね。仕事が忙しくて休めないなら、仕事をやめて生活保護で暮らすことが必要となるかもしれません。

仕事をやめると余計つらいならやめなくてもいいです。

ただ、決めつけはよくありません。いったんやめてみて考えてもいいと思います。自分がPTSDを克服すること以上に大切なことなんてありません。

仕事をやめれば、それで安心・安全な日常が訪れるわけでもありません。仕事をやめて、それで安心なら、退職した人たちが不安にさいなまれていることの説明がつきません。

仕事をやめればそれでオーケーじゃありません。いろんなことを試しながら、安心・安全を追い求めてください。

ちなみに僕は、読書で知識を得ることが「安心・安全」につながりました。

「読書」といっても、心の整え方について書かれた本を読んだわけではありません。

この世界の仕組みについて教えてくれる、橘玲先生の本が、僕に安心・安全を提供してくれました。

学校では教えてくれない、テレビでも教えてくれない、友達も同僚も先生も教えてくれない、この世界の本当の仕組みについて学びました。

そして、歴史です。

学校では教えてくれない歴史について、僕は茂木誠先生の本から学びました。

この世界の成り立ち、日本の成り立ちについて学びました。

そして、人類史について、ジャレド・ダイアモンドとユヴァル・ノア・ハラリから学びました。

僕にとっては、こういった、いろんな学者・知識人たちの叡智の結集を読むことで手に入れた、人類の歴史・世界の成り立ちに関する確固たる知識こそ、「安心・安全」の源でした。

誰しもに当てはまるやり方ではないと思いますが、試してみてもいいかもしれません。

多分僕も、完全な「治りやすいうつ病」ではなく、若干、「治りにくいうつ病」が含まれていたと思いますが、ここまで回復しました。

いろいろと試しながら、お互いに、前に進んでいきましょう。

それではまた明日!・・・↓

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