見出し画像

人は変わらないと思っていたけれど、どうやら変わるらしい

【 自己紹介 】

プロフィールページはこちら
このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:人は変わる 】

僕は今、児童相談所で働いていますが、児童相談所で働いていると、「人って変わるんだな」と実感する出来事に直面します。

もちろん、子どもが変わっていく姿がいちばん印象的です。

この日本には、「児童福祉法」という法律があって、子どもを支援することを行政の義務として定めており、大量の税金が投入されています。

そりゃあ、高齢者福祉に投入される税金も膨大な額に及びますが、高齢者は、数も多いので、1人あたりに引き直すと、子どもたちに投入される税額のほうが多いのかもしれません。

正確に計算したことはありませんが、ただ、児童(18歳未満)であれば、ふらふらとホームレスのように街なかで暮らしていると、児童相談所に通告がなされ、戻る家がなければ、あったかいご飯とお風呂と布団がある里親又は施設で暮らすことができるようになります。

学費だって、親が出せないのなら、全額税金で工面してもらえます。

しかし、大人は、そういうわけにはいきません。18歳未満と同じように、手厚く生活を保障してあげなきゃいけない大人もたくさんいると思うんですが、そういうわけにはいきません。

大人は、大人として、自分の身の回りの世話は自分でしなきゃいけません。大人が学ぶ学費を税金で賄ってもらえるわけでもありません。

だから、子どもは、税金で手厚く生活が保障されているわけですが、それを正当化するのは、「子どもである」という点です。

まだ、年齢が幼いから、十分に変わる余地がある。税金をたくさん投入して、生活を保障してあげれば、きっとより良い国民に成長するはず。

大人だと、既に成長がとまっているから、税金をどれだけ投入しても、変わらない可能性があるけれど、子どもは違う。大人よりは、変わる余地が大きいはずだ。

こう考えられているから、子どもに対してたくさん税金が投下されていて、実際に、変わる子どもは、それなりに多いのかなと実感しています。

例えば、精神科への入院を繰り返していた女の子が、施設の職員から支えられて、精神科へ入院しなくなったどころか、自分からやる気を出して、勉強したいと思って住む場所を変えようとしたりしたこともあります。

精神科へ入院するって、普通に生きていたら経験しません。というか、普通じゃないから、精神科へ入院しているんです。それを繰り返すとなると、いよいよ尋常ではありません。

そういった女の子が、精神的に安定し、そして、自分で勉強したいと思えるようになるんです。それは、女の子本人が一生懸命頑張ったことが、何よりも大きな要因ですが、女の子を支えるために、施設の売上を税金から支払った上で、その売上から施設職員さんの給料を支払ったり、食費や光熱費を支払い、また、児相職員の給料も支払ったりと、莫大な税金を投下したこと抜きで、この女の子の成長を語ることはできません。

こんな感じで、子ども本人が変わることに日々直面し、子どもの成長に舌を巻くことも多いんですが、どうやら、大人も、変わることがあるようです。

そもそも、児童相談所が子どもを施設に入所させたり、里親さんに子どもを受け入れてもらったりする際は、基本的に、親の同意を得ています。

施設への入所や里親委託を、我が親が同意するなんて何事か?と思う人もいらっしゃるでしょうが、親子が一緒にいることが親子双方にとってマイナスであることがあって、そのマイナスを親自身が理解し、いったん離れることで、再び、親子が一緒に幸せに暮らせるようにしているのです。

つまり、親子が再び一緒に暮らせるように、親子を離すのです。ここを理解してもらって、親から同意をもらいます。

児童相談所の支援方針に対して、親から同意をもらっておいたほうが、子どものためになります。親と児相で同じ方向を向いて、子どものために頑張る。それが、あるべき姿です。

ただ、どうしても親が同意しないことがあります。

もちろん、同意しないのには、親なりの理由があるのですが、しかし、子どもを守るべき児相としては、いくら親が反対しても、親と子を一緒にできないと考えることがあります。

例えば、親が子を叩いてしまっていて、それで子どもが大きく傷つき、大きな不安や恐怖を抱いているにもかかわらず、親が自分が叩いた原因や理由を振り返らず、しつけのためと称してこれからも叩くと話していると、子を親元に返すことは難しいです。

この場合、施設入所や里親委託などによる親子の分離について、同意してもらうよう、児相は親を説得することになりますが、同意してくれないことがあります。

同意してくれなかったら、親子分離できないかというと、そうではなくて、親が反対していても、家庭裁判所が承認してくれたら、親の反対を押し切って、親子分離を決行することができます。

そういった、親の反対を押し切る手段が、児童福祉法に用意されています。

じゃあ、親が反対する場合は、この手段を使えばいいじゃん、という話なんですが、先ほど書いたとおり、親が同意するのがあるべき姿です。

そして、親が同意しているのが、子どもにとってもプラスなんです。なぜなら、親の反対を押し切って親子分離を決行した場合、親元へ返すのがとても難しくなることもあるからです。

親と児相が一緒になって、子どものことを考えていくほうが、子どもにとってプラスです。これに対し、親と児相で方針が違うと、子どもにとってマイナスとなることが多い。

親と児相が方針を共有して、また親子一緒に暮らせるようになる方法を考え、実践していき、なるべく早く親子が一緒に暮らせるようになったほうが、子どもにとってベストです。

子どもにとっても、親元で暮らしたほうがいいに決まっていて、ただ、どうしても危険が伴うから、親元で暮らせないわけで、その危険が上手に解消されたら、また親子一緒に暮らせばいい。

こう考えると、児相が、親の反対を押し切るのは、できる限り回避したほうがよくて、だから、やっぱり、法的には親の反対を押し切れるとしても、子どものことを考えるなら、できる限り親の同意をもらえたほうがいいのです。

ただ、親に同意を促しても、同意してもらえないこともあります。何度も何度も説得しても、考えを曲げない親がいます。

かつての僕だったら、「家庭裁判所の承認をもらえばいいじゃん」と思っていました。

親子の分離が必要で、家庭裁判所の承認によって、「親子分離」という結果が得られるのであれば、さっさとそうしちゃえばいい。

それが、弁護士としての僕の感覚でした。

弁護士に求められるのは、ウダウダ話し合うことではありません。もちろん、話し合いによって解決が導ければ、早期の解決になり、お客さんにとって利益になるわけですが、僕ら弁護士は、必ず、裁判による解決を見据えています。

というか、裁判によって、必ず紛争を終わらせることができるのが、弁護士の持つ大きな価値であって、その価値を生かさないまま、ウダウダと話し合うのは弁護士の仕事ではありません。

弁護士を使うというのは、相手とケンカする(大げんかする)ことになりますから、基本的に、相手と話し合うのは難しいと考えています。

もちろん、弁護士が入ったとしても、話し合える相手方もいますが、そうじゃない場合(ケンカを申し込まれたと相手から思われる)場合もめちゃくちゃ多いです。

弁護士が入ることで最初から話し合いの余地がなくなってしまうことがあって、そんな場合であっても紛争を解決できるのが弁護士なので、相手との話し合にこだわらないのです。

話し合わなくても、裁判によって結果は出せるからです。

そう考えて、弁護士を続けてきた結果、「人は変わらない」ことを前提にしていました。

「人は変わらない」から、話し合いではなく、裁判によって紛争を解決すればいい。

これは、弁護士としての信念にもなっていたと思います。

ただ、どうも、人は変わるようです。子どもだけでなく、大人も変わるらしいのです。

そんな「大人が変わる」に直面してきました。どうしても、同意してくれなかった親が、何度も何度も説得を続けていると、ある日突然、同意することがあります。

「説得」は、まさに北風と太陽です。「説得」と書くと、北風のイメージですが、北風を吹かせても、親はますますコートを握りしめるばかりです。

児相が関わる親は、ほぼ全員、子育てに困っています。その困りに寄り添い、励まし、褒める。「太陽」との表現は、僕の表現力不足のせいで、あまりにも稚拙になってしまっていますが、しかし、寄り添い傾聴しながら、言うべきことを言うべきタイミングで言っていると、親の心は揺らぐんです。

もちろん、その揺らぎは一過性で、また翻意することもあるんですが、そういった一過性の揺らぎを繰り返しながら、少しずつ親が変わっていくことがあります。

これが、まさに「ソーシャルワーク」で、「福祉」のパワーです。

福祉の技術には、本当に頭が下がります。僕みたいに、「家裁の承認をもらえばいいじゃん」と思っていたら、子どもにとって、文字通り、かけがえのない(代替できない)親との関係が、修復不可能となってしまいかねません。

親子関係というのは、未来永劫いつまでも続いていきます。その親子関係をどうするか、という問いを考え続けるのが児相の仕事で、「結果を出す」という弁護士の仕事とは大きく違います。

求められる仕事によって、

・人は変わらない
・人は変わる

という、全く違う価値観が存在しています。おもしろいです。

まあ、児相でも、「簡単に人は変わる」と思っている職員は1人もいないとは思いますが笑、ただ、「人って絶対に変わらないよね」と思っている職員は1人もいないと思います。

「なにかのきっかけで人は変わる」「少しずつ人は変わっていく」と思っている職員が、おそらくほとんどで、そういった常識が共通しているのは、とても良い環境だと思っています。

これからも、少しずつ児童福祉の分野を勉強していこうと思います。

それではまた明日!・・・↓

*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*

Twitterでも情報発信しています。フォローしてくださると嬉しいです。

昨日のブログはこちら↓

僕に興味を持っていただいた方はこちらからいろいろとご覧ください。

━━━━━━━━━━━━

※内容に共感いただけたら、記事のシェアをお願いします。
毎日記事を更新しています。フォローの上、毎日ご覧くださると嬉しいです。

サポートしてくださると,めちゃくちゃ嬉しいです!いただいたサポートは,書籍購入費などの活動資金に使わせていただきます!