民法上の「未成年」と、少年法上の「少年」
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【 今日のトピック:少年審判 】
成人年齢引き下げが最近話題ですが、成人年齢引き下げは、あくまで民法の話で、少年法では、成人年齢引き下げ後も、相変わらず19歳までが「少年」と扱われます。
来年(2022年)4月1日に、民法上の成人年齢が18歳に引き下げられますが、それまでは、「少年」と「未成年」は、年齢的に完全イコールでしたが、2022年の4月1日以降は、「少年」と「未成年」の年齢にズレが生じることになります。
17歳までの子どもは、「少年」でもあり、「未成年」でもありますが、18歳~19歳は、「少年」ですが、「未成年」ではありません。
難しいですね笑。
18歳~19歳が、「未成年」から、いわば排除されるのが、今回の民法改正ですが、まあ、成人年齢は、どこかで設定する(未成年と成年を区切る)必要はあるのでしょうが、それが何歳なのかは、法律で勝手に決めていいと思います。
年齢によって一律に決める必要があるのは間違いないのですが、じゃあ、何歳がよいのかは、科学的に答えを1つに決めることはできません。
さて、成人年齢引き下げの話が続きましたけど、民法上の成年・未成年の区別は、ざっくり言えば、「子どもの保護」を目的としているんですが、もう少し、「未成年」を設定している理由を分析すると、「子どもは人生経験が少なく、判断能力が乏しいから、自分一人だけで契約を結んでしまうと、不利益を被る可能性が高い。だから、法定代理人の同意なく結んだ契約は、法定代理人がいつでも取り消せるようにしておこう」ということです。
こういう仕組みを作っておくと、確かに、子どもだけで結んだ契約を後から法定代理人(≒親権者)が取り消すことができて、子どもを守ることになります。
ただ、この仕組みを採用した結果、実際には何が起きているかというと、「法定代理人の同意なく契約結んだら取り消される可能性があるんだから、だったら、最初から法定代理人の同意をもらっておこう」ということになります。
もちろん、法定代理人が同意したとしても、その契約が子どもにとって不利益となる可能性もあるんですが、それは、法定代理人(≒親権者)が責任を持つようにしておく(親が契約の不利益を判断できなければ仕方ない)のです。
そうすると、民法上の「成人」は、「自分で契約の不利益を判断できるようになる年齢」で、もっと言えば、成人だって、契約の内容を正確に理解できているかというとそうではないので、「契約の不利益を本人に負担させてもいい、とこの社会一般で考えられている年齢」が、「成人年齢」ということになります。
で、この日本社会で、こういった「不利益を本人に負担させててもいい」と考えられている年齢は、結局、「国会議員が、それでいいと多数決で決めた年齢」ということになります。
だから、民法改正案が、国会で可決されれれば、それは、「社会がそう考えているから、それでいいよね」という感じで正当性が与えられます。
これに対し、少年法で決められた「少年」は、民法で達成しようとする「子どもの保護」とは、少し毛色が違います。
さて、少し刑法の話になりますが、刑法上は、犯人が14歳であれば、犯罪が成立します。
13歳までは犯罪が成立しないのですが(ぜったいに犯罪が成立しません)、犯行当時14歳以上であれば、犯罪となります。
だから、「少年」といっても、14歳以上であれば、犯罪者なわけです。
犯罪者であれば、成人と同様に、刑罰を与えるべきとも思えますが、日本の法律(少年法)は、そう考えていません。
19歳までの犯罪者であれば、まずは、少年審判の可能性を考えましょう、という仕組みになっています。
14歳以上の場合、犯罪が成立しているので、少年を逮捕することができ、したがって、警察署の留置場に収容することができます(最大、逮捕3日間+勾留20日間=合計23日間)。
しかし、20歳以上だと、勾留した後、起訴又は不起訴を検察官が決めるのですが、19歳までは、必ず家庭裁判所の判断を仰ぎます。
「家庭裁判所の判断を仰ぐ」というのは、少年審判にしますか?それとも成人と同じ刑事裁判にしますか?という判断を家庭裁判所が下す、ということです。
これで、「刑事裁判にしましょう」と家庭裁判所が判断したら、成人と同じように、検察官が起訴します。
でも、犯罪が成立しているのは間違いないのに、どうして、20歳以上の犯罪者とは異なり、わざわざ家庭裁判所の判断を仰ぐのでしょうか。
それは、「19歳までの人間は、可塑性(かそせい)があるから、刑罰を与えるよりも、矯正措置をとったほうが、社会にとって好ましいよね」という価値判断があるからです。
「可塑性(かそせい)」というのは、「歪んでも元に戻りやすい」という意味です。つまり、いちど「犯罪」という過ちを犯したとしても、その歪みは元に戻る可能性が高いから、刑罰よりも矯正によって対処したほうがいい。
そうしたほうが、きっと社会がよくなる。
少年法は、そう考えているからこそ、犯罪が成立していたとしても、いったんは、家庭裁判所の判断を仰ぎます。
そして、家庭裁判所も、かなりの重大犯罪でない限り、刑事裁判を回避して少年審判にします。
少年法って、こういう風な思想が根底にあります。
そうなると、「少年」と「未成年」って、全然考え方が違いますよね。
・未成年は、「契約の不利益を本人に負担させていいか」という判断軸で、
・少年は、「刑罰よりも矯正によって対処すべきか」という判断軸です。
だから、「未成年」と「少年」の線引が違ってくるのは、ある意味当然です。
で、今の法律では、
・18歳になれば契約の不利益を本人に負担させていい
・でも、19歳までは、刑罰よりも矯正によって対処すべきだよね
と考えているということになります。
今日は少し難しい話でしたが、このへんにします。
それではまた明日!・・・↓
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