子育てに疲れたら-17(もう苦しむのはやめませんか)
【 自己紹介 】
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このブログでは、弁護士である僕が、もし仮に自分が紛争・トラブルの「当事者」となった場合に、「自分だったこうするだろうな」ということをお伝えしてしています。
僕自身、これまでの人生で大きな紛争・トラブルの当事者となったことがなく、今この瞬間、紛争・トラブルに直面されている方の苦しみや不安を代弁できるような立場にはないのかもしれません。
ただ、自分が紛争の当事者となった際の対処法を弁護士目線でお伝えできれば、それが、ご覧になった皆様のお役に立てるかもしれないと考えています。
あくまで、「僕だったらこうするだろうな」ということですから、ご覧になっている方々に必ずしも当てはまらないとは思いますが、僕のやり方をヒントに、自分なりに応用していただけたら、とても嬉しいです。
ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが、アクセスしてくださり、ありがとうございます。本当に励みになっています。
【 今日のトピック:子育て支援 】
今日も引き続き、子育て支援について書いていこうと思います。
さて、昨日までいろいろと書いてきて、↓のブログで書いた今回の設定についても全く言及しないままになってしまっていましたが、僕がどうしても書きたいことがあるので、書いてみようと思います。
虐待の事案を見ていると、「生きるためには働いて生活費を稼がなきゃいけない」という風に思っている人(思い込んでいる人)が、この日本にはたくさんいて、それが虐待という悲劇を生んでいるように思えてなりません。
生きるためには働いて生活費を稼がなきゃいけない
↓
苦しくても生きるために必死で働く
↓
仕事のストレスが弱い立場の子どもに向かう
+こんなに苦しいのに働いているのはお前のためなのにどうしてお前は思い通りにならないのかと思う
↓
子どもに暴力を振るったり暴言を吐いたりする
こんな感じです。
こういった悲劇は、「生きるためには働いて生活費を稼がなきゃいけない」という考え方から変えてしまえば回避できます。
僕は「生きるためには働いて生活費を稼がなきゃいけない」なんて全く思いません。むしろ、その考えは間違っていると断言します。
ここは断言しておきたいです。「生きるために働いて生活費を稼がなきゃいけない」という思想が、↑に書いたように、多くの悲劇を生んでいるからです。
この思想さえなければ回避できた悲劇は無数に存在します。
そもそも、誰しも学校で習うように、日本国憲法では「生存権」が保障されていて、日本国民は、働らいていようが働いていまいが、文化的で最低限度の生活を送ることができます。
この「生存権」を具体化するため、生活保護法が制定され、各地域の実情に応じて、生活保護費が支給されています。
だから、最低限の営むことは、働かなくても可能です。
そうすると、働く理由は、最低限以上の生活を営みたいという理由か、もしくは、仕事自体が楽しいとか仕事が生きがいでだとか、仕事自体に魅力を感じる以外にあり得ません。
「生きるためには働いて生活費を稼がなきゃいけない」という考え方に固執していると、収入が低い場合は、働いているせいで、逆に最低限以上の生活を送れないこともあります。
例えば、「大学くらいは行かせてあげたい」という理由で、一生懸命働いてお金を稼いでいると、なまじ収入があるせいで、学費の免除や減額が難しかったり、公的な補助を受けられなかったりします。
そのせいで、学費を支払わざるを得なくなり、生活がひっ迫してしまいます。
「学費は免除されるかもしれないけど、生活費はかかるから、それは援助しなきゃいけない」という主張もありえます。
確かに、どうやら、大学生が生活保護を受給するのは難しそうです。
でも、親が少ない収入から仕送りして、それで生活費を工面しながら通うほどの価値が大学にあるのでしょうか。
繰り返しになりますが、この日本では、働かなくても生活費を工面することができます。
だから、「生活費を稼げるようになるために」、子どもを大学へ行かせるのは完全に間違っています。
そして、僕が最も危惧しているのは、僕もそうだったのですが、生活費を親から出してもらうことで、親への依存から脱却できず、自立が遅れてしまうことです。
生活費を親に依存した状態は、自立していないことを意味します。
僕としては、生活費を親に依存するよりも、生活保護費に依存したほうがいいと思います。
僕がそうだったんですが、生活費をいつまでも親からもらっていると、親と自分が別の人間であることを認識できないままになってしまいます。
僕は、「親と自分は違う人間だ」という感覚が、自立へ向けての大きな一歩だと思うんですが、生活費を親に依存していると、親なしでは生きていけない状態が終わらず、そのせいで↑の感覚が得られないままとなり、精神的な自立は遅れるばかりです。
それと、「子どものために苦しくても働いて稼ぐ」という事態は、子どもに対して、「お前の生活費を稼いでいるせいで私は苦しんでいるんだよ」というメッセージを伝えていることになります。
親の性欲のせいで生まされた子どもにとって、このメッセージはあまりにも残酷です。
「生まれてこなきゃよかった」と思う子どもがいるのも十分理解できます。だって、自分がいるせいで生活費が必要で、その生活費を苦しみながら親が稼いでいるわけですから。
ただ、親側に立ってみれば、「自分が働いているおかげで子どもの生活費を工面できている」と思っていないと耐えられないんです。
何度も繰り返しますが、「自分が働かなくても生きていける」のが、この日本の現実です。
しかし、この現実を知らないまま、「働かないと生きていけない」と信じ続けている人がたくさんいるわけですが、その人たちにとって、「働かなくても生きていける」という現実は、自分がこれまで生活費を稼ぐために費やしてきた時間全てがムダだったという不都合な真実を突きつけるので、目を背けたくてたまりません。
この世界は、「働かないと生きていけない」じゃないと困るんです。そうじゃないと、自分の人生がムダだということになるからです。
ただ、「働かないと生きていけない」思想に縛り付けられ続けた結果、たくさんの悲劇(自殺、心中、虐待)が起きているので、僕は、1秒でも早く目を覚ましてほしいと思います。
自分の人生がムダだったという現実を突きつけられることよりも、将来の悲劇を避けるほうが大切なので。
で、僕としては、「働かなくてもいい」という現実は、「生活費のために費やしてきた時間はムダだった」という現実を突きつけはするものの、めちゃくちゃ優しい世界だと思います。
だって、「生活費が足りなくて生きていけないかもしれない」という不安がないことを意味するんですよ?
なんて素晴らしいんだろうと僕は思います。
自分の生活費は、死ぬまでずっと安心していていいんです。そうすると、僕らは、視線を他人に向ける余裕ができるのです。
僕ら人間は、人間関係の中にしか幸せを感じられない生き物ですが、生活費に心配があるのなら、幸せよりも目の前のお金を優先しなきゃいけません。
しかし、生活費の心配から解放されているわけですから、僕らは純粋に幸せについて考えることができます。
もちろん、生活保護を受給している場合は、自分(もしくは、自分の家族)の生活費しか収入がないので、他人(独立した子どもを含む)を金銭的に助けることはできません。
この意味で、生活保護には限界があります。せっかく、視線を他者に向ける余裕があるのに、金銭的に援助したりして助けることはできません。
「他人を助ける」という作業は、助けた側に幸せをもたらすので、幸せになるために非常に有効な手段なのですが、生活保護を受給していると、金銭的な援助は諦めなきゃいけなくなり、幸せに限界が出てきてしまいます。
ちょっと話が逸れましたが、結局のところ、親は、子どもの生活費のために稼がなくていいんです。
子どもの生活費を稼ぐことができていることに喜びを感じているのであれば、ぜひ、仕事を続けてください。子どもを生活費を稼ぐことが自分の幸せになるなんて、とてもすばらしいです。
ただ、それを親全員に要求してはダメです。
僕の思想としては、親はとにかく、人生は楽しいことを見せなきゃいけません。生活費を稼ぐために苦しむ必要はないのですから、人生の過ごし方は「楽しむ」以外にありません。
人生は楽しい。
こういった単純で素朴な思想を、最も身近な大人である親が、自分自身の人生を楽しむことで教えなきゃいけません。
「人生の楽しみ方」を教えるのではありません。だって、子どもは親とは違う人間で、何を楽しいと思うかなんて、人それぞれだからです。
自分が、どうやって人生を楽しんでいるのか、それを現在進行形で見せてあげる。
それが、親の役割だと僕は思います。
エラそうにいろいろと話していますが、僕には子育ての経験がなく、オムツさえ交換したことがないので、説得力に欠けるのかもしれません。
(※僕は、子育てが楽しくなくて、どうしても苦しいのであれば、子どもを養子に出してもいいと思います。そのほうが、お互いにとって幸せだからです。その子どもは、将来、「親に捨てられた」と思うかもしれませんが、苦しい子育てを続けて虐待してしまうよりはマシです。「捨てるくらいなら最初から生むな」なんて言う人は乱暴です。子どもが現実に生まれるまで、自分がその子どもに対してどう思うかなんて予測できません。だから、実際に生まれてみたら子育てが苦しいということは全然あり得るわけで、その場合に、自分自身と子どもにとってのベターな選択肢として、子育ての放棄は認められるべきです。)
話を戻します。
先ほど書いた「親は自分の人生を楽しむことで、子どもに人生が楽しいことを教えるべき」という考えは、実を言うと、僕の願望なのです。
僕の両親も、僕のために、一生懸命、生活費を稼いでくれていました。
共働きではありましたが、収入が多いほうではありませんでした。湯水のようにお金が湧いてくるわけではありませんでした。
両親2人が、少ない収入から僕の生活費と学費を工面してくれているのが、僕は本当にイヤでした。
僕のせいで、少ない収入なのに、そこから更にお金が減るわけですから、それが僕へのプレッシャーになっていたからです。
僕が必要以上にプレッシャーに感じていたのもあったのでしょうが、お金にうるさい両親が僕は大嫌いでした。
僕のために生活費を稼ぐくらいなら、今思うと、両親には、自分の人生を楽しんでほしかったんです。しかし、両親が人生を楽しんでいる様子は全く記憶にありません。
まあ、人生の楽しみを必ずしも両親から教わる必要はないと思いますが、少なくとも、「人生は楽しいもんだよ」という家庭であってほしかったんです。
僕は、29歳でうつ病を発症し、それをきっかけに猛勉強(猛読書)して初めて、「人生は楽しいもんなんだ」ということに気がつきました。
気づけたからまだよかったですが、あまりにも遅すぎます。
僕は、自分の子どもにはこんな思いをしてほしくないんです。もしかしたら、僕の両親も、「息子にはこんな思いしてほしくない」と思っていたのかもしれません。
僕の両親も、それほど生きるのがうまくはありません。「こんなはずじゃなかった」という思いがあったはずで、それを息子である僕に対して、「息子にはこんな思いをしてほしくない!」とぶつけてきていたのかもしれません。
ただ、正直に言うと、その子育ては間違っていました。
僕は、両親に人生を楽しんでいてほしかったし、それを僕に見せてほしかったのです。
僕は、中学生に上がって、勉強ができることが発覚しましたが、その結果、両親は、僕に「勉強をさせなければ」と思うばかりで、勉強を楽しませようというところに気がつくことができませんでした。その程度の両親だったというほかありません。
「塾に行きたいと行ったのはそっちでしょ」と僕に言う始末です。勉強ができる息子がいるのは両親としても嬉しかったはずですが、その喜びが僕には伝わっていませんでした。
ま、自分の生き方について長い間気づけなかった僕自身がいちばん悪いんですが、コッソリ両親に対する愚痴を書いてみました。
今は、むしろ両親は人生を楽しんでいるようです(笑)。
子育ても一段落していて、何よりも、「少ない収入」と僕が勝手に心配していただけで、両親は両親で、きちんと老後の資金は貯蓄していたようで、なんというか、「親と子は別の人間なんだなあ」という思いをさらに強めました(笑)。
親だって、やっぱり自分のことがいちばんかわいいんです。そう思っていたほうが、僕自身もラクになれました。
親は親で、好きに生きてください。僕は僕で勝手にやります。
なんか今日は、話があっちこっちに行っていますが、結局、生活費の心配はせず、各自が自分の人生を精いっぱい楽しみましょう、ということです。
「息子のために」とか思って苦しむよりも、自分の人生を優先したほうが、結果的に、息子も幸せになるので。
最後にもう一度繰り返しますが、生活費の心配は今の日本では不要です!
それではまた明日!・・・↓
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