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母を知る、父を知る。-1

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけにその年の12月からブログを始めて、それからブログ更新してきました。しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:出自を知る権利 】

唐突ですが、「母親」って、誰を指すのでしょうか。

自分を産み、育ててくれた人でしょうか。それとも、産んでくれたら、それだけで「母親」なのでしょうか。それとも、産んでいなくても、育ててくれたら「母親」なのでしょうか。

はたまた、自分の素になった卵子の持ち主が「母親」なのでしょうか。

さて、医学・科学の進歩によって、ヒトという生物は、卵子と精子が受精し、その後、子宮内で細胞分裂を繰り返して成長し、分娩によって子宮外に排出されて、ヒトとして生まれることがわかりました。

ヒトという生き物のメスが卵子を持っていて、オスが精子を持っているので、「卵子の持ち主=母親」という知識を、現代の人類は獲得しています。

ただ、この知識を人類が獲得したのは、せいぜい、ここ200年くらいのようです。

しかも、「代理母」、つまり、卵子の持ち主と出産した女性がイコールではないという技術が確立されたのも、ここ50年くらいです。

だから、人類の歴史ほぼすべてにおいて、「卵子の持ち主=出産した女性」という図式が成り立っていました。

「母親」の定義をどうするかは置いておいて、少なくとも、世界最初のヒト(ホモ・サピエンス)が地球に生まれ落ちてからずっと、「自分が誰から生まれたのか」は、常に明らかでした。

ただ、世界が豊かになるにつれ、「誰から生まれたのかわからない」という状態が起きるようになりました。世界が豊かになる前は、生まれた子どもは、産んだ母親、そして、その母親が属するコミュニティが救わない限り死んでしまうので、「誰から生まれたのかわからない」なんてことは起きようがありませんでした。

生まれたばかりの赤ん坊は、1人では生命を維持できないので、大人たちに救われ続けて、命を明日につないでいきます。

だから、「誰から生まれたのか」は、必ずわかっていました。その赤ん坊を救う大人たちが、誰から生まれた赤ん坊なのか、必ず認識して育てていたからです。

誰から生まれたのかわからない子どもは、救われないまま死んでしまっていたので、誰から生まれたのかわからない子どもは、進化の過程では存在しませんでした。

人類が進化してきた旧石器時代においては、「自分の親がだれかわからない」なんてことは、起きようがなかったのです。

しかし、時代が変わり、「自分の親がだれかわからない」なんてことが起きるようになりました。捨てられた子どもを、母親を知らない人が育てることができるようになったのです。

例えば、今の日本で、子どもを道端に捨てても、その子を発見した誰かが警察に届け出たら、児童相談所が責任をもって育てます。

つまり、「孤児」も見捨てず、国家が税金を使って生活を保障するのです。

とはいえ、つまり、孤児を見捨てない仕組みが整っているとはいえ、子どもが母親を知らなくていいかというと、そうではないと思います。

ヒトという生物は、代理母という技術が確立されるまでずっと、母親のお腹から生まれ続けてきました。そして、コミュニティ全体の生き残りを図ることで、進化の過程を乗り越えてきたわけですから、子どもを産んだ母親も、常にコミュニティに属していて、コミュニティ全体に、生まれた子の母親が誰かが知られていました。

仮に母親が亡くなっても、ほかの大人たちが、生まれた子どもに対して、「あなたを産んだ女性が誰か」を語ることができていたのです。

つまり、

・お腹から生まれる
・コミュニティで暮らす

という習性がヒトという生き物に備わっていることを踏まえると、子どもが、自分の母親=「自分を産んだ女性」が誰かを知っているのは、当然なのです。

生物学的に、母親を知っているに決まってるんです。ヒトは、そういう生き物なんです。

だから、生みの親と育ての親が違うことを知ると、とても戸惑うことになります。ヒトという生き物に生まれた「習性」として、「本能」として、自分を産んだ女性が誰なのか知っているのが当然なのに、その「当然」が崩れたら、それはショックだと思います。

もちろん、ヒトには「理性」という機能があるので、ショックを理性で乗り越えることも可能です。ただ、必ずしも乗り越えられるわけではありません。

今日は、これくらいにして、明日は、父を知ることについて書こうと思います。

今日は、「母親から生まれる」ことに着目して、「母は明らか」ということを強調しました。

だったら、「父親」は知らなくていいのでしょうか。確かに、分娩という作業は完全に女性の単独作業で、生まれた子どもの父親は、一見して明らかではありません。

だったら、父親を知る必要はないのでしょうか。子どもを生むのは母親だから、「父親が誰か」を知っているのは当たり前ではないのでしょうか。

僕は、父親を知っていることも当たり前だと思っています。その理由は、「自分以外の遺伝子を身ごもるような女性との子作りを男は望まないから」ということが鍵になると思います。

また次回、ゆっくり書いてみようと思います。

それではまた次回!・・・↓

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