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親がわからないって、どんな感じなのでしょうか

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上(ほぼ)毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

(ほぼ)毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:親がわからない 】

僕は、今、児童相談所で働いています。

児童相談所は、一般的に、虐待された子どもを助けるというイメージがあると思います。

僕も、実際に働いてみるまではそう思っていました。

ただ、入ってみると、少し印象が変わりました。確かに、虐待された子どもたち(親から暴力を振るわれるのが典型です)も、めちゃくちゃたくさんいますが、他にも、深夜徘徊したりする素行不良な非行少年や、万引きや性犯罪などの犯罪を犯したけれども13歳以下で犯罪とならない子どもたちにも、たくさんたくさん関与しています。

そして、置き去りになった子どもを支援するのも、児童相談所の大切な役割です。

置き去りの子どもって、そうそう出くわすものではありませんが、たびたび、出くわします。

そもそも、児童相談所を設置する根拠法である児童福祉法は、米軍占領下の昭和22年に制定されました。当時の日本は、戦災孤児があふれていて、この戦災孤児を、いわば「処理」するのも、児童福祉法を制定した理由の1つでした。

「戦災孤児」というワードを聞いたことある人もいらっしゃると思いますが、よくよく想像してみてください。

「戦災孤児」とは、戦争によって、親を失った子どもです。親だけならともかく、親戚みんな死んで自分だけ取り残された子どもだってたくさんいましたし、親戚の誰かは世界のどこかで生きているかもしれませんが、どこの誰かもわからず、知りようがない子どもだってたくさんたくさんいました。

生まれたばかりの子どもが親を亡くすこともありました。

赤ちゃんが親を知っているわけもなく(知っていても、親の情報を話して伝えることはできません)、その赤ちゃん本人が生まれたことを知っている人すら限られていて、知っている人がみんな死んでしまったせいで身元がわからないこともあったでしょう。

こんな風に、児童福祉法は、制定当初から、身元がわからない子どもをどうやって支援するかという課題に取り組み続けてきました。

昭和20年の敗戦後、日本は、事実上、米軍の占領下となり続けました。日本は、名目上、軍隊を置いていませんので、日本の軍隊が外国の軍隊と交戦するという事態は起きようがありません。

このような、よくわからない平和を、昭和20年から令和4年までの77年にわたって日本は謳歌してきました。

その結果、日本で戦災孤児が発生することはなくなりましたが、しかし、今だに、身元がわからない子どもが出現することがあります。

現代日本で、身元がわからない子どもが出現する理由は、100%、親の都合です。

「都合」という言い方は、親を悪く言ってしまっていますが、親も、何かしら理由があって、その子どもを置き去りにしたんだと思います。

親がいなければ、子もいません。そして、置き去りにできるのは、子どもだけでは移動ができないほど、子どもが幼いからです。

つまり、赤ちゃんを、誰かが(ほとんどの場合、親が)、置き去りの場所まで運んで、そして、そこに置いて、どこかへ逃げていく。

そのせいで、赤ちゃんが置き去りにされてしまいます。

置き去りにしてしまうと、置き去りにした大人には、保護責任者遺棄罪が成立するでしょう。赤ちゃんを置き去りにするのは犯罪なのです。

にもかかわらず、置き去りにしてしまう親が、この世界に間違いなく存在しています。

置き去りが犯罪だとしても、その犯人を警察が検挙できなければ、刑罰を与えることはできません。

そして、「置き去りは犯罪だ!」といくら叫んでも、目の前の赤ちゃんを救うことはできません。

そもそも、大人は誰しも、最初は赤ちゃんでした。それと同じように、目の前の赤ちゃんは、これから大きくなっていきます。

そして、あなたと同じように、悩み、苦しむのです。人生を楽しんだり、苦しんだり、人間関係に悩んだりするのです。

そういった、人間ひとりひとりが、みんな、最初は赤ちゃんだったのです。

自分だけでは何もできなかった赤ちゃんが、大人に救われ、救われ、救われ続けて、大きくなりました。

大きくなると、悩みや苦しみも増えますが、しかし、赤ちゃんだった頃の自分は、大人に救われたおかげで成長できたのは、揺るぎない事実です。

大人が誰しも通過する赤ちゃんの時期ですが、置き去りにされてしまうと、その赤ちゃんは、一生、自分の母親と父親を知ることができません。

子どもに名前は書かれていないので、母親が誰なのか、父親が誰なのか、わかりません。

日本国民全員のDNAを、国が一括して管理し、置き去りの子どもは、そのDNAと照合するというシステムが構築されれば、親が誰か必ずわかるでしょうが、そんなシステムはありません。

(このシステムが完成すると、子どもが生まれるたびにDNAが登録され、どの日本国民の子どもか瞬時に判明するので、妻が誰と不倫したのかも一発で判明しますし、夫が不倫して身ごもった子どもがどこで生まれたのかもすぐわかります。)

子どもに親の名前が書いていないからこそ、親は誰か、一生わからないのです。

その結果、子どもは、親が誰かわからない人生を歩むことになります。

戦災孤児だと、親がわからないのは、戦争のせいでしたが、置き去りにされた子どもの場合は、親がわからないのは親のせいです。

親にも、何かしらの理由があったんだと思いますが、その理由すら、子どもは聞かせてもらうことができません。

置き去りにする際に、子どもと一緒に手紙を残すことはできるかもしれませんが、子どもは、そんな手紙がほしいのではなく、親から直接理由を聞きたいのです。

そして、親に会ってみたいんです。実際に会ってみて、「大したことないや」と思えたら、それはそれでいいんですが、「そもそも会えない」のが、本当に苦しい。

いちど、想像してみてください。親がわからない人生を。

今日は、この辺にして、続きはまた明日書きます。

それではまた明日!・・・↓

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