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 初めに読むこと【noteに投稿する私の記事等の著作物の閲覧・引用及び利用・実践等の注意事項】(2023年5月25日更新)


 
 本日は 過去に開催された西山弘一の伝統 YOGAクラス(土曜クラス)での伝説の講義の一部を公開致します。テーマは引き続き『 星のヨーガと解脱を求める医学アーユルヴェーダ 』からのお話です。


 アーユルヴェーダ(伝統医学)やヨーガ(伝統YOGA)の目的は、解脱を成就することです。この目的でないものを本来、アーユルヴェーダやヨーガとは呼びません。人の心を捨てて、人の幸福を超えた高次な幸福の世界に魂を向上させるのです。
 人の幸福を超えた高次な幸福の世界に魂を向上させた者(聖者)が この世界にとどまって果たすべき仕事は、悩みのない永遠に平安な境地へ 様々な方法で生き物を教え導くことです。
 
 適性ヨーガの実践は 皆さんがこの世界に誕生した時空間において形成された星のヨーガの解読によって導かれます。それは、皆さん個人の自分勝手な欲望を満たすためのカリキュラムではありません。皆さんひとりひとりの進むべき未来に準備されている聖なる境涯への向上のカリキュラムです。犬は犬としての幸福を求め、猫は猫としての幸福を求めて、少しもじるところがありません。たとえおそれ敬うべき存在があっても、犬は犬であることを優位だと思い、猫は猫であることを優位だと思っています。そして、大多数の人もまた、神仏を畏れ敬いながらも、人としての幸福を求めて優位だと思い、少しも慚じるところがありません。しかし、いまだに生老病死の苦しみの世界から免れる道を知らず、一時の肉体(唯物)的な快楽を貪ることにのみ心を奪われています。

 愚かなる異生は、みずから老ゆるものであり、老いを免れ得ざるものでありながら、他の人の老いたるを見ては、おのれを忘れてじ嫌う。わたしもまた老ゆべきものであり、いまだ老いを免れることを知らぬ。しかるに、みずから老いねばならぬのに、他の人の老いたるを見て、これを慚じ嫌うべきであろうか。これはわたしに相応ふさわしいことではない、と。─── 比丘たちよ、わたしはかように観察したとき、あらゆる青春の驕逸ほこりは、ことごとく断たれてしまった。

 また、愚かなる異生は、みずからむものであり、やまいをまぬかれざるものでありながら、他の病める者を見ては、おのれを忘れて慚じ嫌う。わたしもまた病むべき身であり、いまだ病を免れることを知らぬ。しかるに他の人の病めるを見て慚じ嫌うということは、わたしに相応しいことではない、と。─── 比丘たちよ、わたしはかように観察したとき、わたしのあらゆる健康の驕逸は、ことごとく断たれてしまった。

 また、愚かなる異生は、みずから死するものであり、死をまぬかれぬ者でありながら、他の人が死せるを見ては、自己を忘れて慚じ嫌う。わたしもまた死なねばならぬ身であり、死を免れることを知らない。しかるに、みずから死ぬる身でありながら、他の人の死を見て慚じ嫌うということは、わたしに相応しいことではない、と。─── 比丘たちよ、わたしはかように観察したとき、あらゆる生命のほこりは、ことごとく断たれてしまった。

(『中阿含経』より )

 
 伝統ヨーガの道は、真実の自由への道です。人の境涯を自らの魂の理想ではないと悲しみ、み嫌い、真実の自由への道に憧れを持ち、悩みのない永遠に平安な境地を求める人にだけ ひらかれる光明の道なのです。

 現代のアーユルヴェーダは 一般に、プラクリティに基づく三つのドーシャ(この時、開示されたトリ・ドーシャ判別表は割愛致します)の調和(バランス)を維持して健康状態を良好にする理論を展開していますが、伝統ヨーガの鍛錬は、心身を限りなくヴァータ優勢な体質に導いて微細身を活性化させます。敢えてドーシャのバランスを崩すわけですから、当然、肉体の暴走が心配されるところです。そこで、プラーナのコントロールによって、チャクラの結び目を弛めて、微細身からのエネルギーを肉体に行き亘らせるヨーガを実践します。このようにして、短期間で神聖な肉体(神殿)を形成して行きます。これが、アナハタ・チャクラの覚醒法です。


■ 仏教 YOGA の実践例 / アナハタの楼閣生起(観想図像)


 
 心に神殿が形成されなければ、本格的な意味での聖なる世界との同通は望めません。ただ、心の準備(グルを敬い、伝統ヨーガに100% 生きる覚悟)が出来ないままに、自らを無理やり神やアートマンとつなげる実修を試みるのは賛成出来ません。神や仏は讃嘆と畏敬に値するからです。また、ご承知の通り、このような微妙なヨーガの実践(人や生き物が聖なる世界に踏み入ること)を快く思わない魔物が存在するのも事実です。



योगश्चित्तवृत्तिनिरोधः ॥2॥
 

(『ヨーガ・スートラ』より )


 
 こうした背景の中で解脱を成就すると云う実践(入門レベルのアーユルヴェーダの占星学)は、ダイレクトに主神(希望する神霊)に繋がると云う成果を得るには 少し遠まわりなのですが、悪魔などの存在に修道を妨げられない安全な道を照らしています。カルマの解消は、私たちの肉体が関わりを持つ現実世界で昇華すべき課題です。ムフルタを含むジョーティッシュとは、西洋占星術におけるエレクション法です。つまり、読み解く内容は、好日の選定であったり、吉方位であったり、交際や取引の可否にまで及びます。しかし、最も重要なのは、伝統ヨーガの実践に伴って発動する心身の変化(神変)に対してのアーユルヴェーダのサトヴィックな鑑定です。
 
 現代のヨーガの取り組みは、自由な社会生活の経済的基盤があって、そのRecreation や Exercise として活用されていますが、真実は 星のヨーガから流れているエネルギーの縮図を演じているだけの人生です。この姿は 当然、この場所で、この瞬間に、星のヨーガを実践している私たちの取り組みだけを指摘して述べているのではありません。ヨーガを実践する者も、しない者も、星に生を享けるすべての命のことを言っているのです。
  しかし、本来、私たちが担っている使命は星のヨーガによって形成された宿命を演じることではないのです。アーユルヴェーダの占星学は 魂の向上の指標です。私たちの存在の理由と使命を明らかにすることによって、悪しきカルマを善きカルマへと転換し、あるいは解消して、星のヨーガが指し示す解脱の道を成就する聖典です。少なくとも、このスクールで星のヨーガを実践する時間は、人ではなく、聖なる存在である 本来の自分に立ち戻って下さい。本日は 長い間、地球と共にあった水晶がどのように宇宙のエネルギーを内在させているのか、皆さん自身が水晶と同通して、この星(地球)の進化のプロセスと自分との関わりを感じてみましょう。実践法は次の通りです。(この時、開示された実践内容は割愛致します)



■ 国際伝統ヨーガ指導者協会 所有の天然水晶の塊(YOGA用アイテム)




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