【憧れと嫉妬①〜憧れの歐陽菲菲 】

最近、「昭和歌謡」が流行りのようである。ひとくちに昭和と言っても長い。だから「昭和歌謡」と一括りにせず、せめて前半後半に分けて欲しいとその時代に生きてきた者としては思うがその辺りの違和感についてはまたいつか書く。

本題に戻って、昭和と言う時代は松田聖子や中森明菜やキョンキョンのようなアイドル路線と、大人の好む演歌系やそれこそ本当の「歌謡曲」のジャンルがあった。
その昭和の「歌謡曲」の歌姫としてよく紹介されている中に歐陽菲菲 氏がいる。
この歐陽菲菲 氏、あの林真理子先生のエッセイに「混雑の空港に歐陽菲菲 のような人がいると思ったら、歐陽菲菲 だった」と言う一文があるくらい、とにかくどこにいてもその人でしかない存在感。全身豹柄が許せるのは、大阪のおばちゃんと歐陽菲菲 だけだと私は確信している程、とにかく個性的オンリーワンのお手本のような人なのである。
そしてもうひとり昭和歌謡曲の女性アーティストで名前が上がるのがテレサ・テン氏だ。
おふたり共台湾出身なのであるが、実はドレスアップがとても上手い。
上手いという表現があっているかどうかはわからないが、思うに私達日本人の DNAに組み込まれている(と私は思う)「引き」の美学は、こと洋服でのドレスアップに関してはマイナスに作用することが多い。派手にしようと下手に増していくと、なんともバランスの悪い感じになってしまう。(ここでは敢えて誰ってことは控えておく)つまりどこかにある程度の引きがないと趣味の悪さが出るのだ。
その点、彼女達の場合は増して増しまくってた上でのお洒落さ、粋とか引きの美学とは全く逆の「お洒落さ」である。
だからそう言う意味で、今でも私の中で歐陽菲菲 は「憧れの人」なのである。(ラヴイズオーバーは私のカラオケの十八番)

今年のW B C決勝の前大谷翔平くんが「憧れるのをやめましょう。憧れると越えられない」と言う名言を残した。
本当のその通りである。そしてあの場面であの言葉が出る大谷翔平くんが世界で活躍するのは至極当たり前の事なんじゃないかと思う。
この越えよう、越えていきたいと言うのは同じLINE上でと言うことが前提であるから、こと歐陽菲菲 氏に関しては
全身豹柄を自分のものにしようと思わない限りは超える必要もない。
よって、私にとって彼女は憧れの人のまんまで良い訳なんである。
そして(ここからが大事)この憧れると言うことのほんのちょっとズレたところに、「嫉妬」と言う感情がある。
実は「嫉妬」と言う感情、自分と向き合う作業の中で大切なポイントとなる感情のひとつでもある。

と、ここからは長くなりそうなので、次回コッテリ詳しく書きまする。
本日は着物ジャーナリストらしくちょこっとファッションに触れてみました。
それではまた〜。

#着物ジャーナリスト


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