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大峯千日回峰行

※読書感想文です。非常に長いです。

大峯千日回峰という「行」を達成されたお坊さん、塩沼亮潤さんという方の本を読みました。

「人生生涯小僧のこころ」という本です。

大峯千日回峰とは、奈良県吉野山の金峯山寺蔵王堂から大峯山と呼ばれる山上ヶ岳までの往復48キロ、高低差1300m以上の山道を16時間かけて1日で往復し、それを千日間続けるというものだそうです。

ただし、山を歩く期間は、5月3日から9月20日までと決められており、この4ヶ月間を目処に毎年120数日歩くという決まりになっているようです。

行の間は、病院に行くことも出来ず、熱があっても、台風来ても、雪が降っても、歩き続けなくてはなりません。

決して途中でやめることのできない掟があり、
もし、この行を途中でやめるときには、神仏にお詫びをして、切腹して自害するか、首をくくって自害しなければならないのだそうです!

山道は険しく、危険に満ちています。
そんな中、足の骨を折っても、熊に遭遇しても、やめることは許されない厳しい行なのです。

崖や野生動物の多い山道では、一瞬の油断が命とりになります。
常に周りに気くばり、気を張り続けなければ、自分の命が危ないのです。

具体的には、夜の11時25分に起きて、滝行をするところから始まり、山を登って午後3時頃下山、その後、下坐の行として宿坊の仕事をし、自分の洗濯や掃除をして、夜7時に眠りにつくという生活だったそうです。
それを1年の間4ヶ月間毎日行います。

睡眠時間4時間弱で、毎日高低差のあるフルマラソンをしているようなものでしょう。

筆者は、この4ヶ月間の修行を9年間も続けたのです。
(この行の大変さについては、是非本書を読んでもらいたい‥!)

この行は、苦行と思われるのですが、
お釈迦様は、苦行を否定しているそうです。

筆者はそのことについて、

お釈迦様はただ「苦しんだものが偉い」という考え方を戒められたのではないかと思います。
中略
おそらく行というものは、普段私たちが住む世界から、厳しいほうへ厳しいほうへと自分を追い込んでいくものなのでしょう。しかし、食べなければいい、飲まなければいいと突き詰めれば、行は死に至ります。お釈迦様は決して死を目指しておられません。

人生生涯小僧のこころp34

と書いています。
「苦しんだものが偉い訳ではない。」これは、少し胸に残りました。
誰だって頑張ったら、褒めてほしいし、
怠けている人より、偉いと思いたい。

でも、多分、お釈迦様は、行を行った人の方が、普通に暮らしている民間人よりも偉いだなんて、思わなかったろうと思うのです。

そもそも、俗世界も充分、行のようなことで満ち溢れています。

そして、お釈迦様は、別に死を目指しているわけではない。苦しむことを推奨しているわけではないのです。

むしろ、生をどうより良く生きるかのために「行」というものが生まれたのではないかと思います。

著者の塩沼さんが師匠からいただいた言葉に、
「行を終えたら行を捨てよ」という言葉があるそうです。

私はこの言葉は、過去の栄光への執着の手放すことや、ご利益への損得勘定を手放すこと等、深い意味を含んだ真理をついた言葉だな、と思いました。

また、傲慢になる心への戒めでもあるでしょう。

「行」を行ったから偉い訳ではない。
それは、真理を知る過程でしかない。

辛く苦しい「行」を終えたお坊さんが実践するからこそ、深い意味を持ち、深い学びを私にももたらしてくれます。

自分の人生においてもその通りだな、
過去の功績は過去の功績、それをいつまでも引きずることは、何の意味ももたない、

全ては人生における通過点でしかないな、と、改めて思いました。

本書の中にはこんな文章もあります。

人は苦しむために生まれてきたのではありません。
苦しみの中から喜びを得るために生まれてくるものだと思います。

人生生涯小僧のこころp37


人が悩み苦しむのは、何かにとらわれているからで素直にやさしさを表現できないからです。それでもあきらめずに人を思いやり、丁寧に生きていると、やがてそれぞれの人生の中に、心の中に、素晴らしい悟りの花と出会える日が来ると思います。
また、そのために人は生まれてくるのだと私は思います。

人生生涯小僧のこころp39

お寺の暮らしというのは、同じことの繰り返しだそうです。(私たちの暮らしもそうですよね)
でも、この同じことの繰り返しに行の意味はあるそうです。

1日として同じ日はないという気づき。
その中で、どのようにしたらありのままで生きられるのか。と筆者は本書の中延べています。

お寺で修行しなくても、私たちの生活の中でも言えることだな、と思いました。

本書の中に、年始引いたおみくじの答えのような文章がありました。

年始に引いたおみくじとは、

「あれになろう これになろう と悩むより
 いつどんな時も誰の前でも変わらぬ存在に
 自分を育てよ 
 苦難と思うことも有難く受け取ること」

というものです。

そして、この本に書いてあることは、

大自然はとても手強く、何が起こっても現実を受け入れるしかありません。台風の日があり、嵐の日があり、雷の日があります。
中略
そうした自然との闘いにプラスして自分の体調の問題もあります。
常に限界の中、余裕などありません。それでもこの体を往復四十八キロ、山に持っていって山から下ろしてこなければなりません。
中略
自分の心のありようにかかっています。
常に最高の精神状態に持っていく必要があります。行のはじめの頃は心が安定せず、最低のときもあります。そこで駄目だと思ったら駄目なままで終わってしまいますので、この駄目な精神状態を最高の状態まで引き上げていって、何かひとつでもいい、お山から何かの気づきをもぎとってくる。何も気づかず帰ってくるのは、宝の山に入って何も持って帰ってこないのと一緒です。

人生生涯小僧のこころp164~p166

というものです。
おみくじの内容と照らしてみると、ピタリとハマり、すごく納得できました。

どんな時も変わらぬ自分とは、こういうことか、と思いました。悪天候でも、体調不良でも、最高の状態持っていく。

また、著者である塩沼さんは、「噛み合わない日」の過ごし方について、下記のように述べています。

「今日は噛み合わないから、もう駄目だ。適当やろう」というのではなく、噛み合わない中でも最終的に自分気持ちを最高の状態まで持っていけるように努力しました。その努力繰り返しているうちに、自分の気持ちを持ち上げるポイントをつかみました。そのポイントとはまわりの環境に執らわれないようになったこと、ただそれだけのことでした。
中略
それと大事なのは、「やらされている」と思わないことです。行をやらされていると思うと、どんどん卑屈になってしまいます。どうせ受ける苦しみは一緒です。台風の時は台風から逃れることはできません。

人生生涯小僧のこころp168~p169

「まわりの環境に執らわれない」これは、まさに、先ほどのおみくじの言葉を実践するためのアンサーですよね。

そして、「やらされている」と思わないこと。
これは、私も賛成なのです。

私の「人生の主導権をとりたい」という記事でも書きましたが、自分がやろうと思って行うことと、無理やりやらされていると思ってやるのとでは、結果も過程も気持ちにも大きな違いがあることに間違いないでしょう。

言うが易し行うが難しですが、塩沼さんの言うことは真理だと思います。

もちろん一朝一夕にできることではなく、
塩沼さんのように、努力に努力を重ねて出来るようになることなのでしょう。

でも、何も、お山で修行しなくても、私たちも心掛けることは出来るはずです。

最初から出来ないと言って投げ出してしまえば、そこで終わってしまうのですから。

塩沼さんは、目的を持つことの大切を仰っています。

「なんのために」というところがはっきりしていると、どんな辛さも苦しさも乗り越えられます。そして皆さんに喜んでいただくことが自分の喜びになりますので、決して疲れませんし、どんな状況でも常に心豊かでいられることができ、卑屈になることもありません。何かを成す前に高い高い目標を定めなくてはならないのも、こうした理由からです。

p179~p180

目的がハッキリしていれば、人間というものは、頑張れるものだと思います。
塩沼さんが仰るように、高ければ高いほど、多少ことではくじけない強靭さが生まれるのでしょう。

でも、別に高い目標でなくても良いと思います。
最初は、自分のためでも良い。

自分のために、苦しい毎日を少しでも、朗らかな前向きな気持ちで過ごせるようにという目標をたてる。

でも、その努力や姿勢は、恐らく、周りの人にとっても良い影響を与えるはずです。

塩沼さんも本書仰っていますが、
「今日より明日、明日より明後日」という向上心が、私たちを成長させてくれるのでしょう。

塩沼さんは、この大峯千日回峰行を終えた後、
さらにその上をいく「四無行」という、「断食、断水、不眠、不臥」を9日行う「行」をされたそうです。

つまり、飲まず食わず寝ず横にならず9日間過ごすのです。この行の生存率は、50%だそうです‥!

飲めないということが、一番辛かったと、本書述べています。

塩沼さんは、苦難に遭うと、「これが自分の日常なんだ」と思うそうです。
そうすると、「あっ、こんなものか」と思えるのだそうです。

与えられた環境を特別なものだと思わず、それを日常と考えて適応していくようにすることがとても大切なのだと思います。
中略
あえて苦しみの中に身を投じてみるというのは、言い換えますと環境をそのまま受け入れるということです。現実は自分の一存で変えることはできませんが、現実を受け入れ愚痴らず精いっぱい生きると、そこに道が開けてくるものだと思います。

人生生涯小僧のこころp210

現実をありのまま受け入れる。
とても難しく苦しいことですが、本書を読み終わった時、少しだけ、心が開き、今の現実をありのまま受けれてみようという気持ちになった自分いました。

心の薬のような本でした。

最後に、このような偉いお坊さんでも、自分の至らなさを自覚し、日々精進されているのだ、自分も多少の苦難でグチグチ言ってる場合ではないな、という気持ちにさせてくれた文章を載せておきます。

「人生って大変だなあ。仏さまは自分の器以上のいろんな仕事をしなさいと無理難題を与えてくださる。でも、それはありがたいことだなあ‥。下手でも精いっぱいやらせていただこう」

人生生涯小僧のこころp248


自分への備忘録のため、そして、偶然読んでくれた誰かにも、この塩沼さんのありがたい言葉達が、慰め、励ましてくれることを願って、記事にします。



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