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何者にもなれない

中二病みたいなタイトルですが、
最近、「何者にもなれない」っていう言葉を
よく目にするので、ちょっと考えてみました。

「何者にもなれない」っていうのは、
逆に考えると、「何者かになりたい」っていうこと
だと思う。

「何者」ってなんだろう。

名前が通っている人。
例えば、ベートーベンとか、
芥川龍之介とか、
宮崎駿、イチロー、
最近でいえば大谷翔平選手とか‥

あとは、職業とか立場とか
医者、教師、社長、芸能人、主婦、母親‥

「自分」という存在に、確固たるラベルを貼りたいというのが、「何者かになりたい」ということなのだろうか。

大多数の人は、自分が思っているような「何者」かにはなれないんじゃなかろうか。

歴史に名前を残すような有名人になれる人は
一握りだし、憧れて就いた職業や立場も、
一過性の通過点にすぎない。
役割を降りたら、もうその「何者」かでは
なくなるのではないか。

また、憧れたとしても、私のように
なれなかった人もいるだろう。

そう思ったら、確かに私達の大半は
「何者にもなれない」。

切ないけれど。

でも確かに、私の中にも、何者かになりたいという思いはあって、それは、自分が存在した意義を
残したいという願いと一緒かもしれない。

そこに、自己実現や、金銭的な自由、
つまり、自分らしく生きてゆける権利が欲しいという願いが隠されている気がする。

「何者かになりたい」とは、皆から認められて
自分らしく自由に生きたいという、幻想への憧れかもしれない。

ただ、私達は、「何者」かにならなくても良いのでないかと思うのです。

ただ、一生懸命に生きている。
それだけで十分なのではないかと。

沢山の命が産まれて、そして消えていく中で、
人類史に名前が残るのは本当に数少ない人達だけ。

でも、皆関わりあって、影響しあって
懸命に生きている。
意味のない命はないと思う。

誰かの心には残っている。
無名な沢山の人達こそがこの世界を作っている。
何らかの役割を果たしている。

そう思ったら、「何者」かになる必要なんてないのではないでしょうか。だって、もう、「私」は「私」になっているのだから。


余談ですが、この「何者にもなれない」は、
妹から教えてもらって、一時期ハマっていた
「輪るピングドラム」というアニメによく出てくるフレーズで、最近読んだ辻村 深月さんのエッセイにこの「輪るピングドラム」についての文章があって、思い出したのです。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」

このセンセーショナルなフレーズは、
このアニメの内容と同様に
よく意味が分からないながらも、
どこかドラマチックな響きを含んでおり、
当時の私の心に強く残っていました。

このアニメに出てくる「何者」は、
私の解釈する「何者」とは違うと思います。

ただ、最近観た映画の中にもこのセリフが出てきて、そんなによく聞くようなフレーズじゃないのに
不思議だなと思ったので、自分なりに解釈したものを記事にしてみました。

今回も画像はお借りしました。


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