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私の本との向き合い方

数ある本の中から、ご縁によって
ある特定の本が自分の手元にある奇跡を思う。

「本」と一言で言っても、
その中身や、情報にどれほど元気付けられ、
新しい考え方や知識を得られただろう。

人との出逢いと同じくらい、
本との出逢いも私の人生を変えたし、
考え方を広げ、生きるのを助けてくれた。

子どもの頃は分からなかったことを知ったり、
色んな考え方や見方を知ると、

もしかしたら、知らないうちに洗脳されていたことって意外と沢山あるのかもしれない、と思う。

例えば、成人したら、社会人になり、働き、
自立して1人で暮らし、

いずれは結婚して子どもを産む。

そして、家を買って車を所有し、
子どもを良い学校へ入れて、

またその子どもが成人し‥

というような生き方が理想的で、
そのレールから落っこちると、
なんとなく残念な人、というイメージとか。

テレビやメディアやSNSで、
誰かの「理想」を見せられて、

そうなることが「幸せ」で、
そうであることが、「一人前」の
ように思わされているけれど、

一週間のほとんどを仕事や学校で消耗して、
若いうちは、自分の財力だけでは広々とした空間に住むことも出来ず、

狭いアパートの1室の、
狭いキッチンで料理し、生活し、
(しかも今は仕事に就くのも一苦労)

結婚すれば
核家族化が進行した世の中で、
仕事しながら、家事もして子どもも育てて、

家や車を所有すれば、ローンに追われて、
仕事を辞めることも出来ない。

SNSには、
都内の綺麗なマンションに住むこと、
ブランドものを所有すること、
高級ホテルに泊まること、
スタイル抜群の美女になること、

そういうものが沢山流れて、
私たちの消費を煽る。

就きたくもない仕事に就くために苦労して、
就職活動をして、

そうして入った会社で労働力として、
時間も体力も精神力も会社のために費やし、

そうして稼いだお金を、
メディアに刷り込まれた「必要」なものに消費する。

うーん。
もちろん、「悪い」ことじゃない。
「良い」面も沢山ある。

でも、その「作られた理想」に縛られると、
視界が狭くなって、身動きがとり辛くなる。

選択肢がもっとあっても良いのでは?

例えば親と一緒に実家に住み続けることはいけないこと?恥ずかしいこと?

ちゃんと働いていても、自分の身の丈にあった働き方では、死ぬまで、狭い1kのアパート暮らしになってしまうかもしれない。

それは、「実力がないから」で片付けられるの?

皆が皆、大きな家を所有できるほどの働き方が出来るのかな。

例えば、結婚したいと思える人がいなかっただけなのに、結婚しないことは悪いこと?

背負うものがグッと増え、
乗り越えなければならない問題も増えるのだから、

「この人なら」と思えなければ、踏み切れないのは当然では?

そんなに簡単に「この人なら」は現れない。

大事なことって、
そういう「形」に囚われることではないのかもしれない、

と、思わせてくれるのが本だし、
自分と深い会話をしてくれるのも本だ。

死ぬことや、病気になること等、
怖いと思うものを、慰めてくれるのも本だ。

もちろん、そういう気付きを与えてくれるものは、
本だけではないけれど、

私にとって、紙の本は、
静かに深く私を癒し、励ましてくれる、
「師匠」であり、「友達」だ。

優しく寄り添ってくれる。

作られた「理想」を追い続ければ、
一生自分を肯定することは出来ないけれど、

本を読めば、もっと沢山の選択肢や、
深い考え方、捉え方があることを知り、

今の自分のままでも肯定することが出来る。

動画のように勝手に進まないし、
理解出来なければ、
何度も読むことができる。

自分が心の奥底で、なんとなく違和感を感じていたことの答えをくれる本も沢山ある。

何日もかけて行う読書は
落ち着いて、じっくりとその本の考え方と
向き合うことが出来る。

それは、自分と会話する時間でもある。

長くなってしまったけれど、
本は私にとって、大切な一部だ。











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