見出し画像

本当の豊かさとは

マザーテレサの言葉を綴った本を読んでいる。
「マザー•テレサ 愛と祈りのことば」という本だ。

この著書を読んで、
本当の豊かさとは、物質ではないのかもしれない、と思った。

マザーは、
「貯めれば貯めるほど、与える機会を失ってしまいます。持ち物が少ない人ほど、人々と分かち合うことも易しくなります。」p48

「インドでは、貧しい人々は僅かのお米を他人から受けとることで満足します。一方、ヨーロッパの貧しい人々は、自分の貧しさを受け入れることができずにいるので、その多くの人にとって、貧しさは、失望の源でしかないのです。」p48

と、仰っている。

確かに、
周りの人が皆同じように貧しければ、
その状況が当たり前であり、
少ないものでも分かち合い、
助け合って生きていこうとするものかもしれない。

(実際にカルカッタの貧困を目の当たりにしたことはないので、奪い合いになるのか、分け与えるようになるのかは分からないけれど、僅かなものでも有難いと思うのかもしれない。)

でも、貧富の差が激しかったり、
隣の人の持ち物の方が良く見えたりする状況だと、妬みや嫉妬が起こり、
いがみ合いや奪い合いが起きる。

(貧しさを肯定しているのではありません。
 マザーは、例として事実を述べているのだと思います。)

また、差別やいじめが生じたりする。

これだけSNSが発達した消費社会で、
自分の分をわきまえることは、
難しいのかもしれない。

誰もが、無謀な夢を抱き、
もっともっとと慾望を駆り立てられる。

今、自分が与えられているものに、
見向きもせず、
手に入れていないものを渇望し続ける。

それこそ、本当の貧しさなのではないか。

本の中には、自分の食べるものもままならない人々が、マザーのところに、自分の持てる最上のものを持って来て役立てて欲しいと申し出る話がいくつもある。

それは、強制や打算からなどではなく、
心からの愛によって行われいるようだった。

自己犠牲によって、
怨みや後悔が生まれるのなら、
そんなことは一切しない方が良い。

器にも合っていない行動だし、
そんなことは、犠牲を払われた人も嬉しくない。

偽善や施しを、人は求めないと思う。

でも、心からの愛の行為が、
結果として自己犠牲になるのなら、

それは、与える方も、受けとる方も、
喜びに包まれるだろうと思う。

マザーは、物質的な貧しさも、
精神的な貧しさにも、
必要なのは憐れみではなく愛だと言う。

本当の幸福は、大声で笑ったりばか騒ぎをすることではなく、

内的な深い平和だという。
それは、まなざし、顔、態度、身振り、キビキビとした動作とに表されるという。

貧しい人々の中に、いつもキリストを見ていたマザーテレサ。

まずは隣人に愛を持って接することを説いている。
私たち1人1人が身近な人に愛を持って接することができれば、きっと世界は平和になるだろう。

また、マザーは、
自国を守るために費やしている莫大なお金を、
貧しい人々のための施設や、食料に回せば、
もっと世界は良くなると言っていた。

疑うこと、恐れることのためにお金を使うのではなく、愛のために使う必要性を説いている。

必要なものは神から与えられると信じていたマザーテレサ。

将来の不安を嘆くより、
今、目の前にいる人に親切にする方が何倍も大切なことなのかもしれない。

本当の豊かさとは何かを深く考えさせられた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?