羽生結弦さんで繋がるご縁に感謝と共感力そして人間力
羽生結弦YouTubeのメンバーシップで新たなプログラム動画が披露されました。こんな渦中でも仕事を疎かにしない姿勢に頭が下がる思いと、ぶれることのない芯を貫かれている強さに安心もさせてもらった気がしています。
このnoteへ初めての投稿に多くの方のスキ♡と、Xでいいね♡をくださった皆様、フォローしてくださった皆様にお礼を申し上げます。
私自身がこの数日でメンタルをやられていました。眠れない、ちょっとしたことに涙が出る、お気に入りのドラマも楽しくない、些細なことです。誰かに話せばいい?深い共感で受け止めてくれる人はいない。そのうち世間も分かってくるから考えないようにするようにとアドバイスはされても、心は簡単に切り替えられない。こうして人は心を病むのだろうと怖くなりました。たぶん自分自身を救い上げるために書いたのかもしれません。なのにこんなにたくさんの共感をいただきました。思っていた以上に救われました。ありがとうございました。
3ヶ月も口撃された人がどれほどのストレスを負うかに思いを馳せ、今回心への暴力の疑似体験をしたように感じています。
事件性があるでもない記事へのコメントなのに、自分の考えが正義であると、ならば発言しても良いと、自分の顔や本名を伏せたらなんでも言えると、対象は本名で実写でもあるというのに、この不平等さや狡さに気付かないまま言葉を送り出してしまう。
不特定多数に向かって本名でコメントする勇気ある人なんて自分を確立されている方を除いてほぼいないでしょう。かく言う私も正源に名を借りてこの紙面(あえて)を埋めている。自分をさらけ出す勇気などないのです。
勇気がない主人によって送り込まれた言葉たちに右往左往させられていることも馬鹿らしいのですけれど。人は弱いです。
私はどうも「共感疲労」に陥っていたようです。誰かの悲しさや怒りの感情に共感しずぎて心が疲れてしまうことです。たぶん現在羽生さんのファンは少なからずこの心の症状になっているのではと想像します。私は対処法として書くということ、パソコンやスマートフォンを見ないこと、誰かに話すことは試みました。でもただひとつその相手と自分を切り離して考えることができないのです。羽生さんのことが好きで心配で仕方ないのです。私は無力だし、羽生さんは自力で立ち上がると信じているのに。
「共感力」というのはいいことだけではないように思います。他人の考えや感情にその通りだと「同調できる力」「寄り添える力」ではあるものの、この共感力には過去の自分の経験値も影響してくるといいます。ファンである者たちは羽生さんの内面があるからこその応援者になっているのだからその経験値など影響しない。でも内面まで知らない人は「3カ月のワード」に、自分の経験値では追い付けなくて拒絶感により、負の記事に共感してしまうのではないでしょうか。取材と記事が事実ならそこに付け込んで祖母様を利用した。高齢な祖母様の経験値にも3カ月が無いはずだから。
正の共感力に戻します。
全てを自分一人で引き受けた
「羽生結弦の人間力」
さすが我が推し!
(正源の娘のひとり言)
サプリメントなどのトクホや機能性表示食品の包装には必ず「食生活は、主食、主菜、副菜を基本に食事のバランスを」と表示されています。小さな字過ぎて誰も読まないだろって思うけれど、書かねばならぬ 、のです。
投稿欄にも投稿前の確認にコメントポリシーを読めとあります。そこ皆読んでないやろって思うので、
ちょっと待て! そのコメント本名で言えますか?
ってどうでしょうかね、
大きな文字で。