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改めて教育というものを考えてみた

こんにちは。季節は秋とはいえ、夜から朝は寒さを感じ、日中は暑さを感じで体温調整が難しいですね。

とにかく「秋」気持ちがいい。
この気持ちよく感じさせてもらえる「生」に感謝して今日は教育というものを真剣に考えてみました。

終戦から78年を迎え、日本も大きく変わりました。
アメリカに日本国憲法の原案を作ってもらったり、自国で作れるものを規制されたり。
・・・敗戦国ですので、これぐらいで済んでよかったんですけどね。
私も今は幸せに家族を持てて、私の両親も元気に幸せそうに暮らしています。
とても有難い現代です。

なので、戦前と戦後で大きく変わったことはあるとして、現代は「不登校」が当たり前になってますね。
なんで不登校になるのか・・・
不登校だけでなくて、「中年(40代)のひきこもり」も問題になってますね。

これ、なんででしょうか。
昔から、一定数はあったと思うんだけど、私のおじいちゃんは神様やご先祖様を大切にしている。
私のおばあちゃんは仕事が大好きな人。

現代人は「神様を大事にする習慣」は軽薄だし、仕事についても自分の趣味が大事。業務時間とアフターファイブの私は別人♪
なんて目をキラキラさせながら話す人が多いです。

時代の変化でもちろんそれもOKなんですが。
なんかおかしいな~、戦後から明らかに日本人が変わったような気がします。

これについて、一つの仮説を立てました。
もしかしたら「教育」が大きく違うのではないか?と。

で、戦前はどんな教育で子どもたちが大人に育ったのか、今回知ることが出来たので、シェアしていこうと思いました。

五育

戦前は五育という考え方で教育をしていました。
この五育というのは学校だけにとらわれずに、家庭や地域の人たちも一緒になって子どもたちの教育に参加していたシステムになります。

今の教育は、国語、算数、理科、社会、英語の五教科ですね。
五育というのは、食育、徳育、体育、才育、知育の5つを指します。

食育

食育とは、食事に関する教育を指します。
食事全般のことですね。
「いただきます」や「ごちそうさま」といったり、その意味を考えたり、
どうやってこの食材は育って、どういう流通を経て、私たちの口に運ばれているか。
お母さん(など食事を作ってくれてる人)がどんな気持ちでどのような手順で料理をしているか。

食事全般のこと。
「命を頂いている」という意識を心に持てば、「野菜がきらい」「おかしでいい」などいう言葉は心の辞書に載らない。
食は命をつくる大切なことと、即答できる人が今の日本人にどれだけいるでしょうか。

徳育

徳育も大変重要な考え方です。
文部科学省の引用をご紹介します。

・自他を尊重し、お互いを思いやり、感謝し、共感する心
・年長者の考えに謙虚に耳を傾けること
・父母や祖父母などを敬い、家族を愛すること
・基本的な生活習慣の形成
・他者との関係を調整する力、コミュニケーション能力の育成
・規範意識をもち、自らを律し、してよいこと、しなければならないこと、してはならないことを認識できること
・公徳心をもち、ルールを遵守すること
・人間や社会の在るべき姿について考えを深め、生きる主体としての自己の確立
・情報倫理、メディアとの正しい接し方、適切なインターネット等の利用に関する常識をもつこと

引用:文部科学省 「子どもの徳育の充実に向けて」

文部科学省

「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんを敬い、家族を愛すること。」
ここが本当に好き。
これは、私も言えるんです。
私が、自分のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん(もちろん義両親も含めて)敬っていたら、子どもも「それが当たり前」の思考になります。

私の実家は、敬う思想は強かったのですが、夫の家族は戦争中に疎開してきた家族だったので、「ご先祖様を敬う」思想を引き継いでいませんでした。

こういう、家庭の「当たり前」の違いが時に夫婦喧嘩になるので、そこは夫に合わせるのが夫婦円満のコツですね。

「夫婦は仲良く」これも凄く大事な考え方です。

体育

体育については、今の五教科にも入っていますが、とにかく「歩く」ということ、「はたらく」ということを言っています。

家庭円満のためにはたらきます。
掃除をしたり、買い物にいったり、家事をしたり。
体を動かします。

ゴロゴロYouTubeやインスタを見ているのではなく、誰かのためにはたらきながら、体を使う。そうするとによって、太ることもなく必然的に体型は維持されます。

才育

これは才能を伸ばすことです。
「お父さん、このふた開けて~」
「お兄ちゃん、高い所にあるモノとって~」
「お母さん、赤ちゃんに母乳あげて~」
など、「自分だからできること」を使って人のお役に立つんです。

別に「大谷翔平さんみたいな」才能は必要ありません。
身近な人を救える才能を生かせばいいです。

それが才能です。小さくみれば、「計算が速い」「歌がうまい」「話が面白い」「笑顔が素敵」「力が強い」「植物がすき」「センスがいい」「字がうまい」あるでしょ。

人それぞれのことを、おもいっきりやって、身近な人に「あんた凄いね!」って言われることをやるんです。

最後に知育

知育というえば、「知識」ですね。
国語、算数、理科、社会です。
昔の日本は、食育、徳育、体育、才育、、、これを基盤にして最後に「知育」という考えでした。

戦前の日本の教育を経て、今の日本は、

食事はコンビニかファーストフード、
人をすぐにバカにして、
親に暴力をふるい
顔は青白く、細くヒョロヒョロだけど
勉強はできる!

「勉強はできる!」だけで進学して、結局は社会不適合で大人になっても何もなしえない人間が完成するのは、私の想像ですが、いかがでしょうか。

それとは比較し
食事はありがたく綺麗に食べて
個性の違いを認め
親を敬い
笑顔でうすっら筋肉がみえるけど
勉強は苦手

の方が、なにか将来「勉強でないところで花が咲く!」なんて期待の持てる若者になるんじゃないでしょうか。

五育を意識した言葉がけで子育てをする

私には二人の子どもがいます。
核家族で育てていることや、私のお父さんとお母さんはおじいちゃんとおばあちゃんをバカにしています。

そんな中で、私は育ち、幼少期から最近まで「自分のご先祖様」に自信が持てませんでした。

「私たちのご先祖様は貧乏百姓だ」ってあさわらいながら、母は言います。
こうして、ご先祖様に誇りを持てずに今に至りました。

だけど、そんなことはない。
私のひいおばあさんは本当に「覚悟」のある「強くて優しい」人間でした。
家も100年続く商売をしていました。(父母の代で終わりましたが)

そんなご先祖様に誇りを持てないわけがありません。
きっと、言霊の力に負けてしまったんだなと幼少期を振り返り感じております。

こんな過去を持っているので、私は子供には五育をしっかり意識した言葉がけをします。

少し前の私が「戦前の教育」に興味を持ったからこそ、出てきた内容でした。
昔の日本人が徳が高かった理由がわかります。

それでは、今回はこの辺で。
有難うございました。



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