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危ぶまれる売春禁止法

コラム『あまのじゃく』1957/9/8 発行
文化新聞  No. 2659


難しい『法』の『本能』への切込み

    主幹 吉 田 金 八 

 売春防止法の罰則規定の実施期限を半年後に控えて、これを「延期せよ」、「しない」で盛んに論議されている。一方、果たして売春禁止法は実効が挙がるか、米の統制法と同じで死法化するのではないかと、その成果も危ぶまれている。本紙はかねてから、この法律そもそもが絶対に行われない法律だとして烙印を押しており、万一この法律が完全に国民から守られ、所期の目的を果たす様な事があったら、新聞を廃刊して、新聞人として先の見えなかったことを社会に謝罪するつもりでいる。
 こう言ったからとて本紙が売春を支持し、これを人類社会の生態として理想的であると認めているという訳ではないことは勿論であるが、 現実として絶対に根絶やしになりっこないと思うからである。
 こっちを抑えればあっちが膨れだし、赤線がダメなら青線に。さらに白線、天然光線とあらゆる逃げ口を見つけて、結局は同じ事がどこかの隅で行われることは間違いない。
 取り締まっても取締らなくても同じ事なら何も無駄な手間と暇をかけるが事はない。人間の自制心とエチケットに任せて、目に余るはみ出しだけを制限取り締まったら良いではないかというのが所論である。
 売春の定義は難しく、 代償の伴う不特定多数の相手と性行為をなすことが売春と見なされることが一般の通念だが、ひねって論ずれば貧乏人と結婚したのでは、生活が思われる、同じなら収入の保証された金持ちと結婚しようという事も、長期の代償を目的とした売春と言えなくはない。
 そういう難しい論を抜きにして、戦争に行った人は皆経験済みであるが、皇軍と一緒に軍用船で娘子軍が送られ、命がけの戦争の最中にも立派に売春はついて回った。 まず、兵隊様が現地人、一格上がって朝鮮人、将校用が芸者と称して何の芸も出来ない天草女などを専らとするいわゆる内地人、ゲテモノ食いは病気と保安上厳禁の野鶏と称する私娼。
 命のやり取りをする戦場ですら、売春がついて回ったのだから、命の心配のない平時、売春のない世代は神世の事はいざ知らず、平安朝以来の歴史に現れぬ事はない。売春婦が居なかったら、源平の歴史も違ったコースを歩んだであろうし、第一、小説も芝居も生まれなかったであろう。まず法律を制定した衆参両議員の諸侯に質問したい。
「あなたは芸者を抱いたことはありませんか。熱海に行って、枕を相手に一人で保養していますか」と。
 おそらく全員が落第するのではないかと私は思っている。さらに法律を起案した役人さんにも同様、まことしやかにこれを支持するげの教育者諸侯に果たして大きな口がきけるけるかどうか、だいたい1人前の腕と収入を持った人間なら、「女買いしたことがありますか」と聞く方が野暮で、売春禁止法を支持制限する、主婦連合、婦人団体の役員のご亭主殿が、おそらく全部一人なし失格者であることを断言してはばからない。万一、この記事を見て文句をつけるご婦人があったら、新聞社は3時間以内にそのご主人か親父のツヤ種をお目にかける得る自信がある程、売春行為を絶滅させたら(そんなことは夢物語だが)失望するのは第一番にこの法律をこさえたり、実施したがっている陣営の内部にある者だろう。
 赤線区域のそれは売春で、芸者は売春でないとか、温泉マークは売春の宿で、文化ホテルはそうでない等の論は為政者の身勝手の論理で、この道ばかりは貧富、身分の高下はない。
 売春と恋愛の区別等も、これまた永遠の平行線であり、こんなややこしい問題を法律で片付けようとすること自体が大きな間違いである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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