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原始経済の強み

コラム『あまのじゃく』1957/9/1 発行
文化新聞  No. 2652


無借金経営の苦労と気軽さ

    主幹 吉 田 金 八

 本紙では9月1日を期して広告料金前納性を実施した。
 これまでは本社直扱いと、各地の支社支局が広告を扱う場合、一般地方紙のごとく広告料金を申し込みと同時に頂戴する方式だと、万が一にも数ある従事者中、不心得な者がいて、料金をネコババして本社に払込まなかったり、第一申込みの広告を出さずにしまうような金銭事故が生じるようなことがあっては、折角の文化新聞の信用を傷つけるのみか、善意の広告主に迷惑をかける事にもなるので、広告料は掲載後に払込んで貰う事にしていた。
 それならば、仮に扱者が費消横領する様な事があっても、本社が損害を被るだけで広告が出てからのことなので、広告主の目的は果たしており、お客様には迷惑はかけないわけである。
 しかし、最近は本社の第一線もよく整備厳選されて、左様な心得の者はない自信がついたので、直扱い、支社、支局経由、いずれの方式とに拘わらず、前金払込のない広告は掲載しないということに改めた訳である。 この改革は決して本紙の広告主の中に掲載広告料を不払いするような有難くない客が増えたからというわけではない。
 それは毎月若干の未収事故が発生しなくもないが、大体は信用ある広告主を選んで申込みを受け付けているので、そんなのは問題とするほどのものではない。しかし、本社は帳面付けや集金整理に何人もの人員を配置するほどの余裕はなく、これらは女房の片手間の仕事としているので、最近のように仕事が繁多になってくると、到底片手間という訳にはいかない。
 そこで思い切って前納制度に切り替えたので、今後は金を払った広告は少なくとも指定の日時には必ず紙面に出る。幾日経っても広告が出ないとあれば、扱い者に何らかの事故があったと判断されて、早速その旨本社長に親展でお申し込み願いたいものである。
 新聞社も客商売である。その客商売が前納でなければ広告を扱わぬと、ちょっと目にはお高く止まった制度を行うことになり、世間には『何だ文化新聞が』と面白くないとお思いの方があるかと密かに想像していたところ、世間は面白いもので、その変わったところが気に入って、早速の広告申し込みが31日あったのは気持ちが良い。
 それはあるオートバイ屋さんで、前納制結構、文化新聞のやり方は、やはり世の中の一歩前を歩いている、と大変なご称讃であった。このオートバイ屋さんなども売り代金の回収で相当苦労していればこそ、本社の意図に共鳴することは多いのではないか。最近の商略は消費者の財布も気持ちもお構いなし、これは売れそう、儲かりそうな品物はやたらと大量生産する。いかに物はできても消費者の財布が底をつけば売れなくなるのは当然で、それを切り抜ける為には掛け売り、月賦販売ありあの手この手と考案して強行する。
 土台、戦争で末の100より今50の気持ちに大衆がなっている際だから、いま全部払わなくとも良いということは相当の魅力で、ついフラフラ貸売りや月賦に手が出たいところである。しかし、借りたものは払わねばならない事は神武依頼変わりはない。3月、半年の月日は長いようで訳はない。
 今度は逆に前に買ったもの、既に消耗して無くなった品物の代金の支払いに追われることになり、月賦の電気洗濯機やテレビをデンと構えても精神面ではいささかも文化生活ではなくなる。
 月賦や手形の期限に追われて血みどろに働くというのは資本主義の歯車の一コマとなっている消費者の宿命のようである。しかし、これでは容易でないと気付いた者はこのこの機構から逃避する。本社の経営などはその最たるもので、全くの原始経済といって良いだろう。金があれば当用の物を買い、なければないで我慢する。本当になくては間に合わないだろうと言うかもしれぬが、用紙が上がって経営が火の車になれば、火事にあって周りが焦げた紙でも、七夕のように毎日色変わりの紙でも間に合わせる。 読者は本社の筆法を承知しているから、どんな紙でも同情こそすれ、文句はほとんどないのは有難い。
 本当にやりきれなくなって紙代を20円値上げしたが、相当慎重にかかったこの値上げも、1割くらい部数が減るかと思ったが、減るどころが反対に増えた。貸も借りも取引がないから銀行が潰れようと何しようと影響ない。
 たまに広告代を小切手で貰った時、横線など厄介扱いがせいぜいで、世の中から銀行が消えて亡くなってもいささかの不自由も感じないのは、まず本社位のものであろう。その代わり利息で攻められることも親父の代でゴリゴリしたので、以来一切なく別に銀行を目の敵にするほどの目障りでもない。
 『日本帝国が滅びても日本人民の生きてる限り本社の社礎安泰』と空自慢しているが、まさにその通りである。日本銀行が潰れて札がタダになれば、ジャガイモや米と新聞を交換しても発行は続けられる見込みを立てている。
 目下緊急最大の願いは工場の屋根をトタンに葺き替えたいことで、先ごろ付近の西川林産の火事の時には、天皇の敗戦放送以上に肝を冷やした。杉皮葺きで火の粉が雨あられ、あわや本社炎上の一歩手前であった。
 火災もそうだが、雨にもさんざんである。一度大雨ともなれば、印刷機が水浸しの様相を呈し、何とか目下のトタンの安い所で葺き替えを行いたいと思っているが、それにはどうでも嫌な借金をしなければならない事である。幸いにも某氏の好意で十万円無利子で借りる目安が付いているが、これは必ずしも本社の社是に拘泥する必要はないであろう。
 どんな原始社会でも好意で、物や金の貸し借りはあったに相違ないから、ただ現代のように金融資本が事業を駆使する様な事はなかったと思う。
 手形だ、帳面だ、経済の仕組みを無理に回りくどくして手数をかけ頭を痛めることは、決して文化的な社会とは言えないのではないか。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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